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アップルパイ狂想曲。

    会社の近くに、パン屋がある。小路に面していて、目立たない。客が3人も入れば、ぎゅうぎゅうで身動きが取れなくなるほど小さい店だ。

    切り盛りするのは、老夫婦。旦那さんがパンを焼き、奥さんがレジに立つ。棚に並ぶパンは、種類こそさほど多くないが、もっちりした食感で私好み。手作りの具材をはさんだサンドウィッチはランチにぴったりで、週に2回は通っていた。

    私が突然休職することになり、しばらく店から足が遠のいていたが、月に1回会社へ書類を届けに行く際は、帰りに必ず訪れる。

    先日も立ち寄ったのだが、入口の引き戸の開閉時に鳴っていたチャイムが、鳴らない。故障かな、そのうち奥さんが来るかな、と思いながらトレイとトングを手に取り、パンを選び始める。

    必ず買うのは「イタリアン」。トマトソースやチーズなどをパン生地で包んで焼いたもので、ずっしり重く、食べ応えがある。それと、あれはあるかな…。窓際の棚を見ると「アップルパイあります」の札。よしよし、2つもらおう。

    アップルパイはこの店の看板商品で、他の店のパイでは物足りなくなるほど、りんごがたっぷり使われている。レジで頼むと奥さんが厨房でカットし、持ってきてくれるシステムだ。運が良ければパイはまだ温かく、載せられた紙皿越しに、ほんのり ぬくみが伝わってくる。

    レジ前に立ち「すみませーん」。大きな声で奥に呼びかける。誰も出てこない。聞こえなかったかな。少しボリュームを上げて「すみませーん」。応答なし。

    のれんの隙間から奥をのぞくと、旦那さんらしき人が見えた。座っているのか、腕をダラリとたらし、うつむいた状態。お昼寝かな。「すみませーん」。微動だにしない。

    寝ているだけならいいのだが、何か急病で、気を失っている…などということはないだろうか。私自身、1年ほど前、意識のないまま救急車で運ばれた経験があり、急に怖くなってきた。よし、もう1回呼んでみて、動きがなければ中へ乗り込もう。

    私に出せる最大音量で「すぅ、みぃ、ま、せーん!!」。すると、旦那さんが頭を上げ、奥さんが「はーい」。元気な返事と共に、こちらへ向かってきた。

    なんだかホッとして、涙目になりながら「アップルパイ、2つ、お願いします」。「はーい。今日のりんごはね、あかねです」。生地からのぞく、果肉の薄紅色がきれいだった。

    2人とも、ご高齢である。このパイも、この先、いつまで食べられるだろう。笑顔で見送ってくれた奥さんに手を振り、チャイムの壊れた引き戸を開けて店を出る。手にした袋から、パイの温かさがじんわり沁みてきた。

     
     
    昨年、体を壊してしまいました。いい加減、残業続きの働き方を変えなければ。50代。妻にならず。母にならず。飼っていた猫は、私を娘か妹ぐらいに思っていた気がします。

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