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    <title>高舘美保子</title>
    <description>高舘 美保子（たかだて みほこ）
株式会社盛岡書房 代表取締役。地域共創プロデューサー。
ソーシャルビジネスを軸に、「人の可能性が生かされる社会」をテーマとして活動しています。
一人ひとりが自分らしい人生を選択し、地域の中で役割を持ちながら暮らせる社会の実現を目指しています。</description>
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    <copyright>高舘美保子</copyright>
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      <title>草原でのひとり、街中でのひとり――孤独は、人の数では測れない</title>
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      <description><![CDATA[<p name="4B6BBEB6-5DD5-44E9-8725-55DE8C1AEB3A" id="4B6BBEB6-5DD5-44E9-8725-55DE8C1AEB3A">草原に、ひとりで立っている。<br>街中に、ひとりで立っている。<br><br>どちらも同じ「ひとり」なのに、心に触れるものは違います。<br><br>草原では、風が吹き、草が揺れ、空が広がっています。誰かと言葉を交わさなくても、そこにいてよい。何かを話す必要も、自分を説明する必要もありません。<br><br>ただ風に吹かれ、自分の呼吸を感じている。<br><br>そんなときのひとりは、寂しさよりも、静けさに近いのかもしれません。<br><br>けれど、街中ではどうでしょう。<br><br>笑い合う人たち。誰かを待つ人。足早に帰っていく人。その姿を見ているうちに、ふと、自分だけがどこにもつながっていないように感じることがあります。<br><br>こんなに人がいるのに、今の気持ちを話せる相手が思い浮かばない。<br><br>そのとき、街中のひとりは、草原でのひとりよりも寂しくなります。<br><br><b>孤独は、人がいないことだけで生まれるものではないのでしょう。</b><br><br>目の前に誰かがいるからこそ、届かないことがつらくなる。楽しそうな会話が聞こえるからこそ、自分の沈黙が際立ってしまう。<br><br>誰かと一緒に食卓を囲んでいても、言葉を飲み込んでばかりの日はあります。大勢の中で笑っていても、帰り道に、ひどく寂しくなることがあります。<br><br>人の数と、心の距離は、必ずしも重なりません。<br><br>一方で、ひとりでいても、穏やかに過ごせる時間があります。<br><br>本を読む。お茶をいれる。窓の外を眺める。誰にも合わせず、自分の速さで過ごしているうちに、少しずつ心がほどけていく。<br><br>その安心の奥には、「話したくなったら、連絡できる人がいる」という感覚があるのかもしれません。<br><br>今は会っていなくても、気にかけてくれる人がいる。<br>しばらく離れていても、また訪ねられる場所がある。<br><br>そう思えることが、ひとりの時間をやさしくしてくれるのでしょう。<br><br>もちろん、草原で心細くなる日もあります。反対に、街のざわめきに救われる日もあります。<br><br>喫茶店で聞こえる話し声や、道を行き交う人の気配。それぞれの暮らしが続いていることに、ほっとすることもあります。<br><br>同じ場所でも、その日の疲れや心の状態によって、ひとりの意味は変わります。<br><br>だから、寂しいと感じる自分を責めなくてよいし、ひとりでいたい自分を、無理に人の輪へ連れ出さなくてもよいのだと思います。<br><br>今日は静かに過ごしたい。<br>今日は誰かの声が聞きたい。<br><br>そのどちらの気持ちにも、素直でいられたらと思います。<br><br><b>ひとりでいられる自由と、ひとりで抱えなくてよい安心。</b><br><br>その両方が、私たちには必要なのでしょう。<br><br>草原で風に吹かれるように、自分のままで過ごせる時間がある。そして、寂しくなったら「少し話さない？」と声をかけられる。<br><br>そんなつながりを、大切にしていきたいと思います。<br><br>街のどこかでひとりを感じている誰かにも、ふと思い出せる顔があるように。私も、ときどき、大切な人に声をかけてみようと思います。</p><br/><a href='https://note.com/just_crane7987/n/n5ef40d6a542c'>続きをみる</a>]]></description>
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      <note:creatorName>高舘美保子</note:creatorName>
      <pubDate>Sun, 08 Nov 2026 05:53:39 +0900</pubDate>
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      <title>その人の能力を、どこで測っていますか――適材適所を考える</title>
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      <description><![CDATA[<p name="d6514c73-0479-4b8f-a878-42b486049f1b" id="d6514c73-0479-4b8f-a878-42b486049f1b">「この人には、能力がない」</p><p name="0a04598b-e5c8-48b8-8656-ae62314f18ed" id="0a04598b-e5c8-48b8-8656-ae62314f18ed">そう判断するとき、私たちは、その人の何を見ているのでしょうか。</p><br/><a href='https://note.com/just_crane7987/n/n9f5f58de20c6'>続きをみる</a>]]></description>
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      <note:creatorName>高舘美保子</note:creatorName>
      <pubDate>Sat, 07 Nov 2026 08:15:13 +0900</pubDate>
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      <title>ネガティブ・ケイパビリティ　答えを急がないという力——「信じて託す」を支えるもの</title>
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      <description><![CDATA[<p name="A3B8EE87-3F62-41EE-960E-8A703DF8C698" id="A3B8EE87-3F62-41EE-960E-8A703DF8C698">誰かの話を聞いているとき、私たちはつい、答えを探してしまいます。<br><br>どうして、そうなったのだろう。<br>何が原因なのだろう。<br>どうすれば、よくなるのだろう。<br><br>相手を大切に思うからこそ、何か役に立ちたい。困っているなら、その困りごとを取り除きたい。そう願うのは自然なことです。<br><br>けれど、ときには、その願いに自分自身の焦りが混ざることがあります。<br><br>「わからないままでいるのが、落ち着かない」<br>「何もできていない自分が、もどかしい」<br><br>相手のために答えを探していたはずが、いつの間にか、自分が安心するために結論を急いでいる。私自身にも、思い当たることがあります。<br><br>「ネガティブ・ケイパビリティ」という言葉があります。<br><br>答えの出ない事態や、不確実さ、不可解さの中に、性急に理由や結論を求めずにとどまり続ける力。<br><br>この言葉に触れたとき、私は、盛岡書房で大切にしている「信じて託す」という姿勢を思いました。<br><br>人には、自分でもまだ説明できない気持ちがあります。何がつらいのか、何を望んでいるのか、言葉にできない時間があります。<br><br>周囲から見れば、小さな一歩に思えることでも、本人にとっては、長い時間をかけてようやく踏み出せる一歩なのかもしれません。<br><br>その途中で「この人は、こういう人だ」と結論を出してしまったら、私たちは、その先に生まれる変化を見落としてしまうことがあります。<br><br><b>私が今、理解できていることは、その人のすべてではない。</b><br><br>そう心に置いておくことが、支援には必要なのだと思います。<br><br>「今の私には、まだわからない」<br><br>その言葉を、自分の中に持っておく。<br>わからないまま、話を聞く。<br>昨日と少し違う表情に気づく。<br>本人の言葉が生まれたときに、受け取れる場所にいる。<br><br>そうした関わりの中で、少しずつ見えてくるものがあります。<br><br>もちろん、待っている間にも、できることはあります。<br><br>声をかけること。安心して過ごせる環境を整えること。選べる道を一緒に探すこと。苦痛や危険があるときには、必要な対応をすること。<br><br><b>結論を急がずにいることと、行動することは、両立します。</b><br><br>そして、待つ側にも余白が必要です。<br><br>忙しさで心がいっぱいになると、私たちは、早く結果がほしくなります。「まだなのか」「なぜ変わらないのか」と、相手の歩みを自分の時間で測りたくなります。<br><br>だから、迷いを話せる仲間がいることも、自分の気持ちを整える時間があることも、大切なのでしょう。<br><br>一人で抱え込み、ひたすら耐え続けていては、相手を見つめるまなざしまで、硬くなってしまいます。<br><br>問題を解決する力も、答えの出ない時間を引き受ける力も、どちらも必要です。その場で何ができるかを考えながら、すぐにはわからないことを、わからないまま大切に持っておく。<br><br>人と関わる仕事には、その両方が求められるのだと感じます。<br><br>「信じて託す」とき、その人がどのような未来を選ぶのか、私にはわかりません。こちらの期待とは違う道を歩くこともあるでしょう。<br><br>それでも、自分で選び、経験し、ときには選び直しながら生きていく、その人の力を信じたい。<br><br><b>まだ見えていない可能性のために、結論を急がずにいる。</b><br><br>今日、答えが出なかったとしても、一緒に過ごした時間や、交わした言葉は残ります。<br><br>「あのとき、話を聞いてもらえた」<br>「うまく説明できなくても、そばにいてくれた」<br><br>いつか、そんなふうに思い出してもらえる関わりができたなら。<br><br>その人が自分の言葉を見つけ、自分の足で歩き出す日を、私も私の場所で、心を耕しながら待っていたいと思います。</p><br/><a href='https://note.com/just_crane7987/n/na51f4df5ebbc'>続きをみる</a>]]></description>
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      <note:creatorName>高舘美保子</note:creatorName>
      <pubDate>Fri, 06 Nov 2026 06:07:14 +0900</pubDate>
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      <title>分かったつもりにならないために――人のカテゴリーと距離感</title>
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      <description><![CDATA[<p name="1D8701B4-BF9C-4498-8CE0-79C033C48FE1" id="1D8701B4-BF9C-4498-8CE0-79C033C48FE1">「あの人は、こういう人だから」<br><br>私たちは日常の中で、何気なくそんな言葉を使っています。<br><br>同じ仕事をしている人。価値観の近い人。支援を必要とする人。自分とは考え方の違う人。<br><br>人を理解しようとするとき、カテゴリーは一つの手がかりになります。複雑な相手を捉え、どう関わればよいかを考える助けにもなります。<br><br>けれど、その手がかりが、いつの間にか「その人のすべて」に置き換わってしまうことがあります。<br><br><b>その人自身に出会う前に、こちらが距離を決めてしまう。</b><br><br>人との関係で、気をつけたいのはこのことなのだと思います。<br><br>「同じ立場だから分かり合える」<br>「考え方が違うから、話しても無駄だ」<br>「障害があるから、守ってあげなければ」<br><br>そう考えた瞬間、目の前の人の言葉よりも、自分の中にある人物像が先に立ちます。<br><br>同じ立場にいても、経験してきたことや大切にしているものは違います。考え方が違っていても、ある出来事をきっかけに、深く分かち合えることがあります。<br><br>支援を受けている人が、誰かを支えることもあります。<br><br>一つのカテゴリーだけでは、人の姿は捉えきれません。その人の思いや役割は、関係や状況によって変わり、時間とともに育っていくものだからです。<br><br>そして、もう一つ考えたいのが、距離の近さです。<br><br>親しい相手には、つい「分かっている」と思ってしまいます。心配するあまり、本人が決める前に答えを用意してしまうこともあります。<br><br>「あなたのため」という思いがあっても、相手には、踏み込まれたくない場所があるかもしれません。<br><br><b>親しさと、相手を尊重できているかどうかは、別のこと。</b><br><br>近い関係であっても、確かめることを忘れない。相手が自分とは違う気持ちを持つことを、そのまま受け止める。その積み重ねが、安心して一緒にいられる関係をつくるのだと思います。<br><br>もちろん、すべての人と近づく必要はありません。<br><br>関わることで疲れてしまうときや、傷つくことが続くときには、自分を守るための距離も必要です。相手を大切にすることには、自分を大切にすることも含まれているはずです。<br><br>ただ、その距離を「あの種類の人だから」と固定せず、実際の言葉や行動、自分自身の状態を見ながら考えられたらと思います。<br><br>今は離れていた方がよい関係もある。時間がたって、もう一度話せる関係もある。程よい距離を保つことで、長く続いていく関係もあるのでしょう。<br><br>盛岡書房が大切にしている「信じて託す」という言葉にも、この距離感が関わっているように思います。<br><br>相手の力を信じて、任せる。迷っているときには、一緒に考える。助けを求められたときには、手を差し出す。<br><br>そのためには、こちらの安心だけで距離を決めず、相手がどう感じているかを確かめ続ける必要があります。<br><br>近づくことも、待つことも、ときには少し離れることも、その人との関係の中で選んでいく。<br><br><b>カテゴリーは、その人を知る入り口にする。<br>距離は、その人との間で確かめながら、結び直していく。</b><br><br>「この人はこういう人だ」と思ったときこそ、まだ知らない一面があることを、心に置いておきたい。<br><br><b>目の前の人が、昨日とは違う思いを語れるように。<br>自分もまた、相手への見方を変えられるように。</b><br><br>人と人との間に、そんな余白を残しておきたいと思います。</p><br/><a href='https://note.com/just_crane7987/n/n99afc38ffe81'>続きをみる</a>]]></description>
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      <note:creatorName>高舘美保子</note:creatorName>
      <pubDate>Thu, 05 Nov 2026 05:59:26 +0900</pubDate>
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      <title>神さまに負けないくらい、子どもを愛する――「通りゃんせ」と母の言葉</title>
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      <description><![CDATA[<p name="4193092F-56CC-404D-8D9E-CDBBE96DF3FE" id="4193092F-56CC-404D-8D9E-CDBBE96DF3FE">「神さまは子どもが大好きだから、可愛がらないと連れていかれる。だから七つまでは、神さまに負けないように大切にするんだよ」<br><br>超未熟児の長女を出産した朝、母からそんな話を聞きました。<br><br>病気や事故で幼い命が失われることを、母は「神さまに連れていかれる」と表現していました。<br><br>「通りゃんせ」の意味を考えていたとき、この言葉を思い出しました。<br><br>耳になじんだわらべ歌の奥に、母の言葉と通じる、子どもの命を案じる気持ちがあるように感じたのです。<br><br>「通りゃんせ」とは、「お通りなさい」という意味です。歌には、子どもの七歳のお祝いに、天神さまへお札を納めに行く場面が描かれています。<br><br>その背景を考える手がかりに、「七つまでは神のうち」という言い伝えがあります。<br><br>幼い子どもは、まだ神さまの世界に近く、この世に命がしっかりと根づく前の存在だという考え方です。医療が十分ではなかった時代、子どもが無事に育つことは、今以上に切実な願いだったのでしょう。七歳を迎えるお祝いには、ここまで育ってくれたことへの安堵と感謝が込められていたのだと思います。<br><br>ただし、この言い伝えが、古くから日本中で同じように信じられていたとまでは言えません。歴史研究には異論もあり、地域や時代、家庭によって、伝え方も受け止め方も違っていたようです。<br><br>母の言葉も、そうした暮らしの中で受け継がれてきた、一つの語りだったのかもしれません。<br><br>私の心に残っているのは、「神さまに負けないように」というところです。<br><br><b>神さまが大好きな子どもを、それ以上に私たちが可愛がる。</b><br><br>抱きしめる。ご飯を食べさせる。冷えないようにする。顔色を見て、いつもと違う様子に気づく。泣いている理由を探し、笑っている姿にほっとする。<br><br>そんな毎日の世話の一つひとつに、「この子に、ここで生きていてほしい」という願いが宿っているように思います。<br><br>もちろん、どれほど大切に育てても、病気や事故を防ぎきれないことはあります。命を失ったことを、愛情が足りなかったからだと受け取ってはいけないと思います。<br><br>母の言葉を思い返すとき、私に届くのは、育てる人を責める声ではありません。<br><br><b>「幼い命を、どうか大切にしてね」</b><br><b>そう繰り返し伝えようとする、祈りのような声です。</b><br><br>「通りゃんせ」の「行きはよいよい、帰りはこわい」という歌詞には、さまざまな説があり、意味は確定していません。神さまに子どもを連れていかれることを歌っている、と言い切ることもできません。<br><br>それでも、母の話を重ねて聴くと、この歌の響きが少し変わります。<br><br>七歳のお祝いに向かう道には、喜びがある。その喜びのすぐそばには、失いたくないという不安もある。<br><br>子どもの成長を願う気持ちは、きっと、その両方を抱えているのでしょう。<br><br>そして今、子どもを大切にすることを、親だけに託してよいのだろうかとも思います。<br><br>泣き声に気づく人。<br>親の疲れに気づく人。<br>「少し休んでいいよ」と声をかける人。<br>子どもの名前を呼び、会うたびに成長を喜ぶ人。<br><br>そんな人が一人、また一人といることで、子どもも、育てる人も、息をつけるのだと思います。<br><br><b>神さまに負けないくらい、子どもを愛する。</b><br><br>母から聞いた言葉を、今の私は、地域で子どもを慈しむための言葉としても受け取りたい。<br><br>七歳のお祝いの日に、「大きくなったね」と声をかけ合えること。その日を迎えた子どもと、そこまでの日々を重ねてきた人たちを、みんなで祝えること。<br><br>母の言葉を思い出すと、そんな風景が浮かびます。</p><br/><a href='https://note.com/just_crane7987/n/n923188c019bd'>続きをみる</a>]]></description>
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      <note:creatorName>高舘美保子</note:creatorName>
      <pubDate>Wed, 04 Nov 2026 06:12:49 +0900</pubDate>
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      <title>善意の中にある思い込みに気づく――マイクロアグレッションとアンコンシャスバイアスから考える、人との向き合い方</title>
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      <description><![CDATA[<p name="C196A3B4-D265-4E37-9BE4-08F27E706A5F" id="C196A3B4-D265-4E37-9BE4-08F27E706A5F">「よかれと思って言ったのに」<br>「そんなつもりではなかったのに」<br><br>人と関わる中で、そう感じることがあります。<br><br>励ましたつもりの言葉が、相手を傷つけていた。<br>配慮したつもりの判断が、相手の選択肢を狭めていた。<br><br>自分の意図と、相手に届いたものとの間には、ときに隔たりが生まれます。その隔たりを考える手がかりになるのが、「アンコンシャスバイアス」と「マイクロアグレッション」という二つの視点です。<br><br>アンコンシャスバイアスとは、自分では気づきにくい思い込みや、ものの見方の偏りのことです。<br><br>私たちは、これまでの経験や知識を通して人を理解しようとします。年齢、性別、職業、障害の有無。そうした情報は、相手を知る手がかりになる一方で、本人に確かめる前に、その人の姿を決めてしまうことがあります。<br><br>「高齢だから、新しいことは苦手だろう」<br>「女性だから、細やかな気遣いができるだろう」<br>「障害があるから、責任を任せるのは難しいだろう」<br><br>目の前の本人について、まだ知らないことがたくさんあるのに、カテゴリーから答えを出してしまうのです。</p><p name="8FA7A974-042A-42C3-8363-B27287433EB6" id="8FA7A974-042A-42C3-8363-B27287433EB6"><b>人を理解するための分類が、その人を知ろうとしなくなる理由に変わってしまう。</b><br><br>そこに、思い込みの危うさがあります。<br><br>一方、マイクロアグレッションとは、特定の属性への偏見や決めつけが、日常の何気ない言葉や態度に表れ、相手を軽く扱ったり、疎外感を与えたりすることです。意図的なものも、本人が気づかずに行うものも含まれます。<br><br>例えば、「障害があるのに、すごいですね」という言葉。<br><br>褒めたつもりでも、相手には「障害のある人には、できないと思っていた」と聞こえるかもしれません。<br><br>「女性なのに、経営者として立派ですね」という言葉にも、女性と経営者を結びつけにくい見方が含まれていることがあります。<br><br>アンコンシャスバイアスが、私たちの内側にある見方の偏りだとすれば、マイクロアグレッションは、それが人との関係の中に表れる一つの形です。<br><br>ただし、思い込みがすべて、そのままマイクロアグレッションになるわけではありません。また、不快な言葉をすべて、この概念で説明できるわけでもありません。どのような前提があり、どのような関係や状況の中で発せられたのかを、丁寧に考える必要があります。<br><br>この二つの視点を、私は福祉や支援の現場でも大切にしたいと思っています。<br><br>「この人には難しい」<br>「失敗するとかわいそう」<br>「本人のために、こちらで決めておこう」<br><br>そこには、相手を守りたいという気持ちがあるのでしょう。<br><br>けれど、本人は挑戦したいと思っているかもしれません。失敗も含めて、自分で経験したいのかもしれません。<br><br>周囲が先回りして判断することが重なれば、本人が選ぶ機会は少しずつ減っていきます。そして、経験する機会を持てなかったことが、いつの間にか「この人にはできない」という評価につながってしまうことさえあります。<br><br><b>私たちの思い込みが、相手の可能性を確かめる機会そのものを奪っていないだろうか。<br></b><br>支援する立場にいるからこそ、自分に問い続けたいことです。<br><br>私自身も、思い込みから自由ではありません。<br><br>経験を重ねるほど、見通しが立つようになります。その経験に助けられる一方で、「前にもこういう人がいた」という記憶が、目の前の人への理解を急がせることもあります。<br><br>だからこそ、「この人はこういう人だ」と思ったときに、少し立ち止まりたい。<br><br>それは、本人の言葉から知ったことなのか。<br>私が、そうだと思っていることなのか。<br><br>この二つを確かめるだけでも、関わり方は変わるのではないでしょうか。<br><br>そして、もし相手から「その言葉はつらかった」と伝えられたなら、「そんなつもりではなかった」で終わらせず、何がつらかったのかを聴きたいと思います。<br><br>同時に、一つの言葉から相手の人柄や意図のすべてを決めつけず、確かめ合う余地も残しておきたい。<br><br>傷ついた経験を大切に扱うことと、お互いの理解を更新していくこと。その両方を支えられる関係でありたいのです。<br><br>盛岡書房が大切にしている「信じて託す」という姿勢も、こうした日々の問いとつながっています。<br><br>「きっと難しいだろう」と思ったときに、本人の希望を尋ねる。<br>任せるために必要な支えを、一緒に考える。<br>うまくいかなければ、話し合って、やり方を変える。<br><br>その積み重ねの中で、私の想像を超えるその人の姿に出会うことがあります。<br><br>アンコンシャスバイアスに気づくことは、自分の見方を問い直すこと。<br>マイクロアグレッションに目を向けることは、その見方が相手にどう届いているかを知ろうとすること。<br><br>二つの視点は、私たちを、目の前の一人へと立ち返らせてくれます。<br><br><b>「わかったつもり」の先に、まだ知らないその人がいる。</b><br><br>その人の言葉を聴きながら、自分の理解を何度でも耕し直していきたいと思います。</p><br/><a href='https://note.com/just_crane7987/n/nd75fab68936c'>続きをみる</a>]]></description>
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      <note:creatorName>高舘美保子</note:creatorName>
      <pubDate>Tue, 03 Nov 2026 06:08:32 +0900</pubDate>
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      <title>一つの物差しで測らない経営――違いを、組織の可能性に変える</title>
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      <description><![CDATA[<p name="2A1D4E56-A52B-482D-B9CF-18A264AFDC04" id="2A1D4E56-A52B-482D-B9CF-18A264AFDC04">経営には、決めることが求められます。<br><br>目標を定め、役割を決め、限られた人や時間、お金を配分する。そのためには、複雑な状況を整理し、判断の基準を持つことが必要です。<br><br>けれど、わかりやすく整理するほど、見えなくなるものもあります。<br><br>売上だけでは見えない仕事の価値。<br>生産性だけでは捉えられない人の力。<br>会議の結論には残らなかった、小さな違和感。<br><br>経営とは、判断する仕事であると同時に、判断の物差しそのものを問い直す仕事なのだと思います。<br><br>「多様性」「多元性」「多義性」という言葉は、そのための手がかりになります。<br><br>多様性とは、人や生き方に違いがあることです。<br><br>しかし、さまざまな人を迎え入れても、評価する基準が一つだけなら、その違いを活かすことは難しいでしょう。<br><br>作業が速い人もいれば、間違いに気づく人もいる。新しいことを始める人もいれば、日々の仕事を安定して続ける人もいる。誰かの不安を察し、声をかけることで、職場を支えている人もいます。<br><br>それぞれの貢献を捉えるには、複数の価値の軸を持つ「多元性」が必要です。<br><br><br>また、私たちが日常的に使う言葉にも、複数の意味があります。<br><br>たとえば「働く」という言葉。<br><br>ある人には収入を得ること。別の人には生活のリズムをつくること。仲間に会うことや、誰かの役に立つことを意味する場合もあります。<br><br>経営者と職員が同じ「成長」という言葉を使っていても、経営者は事業の拡大を思い、職員は安心して仕事を続けられるようになることを思っているかもしれません。<br><br>言葉が一致しているからといって、意味まで共有できているとは限らない。<br><br>この「多義性」に気づくと、「なぜ伝わらないのか」と相手を責める前に、「私たちは、この言葉で何を思い描いているのだろう」と確かめられます。<br><br>対話は、指示を伝えるためだけでなく、意味をすり合わせるためにも必要なのです。<br><br>そして、対話の場では「多声性」が問われます。<br><br>経営者の声、現場の声、顧客の声。福祉の現場であれば、利用する本人や家族の声もあります。<br><br>会議で発言の機会を設けても、経営者の意見が先に示されれば、異論を飲み込む人がいるかもしれません。言葉にするまでに時間がかかる人の思いは、結論を急ぐ場では置き去りになります。<br><br>声の大きさと、課題の深刻さは一致しません。<br><br>事前に意見を書いてもらう。個別に話を聴く。結論を出す前に、言い残したことがないか確かめる。そうした小さな工夫が、経営判断に届く情報を変えていきます。<br><br>異なる声が残ることは、ときに組織を動かしにくくします。それでも、その違和感が、経営者には見えていなかった問題を知らせてくれることがあります。<br><br>人や課題を理解するときには、「多面性」と「多層性」も欠かせません。<br><br>ある仕事では力を発揮できなかった人が、別の役割では頼もしい存在になることがあります。能力は、その人だけを見ていても捉えきれません。仕事の内容や教え方、周囲との関係によって、発揮され方が変わるからです。<br><br>また、仕事の遅れの背景には、手順のわかりにくさ、人員配置、体調、家庭の事情など、いくつもの層が重なっている場合があります。<br><br>本人の努力だけに原因を求めてしまえば、経営が変えられる条件まで見逃してしまいます。<br><br>「この人はできない」と結論づける前に、「どの条件なら力が出るのか」を考える。その問いが、人を活かす経営につながります。<br><br>もちろん、人の気持ちは一方向には進みません。<br><br>挑戦したいけれど、失敗は怖い。<br>任せてほしいけれど、助けてほしい。<br>変わりたいけれど、今の安心も失いたくない。<br><br>こうした「両義性」は、経営者自身の中にもあります。<br><br>だからこそ、任せることには、相談できる関係や、やり直せる余地が必要です。「信じて託す」という姿勢も、託した後の対話や支えがあってこそ、日々の実践になります。<br><br>そして「包摂性」は、組織の一員として迎えることから、意思決定に関われることへと、私たちの目を向けさせます。<br><br>自分に関わることについて意見を言えるか。<br>断ることができるか。<br>一度選んだ道を、選び直せるか。<br><br>その積み重ねが、組織への信頼や、仕事を自分のものとして引き受ける気持ちを育てていくのだと思います。<br><br>すべての希望を同時に実現することはできません。経営には、選択も、優先順位も必要です。<br><br>それでも、選ばなかった意見の価値まで否定せず、判断の理由を伝え、状況が変われば見直せるようにしておくことはできます。<br><br><b>理念は判断の拠り所にしながら、人や状況への理解は更新し続ける。</b><br><br>一つの物差しで測りきれないものに目を向けることは、経営の軸を失うことではありません。<br><br>人の力を見落とさず、顧客が求める価値を捉え直し、組織の変化の兆しに気づくための姿勢です。<br><br>目の前の人には、まだ発揮されていない力があるかもしれない。<br>いつもの仕事には、まだ届いていない価値があるかもしれない。<br><br>その可能性を信じ、活かせる条件を整えていくこと。<br><br>私は、そこに経営の大切な役割があると思っています。</p><br/><a href='https://note.com/just_crane7987/n/nd93d7eddb633'>続きをみる</a>]]></description>
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      <note:creatorName>高舘美保子</note:creatorName>
      <pubDate>Mon, 02 Nov 2026 05:37:49 +0900</pubDate>
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      <title>「大切ですね」の一言から、つながってきた5年間</title>
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      <description><![CDATA[<p name="F6EC065F-F58C-4346-ABD6-C4B0FFEDDD01" id="F6EC065F-F58C-4346-ABD6-C4B0FFEDDD01">まだ始まる前の取り組みに、耳を傾けてくださる人がいる。その思いを受け止め、一緒に動いてくださる人がいる。<br><br>何かを始めるとき、その存在がどれほど心強いか。象と花の5年間を振り返り、改めて感じています。<br><br>盛岡信用金庫の浅沼理事長の「この取り組みは大切ですね」という言葉。そこから、県内全23店舗への古本回収ボックスの設置が始まりました。<br><br>最初の箱は、段ボールで手作りしてくださったものでした。<br><br>その箱に本を寄せてくださる方がいて、日々の業務の中で集め、運んでくださる職員の皆さんがいる。5年間、一度も本が途切れなかったという事実に、支え続けてくださった皆さんの温かさを感じます。<br><br>読み終えた一冊が、誰かの働く機会になり、子どもたちへ贈る新しい本になる。そして、そのつながりから、また次の出会いが生まれる。<br><br><b>本とともに、人を思う気持ちを受け取ってきた5年間だったのだと思います。</b><br><br>今回の記事では、盛岡信用金庫の皆さんと歩んできた、その道のりをご紹介しています。<br><br>今の象と花があるのは、思いにうなずき、日々の小さな行動を重ねてくださった皆さんのおかげです。心からの感謝を込めて、この記録をお届けします。<br><br>これまで関わってくださった方にも、初めて象と花を知る方にも、読んでいただけたらうれしいです。<br></p><figure embedded-content-key="emb0f8bc2b849e8" embedded-service="note" data-src="https://note.com/zoutohana/n/n6c5cbafc6907" contenteditable="false" name="F3F9F9D7-0922-4170-8798-342AFDD183DD" id="F3F9F9D7-0922-4170-8798-342AFDD183DD" data-identifier="n6c5cbafc6907">                                        </figure><br/><a href='https://note.com/just_crane7987/n/n230119092df4'>続きをみる</a>]]></description>
      <note:creatorImage>https://assets.st-note.com/production/uploads/images/301209367/profile_47aa21ee0b425fe2579036b4b3dadff2.jpg?fit=bounds&amp;format=jpeg&amp;quality=85&amp;width=330</note:creatorImage>
      <note:creatorName>高舘美保子</note:creatorName>
      <pubDate>Sun, 01 Nov 2026 05:42:38 +0900</pubDate>
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      <title>美しい仕事には、理由がある。――機能美から考える経営のかたち</title>
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      <description><![CDATA[<p name="9948dbf0-953f-4b61-a0f0-068a29276911" id="9948dbf0-953f-4b61-a0f0-068a29276911">私は、飛行機や自動車、工場地帯の風景が好きです。</p><p name="77fc3d95-f1b0-47df-ae09-9e990565611a" id="77fc3d95-f1b0-47df-ae09-9e990565611a">飛行機の翼の曲線、自動車の無駄のないフォルム、工場地帯に張り巡らされた配管や、整然と並ぶ巨大な設備。</p><br/><a href='https://note.com/just_crane7987/n/n019564546d86'>続きをみる</a>]]></description>
      <note:creatorImage>https://assets.st-note.com/production/uploads/images/301209367/profile_47aa21ee0b425fe2579036b4b3dadff2.jpg?fit=bounds&amp;format=jpeg&amp;quality=85&amp;width=330</note:creatorImage>
      <note:creatorName>高舘美保子</note:creatorName>
      <pubDate>Sat, 31 Oct 2026 06:49:25 +0900</pubDate>
      <link>https://note.com/just_crane7987/n/n019564546d86</link>
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      <title>便利になることと、進化することは同じなのか――蛇口のレバーから考える機能の本質</title>
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      <description><![CDATA[<p name="82be863e-352f-4404-b1bc-495135fa1864" id="82be863e-352f-4404-b1bc-495135fa1864">日常の何気ないところに、社会のあり方を考えるヒントが隠れていることがあります。</p><p name="537272bd-323f-4320-9fe4-0ab9bf83ff04" id="537272bd-323f-4320-9fe4-0ab9bf83ff04">例えば、蛇口のレバー。</p><br/><a href='https://note.com/just_crane7987/n/nd9158b87e2ec'>続きをみる</a>]]></description>
      <note:creatorImage>https://assets.st-note.com/production/uploads/images/301209367/profile_47aa21ee0b425fe2579036b4b3dadff2.jpg?fit=bounds&amp;format=jpeg&amp;quality=85&amp;width=330</note:creatorImage>
      <note:creatorName>高舘美保子</note:creatorName>
      <pubDate>Fri, 30 Oct 2026 05:44:02 +0900</pubDate>
      <link>https://note.com/just_crane7987/n/nd9158b87e2ec</link>
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      <title>同じものでも、うれしさは変わる――その人にとっての価値を考える</title>
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      <description><![CDATA[<p name="B7E8F490-7671-4027-B839-475792DFD719" id="B7E8F490-7671-4027-B839-475792DFD719">同じ食べ物なのに、心からおいしいと感じる日もあれば、あまり食べたいと思わない日もあります。<br><br>お腹が空いているときは、たっぷり食べられることがうれしい。体調がすぐれないときは、温かいおかゆを少し口にできるだけで、ほっとする。大切な人と囲む食卓では、何を食べたか以上に、一緒に過ごした時間が心に残ることもあります。<br><br>食べ物そのものは同じでも、体調や空腹度、場所や同席者によって、求めるものも満足のあり方も変わります。<br><br>そこには、「価値はどこにあるのか」を考える手がかりがあるように思います。<br><br>「多義性」とは、一つの言葉が、関連する複数の意味を持つことです。食べ物に求めるものが変わることは、厳密には言葉の多義性とは異なります。ただ、一つのものが、文脈によって異なる意味を持つという点では、重なりがあります。<br><br>一杯のスープが、あるときは空腹を満たす食事になり、あるときは身体を温めるものになり、またあるときは、つくってくれた人の優しさを感じるものになる。<br><br>私たちは、ものを受け取るとき、その味や機能とともに、自分の暮らしの中での意味も受け取っているのでしょう。<br><br>商品やサービスを通して得られる、うれしい変化や満たされることを「ベネフィット」といいます。<br><br>このベネフィットも、提供する側が決めたとおりに生まれるとは限りません。<br><br>「おいしい料理を提供した」と思っていても、相手が求めていたのは、気兼ねなく過ごせる時間だったかもしれない。「たくさん食べてほしい」という気持ちが、食欲のない人には負担になることもあります。<br><br>よいものを届けたいという思いを、相手の喜びにつなげるためには、「今、この人は何を求めているのだろう」と確かめることが必要なのだと思います。<br><br>これは、仕事や福祉の支援にも通じます。<br><br>働く場所に求めるものは、収入であったり、生活のリズムであったり、人とのつながりであったりします。「自分にもできた」と感じたい人もいれば、まずは安心して通えることを大切にしたい人もいるでしょう。<br><br>そして、それは同じ人の中でも変わります。<br><br>昨日は挑戦したかった人が、今日は少し休みたいと思う。その変化を受け止められることも、支援の大切な役割です。<br><br>盛岡書房が大切にしている「信じて託す」という言葉も、相手の状態に心を向けながら、実践していきたいと思っています。<br><br>仕事を任されることが、自信につながる日もあります。一方で、重荷に感じる日もあります。託す仕事の大きさや、そばで支える距離を調整することで、安心して力を発揮できることもあるはずです。<br><br>「この人には、これがよい」と一度決めて終わることなく、今日のその人に出会い直す。その積み重ねが、信じて託すことを支えるのだと思います。<br><br>価値は、ものの中だけにあるのではなく、それを受け取る人の状態や、周囲との関係の中でも生まれます。<br><br>だからこそ、私たちは問い続けたいのです。<br><br><b>「今、この人にとって、どんな意味があるのだろう。」</b><br><br>一杯のおかゆが、豪華な料理よりもうれしい日がある。<br><br>そのことを忘れずに、仕事にも、人にも向き合っていきたいと思います。</p><br/><a href='https://note.com/just_crane7987/n/n644dd1967ade'>続きをみる</a>]]></description>
      <note:creatorImage>https://assets.st-note.com/production/uploads/images/301209367/profile_47aa21ee0b425fe2579036b4b3dadff2.jpg?fit=bounds&amp;format=jpeg&amp;quality=85&amp;width=330</note:creatorImage>
      <note:creatorName>高舘美保子</note:creatorName>
      <pubDate>Thu, 29 Oct 2026 06:51:21 +0900</pubDate>
      <link>https://note.com/just_crane7987/n/n644dd1967ade</link>
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      <title>本を読むことは、そんなに立派なことでなければいけないのでしょうか。</title>
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      <description><![CDATA[<p name="92BD4DDC-81AC-44BB-B0F2-E884DB5F0964" id="92BD4DDC-81AC-44BB-B0F2-E884DB5F0964">子どもたちに「本を読みなさい」と勧める大人たち。<br><br>読解力や想像力を育てることも大切ですが、いつの間にか、私たちは本を読むことに「成果」を求めすぎているのかもしれません。<br><br>ただ楽しいから読む。<br>絵が好きだから眺める。<br>読みたくなければ、読まなくてもいい。<br><br><b>本との出会いに、正解も義務もいらない。</b><br><br>大切なのは、子どもたちが自分の「好き」を、自分で選べること。<br><br>本を届けることは、何かを教えることではなく、まだ知らない世界と出会う可能性をそっと手渡すことなのだと思います。<br><br>「象と花」が考える、子どもと本の距離。<br><br>ぜひ、お読みください。</p><figure embedded-content-key="emb1f929f42c1b3" embedded-service="note" data-src="https://note.com/zoutohana/n/naeb363eebeed" contenteditable="false" name="363F9B56-34F6-4AC0-854F-348B4A976F21" id="363F9B56-34F6-4AC0-854F-348B4A976F21" data-identifier="naeb363eebeed">                                        </figure><br/><a href='https://note.com/just_crane7987/n/nd005ef219775'>続きをみる</a>]]></description>
      <note:creatorImage>https://assets.st-note.com/production/uploads/images/301209367/profile_47aa21ee0b425fe2579036b4b3dadff2.jpg?fit=bounds&amp;format=jpeg&amp;quality=85&amp;width=330</note:creatorImage>
      <note:creatorName>高舘美保子</note:creatorName>
      <pubDate>Wed, 28 Oct 2026 05:52:02 +0900</pubDate>
      <link>https://note.com/just_crane7987/n/nd005ef219775</link>
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      <title>「助けてください」と言える大人になる</title>
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      <description><![CDATA[<p name="2902181F-DCD5-40AE-9867-6FC9F1111634" id="2902181F-DCD5-40AE-9867-6FC9F1111634">絶望は、手段がなくなったときに訪れるのかもしれない。<br><br>苦しくても、「まだ、できることがある」と思える間は、人はどうにか今日をつないでいける。けれど、自分にできることを試し、力を使い果たし、もう何をすればいいのかわからなくなったとき、目の前の道が閉じてしまう。<br><br>でも、そのとき尽きたのは、自分が知っている手段なのかもしれない。<br><br>誰かの知恵を借りれば、別の方法が見つかることがある。誰かの手を借りれば、一人では動かせなかったことが動き始めることもある。<br><br>だから、自分の手段を尽くしたら、誰かの手段も借りていい。すべてを一人で試し終える前に、頼ってもいい。<br><br>子どもは、自分の苦しさや困りごとを、うまく言葉にできないことがある。何に困っているのか、助けが必要なのかさえ、わからないこともある。<br><br>だから、大人が気づく。<br>いつもと違う表情や、黙っている姿に目を向ける。<br>「どうしたの」と声をかけ、安全を守り、必要な助けにつなぐ。<br><br><b>子どもが助けを求められるようになるまで待つのではなく、大人の側から気づいて手を差し伸べる。それは、大人の責任なのだと思う。</b><br><br>一方、大人になると、自分から声を上げなければ、周囲に伝わらないことが増えていく。<br><br>平気そうに見えていても、本当は苦しい。<br>仕事をしていても、暮らしが立ち行かない。<br>笑っていても、心の中では途方に暮れている。<br><br>外から見える姿だけでは、その人の限界はわからない。<br><br>だからこそ、大人には、自分の状態を伝えることが必要になる。<br><br>「困っています」<br>「一人では、もう難しいです」<br>「助けてください」<br><br>その言葉を口にすることも、自分の命や暮らしを守るための、大切な行動なのだと思う。<br><br>私たちはいつの間にか、大人になることを、一人で何でもできるようになることだと考えてはいないだろうか。<br><br>人に迷惑をかけない。<br>自分のことは自分で何とかする。<br>つらくても、簡単には弱音を吐かない。<br><br>そうして踏ん張るうちに、頼ることまで、自分に禁じてしまうことがある。<br><br>けれど、<b>大人になるとは、自分の限界を知り、「助けてください」と言えるようになることでもある。</b><br><br>自分だけでは解決できないと認め、誰かの力を借りながら、次の一歩を探していく。その姿もまた、自分の人生を引き受ける姿なのだと思う。<br><br>ただし、「大人なのだから、自分から言うべきだ」で終わらせたくはない。<br><br>大人でも、声を上げられなくなることがある。助けを求めて傷ついた経験や、迷惑をかけたくないという思いが、言葉をのみ込ませることもある。<br><br><b>子どもには気づいて手を差し伸べる。<br>大人は自分から声を上げ、助けを借りる。</b><br><br>そのことを大切にしながらも、声にならない苦しさに気づこうとするまなざしは、誰に対しても持ち続けていたい。<br><br>「助けてください」と言う人がいる。<br>「話してくれてありがとう」と受け止める人がいる。<br>すぐに答えが見つからなくても、一緒に考える人がいる。<br><br>そんな関係の中で、人はもう一度、手段を見つけていけるのだと思う。<br><br><b>自分の力が尽きても、頼れる誰かがいる。<br>そして、誰かが困ったときには、自分もその一人になれる。</b><br><br>そんなふうに支え合えることを、大人であることの豊かさにしていきたい。</p><br/><a href='https://note.com/just_crane7987/n/n866820e3454e'>続きをみる</a>]]></description>
      <note:creatorImage>https://assets.st-note.com/production/uploads/images/301209367/profile_47aa21ee0b425fe2579036b4b3dadff2.jpg?fit=bounds&amp;format=jpeg&amp;quality=85&amp;width=330</note:creatorImage>
      <note:creatorName>高舘美保子</note:creatorName>
      <pubDate>Tue, 27 Oct 2026 04:48:55 +0900</pubDate>
      <link>https://note.com/just_crane7987/n/n866820e3454e</link>
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      <title>小さな声を大きくする――聞こえにくい声ほど、意識して聞く社会へ</title>
      <media:thumbnail>https://assets.st-note.com/production/uploads/images/320167958/rectangle_large_type_2_9396ed6940f3d57231dfa6542ca18efc.png?width=800</media:thumbnail>
      <description><![CDATA[<p name="DF4D31A2-4CFB-49A7-893A-4797F2D0C425" id="DF4D31A2-4CFB-49A7-893A-4797F2D0C425">社会では、「声を上げること」が大切だと言われます。<br><br>困っているなら相談してください。<br>意見があるなら言ってください。<br>助けが必要なら助けを求めてください。<br><br>もちろん、それは大切なことです。<br>けれど、ときどき思います。<br><br>本当に困っている人ほど、声を上げられないことがあるのではないか。<br><br>苦しみが深すぎて、言葉にならない人がいます。<br>何を困っているのか、自分でも整理できない人がいます。<br>助けを求めること自体が怖い人もいます。<br>何度も訴えたけれど聞いてもらえず、もう話すことを諦めてしまった人もいるでしょう。<br><br>つまり、<br><br><b>声の大きさと、受けている苦しみの大きさは一致しません。</b><br><br>ここを間違えてはいけないと思うのです。<br></p><h2 name="0F034AB8-81B3-47A8-B9FC-FE392A725746" id="0F034AB8-81B3-47A8-B9FC-FE392A725746">「同じように聞く」は、本当に公平だろうか</h2><br/><a href='https://note.com/just_crane7987/n/ne2cd43831a6e'>続きをみる</a>]]></description>
      <note:creatorImage>https://assets.st-note.com/production/uploads/images/301209367/profile_47aa21ee0b425fe2579036b4b3dadff2.jpg?fit=bounds&amp;format=jpeg&amp;quality=85&amp;width=330</note:creatorImage>
      <note:creatorName>高舘美保子</note:creatorName>
      <pubDate>Mon, 26 Oct 2026 06:57:57 +0900</pubDate>
      <link>https://note.com/just_crane7987/n/ne2cd43831a6e</link>
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    <item>
      <title>仏教の目的とソーシャルビジネスの目的― 苦を減らし、楽を増やし、その人自身が歩ける社会をつくる ―</title>
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      <description><![CDATA[<p name="2f739e2c-39a7-4ff5-97d2-add4e2fcf463" id="2f739e2c-39a7-4ff5-97d2-add4e2fcf463">仏教について学んでいると、時々、これは宗教の話というよりも「人がどう生きるか」「社会をどうつくるか」という実践の哲学なのではないかと思うことがあります。</p><p name="597db81d-efab-4363-818e-4feac0f5654f" id="597db81d-efab-4363-818e-4feac0f5654f">そして最近、特に強く感じるのが、仏教の目的とソーシャルビジネスの目的は、とてもよく似ているということです。</p><br/><a href='https://note.com/just_crane7987/n/n6cc84c021da7'>続きをみる</a>]]></description>
      <note:creatorImage>https://assets.st-note.com/production/uploads/images/301209367/profile_47aa21ee0b425fe2579036b4b3dadff2.jpg?fit=bounds&amp;format=jpeg&amp;quality=85&amp;width=330</note:creatorImage>
      <note:creatorName>高舘美保子</note:creatorName>
      <pubDate>Sun, 25 Oct 2026 06:17:39 +0900</pubDate>
      <link>https://note.com/just_crane7987/n/n6cc84c021da7</link>
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      <title>「頑張る」という言葉の二つの顔――我を張ることと、眼を張ること</title>
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      <description><![CDATA[<p name="F10AB213-E668-4392-BFC5-DDD7F75E9930" id="F10AB213-E668-4392-BFC5-DDD7F75E9930">私たちは日常の中で、何気なく「頑張る」という言葉を使っています。<br><br>「今日も頑張ろう」<br>「もう少し頑張って」<br>「よく頑張ったね」<br><br>励ましにも、感謝にも、自分自身を奮い立たせるときにも使う言葉です。<br><br>けれども、この「頑張る」という言葉の語源を調べてみると、興味深い二つの説に出会いました。<br><br>一つは「我を張る」。<br>もう一つは「眼張る」。<br><br>どちらも確定した語源ではありませんが、この二つを対比すると、人間の生き方について考えさせられます。<br></p><h2 name="95785C12-8149-48FD-9C83-3CAA974E0377" id="95785C12-8149-48FD-9C83-3CAA974E0377">「我を張る」――自分の内側にある意志</h2><br/><a href='https://note.com/just_crane7987/n/na9232835ad0e'>続きをみる</a>]]></description>
      <note:creatorImage>https://assets.st-note.com/production/uploads/images/301209367/profile_47aa21ee0b425fe2579036b4b3dadff2.jpg?fit=bounds&amp;format=jpeg&amp;quality=85&amp;width=330</note:creatorImage>
      <note:creatorName>高舘美保子</note:creatorName>
      <pubDate>Sat, 24 Oct 2026 06:33:13 +0900</pubDate>
      <link>https://note.com/just_crane7987/n/na9232835ad0e</link>
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      <title>「支援とは人生を編集してあげることではなく、本人に人生の編集権を返すこと」</title>
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      <description><![CDATA[<p name="10FDFE61-42CA-4124-97C7-05654B218053" id="10FDFE61-42CA-4124-97C7-05654B218053">支援の仕事をしていると、ときどき不思議な逆転が起こる。<br><br>その人のためを思えば思うほど、その人の人生をこちらが決めてしまう。<br>「こちらのほうが安全です」<br>「この仕事のほうが向いています」<br>「今はまだ難しいでしょう」<br>「こうしたほうが本人のためです」<br><br>どれも悪意から出た言葉ではない。<br>むしろ善意から生まれている。<br><br>だからこそ難しい。<br><br><b>善意は、ときに本人から人生の編集権を奪う。</b><br><br>人生は、完成された物語ではない<br>私たちは、自分の人生を生きながら、絶えずその意味を書き換えている。<br><br>あの失敗があったから今がある。<br>あの人と出会った意味が、十年後になってわかった。<br>あのとき遠回りしたから、見えた景色があった。<br><br>出来事そのものは変えられない。<br>しかし、その出来事が人生の中で持つ意味は変わる。<br><br>人生とは、出来事の集積であると同時に、<b>その出来事を何度も編集し直していく物語</b>なのだと思う。<br><br>だとすれば、人間にとって大切なのは、最初から「正しい人生」を歩くことではない。<br><br>自分の人生を、自分で編集し続けられることなのではないだろうか。<br></p><h2 name="8D3958C3-60CF-4F81-B6FA-83632C4A3AED" id="8D3958C3-60CF-4F81-B6FA-83632C4A3AED">支援者は、優秀な編集者になりすぎてはいけない</h2><br/><a href='https://note.com/just_crane7987/n/n10bcdbf2528b'>続きをみる</a>]]></description>
      <note:creatorImage>https://assets.st-note.com/production/uploads/images/301209367/profile_47aa21ee0b425fe2579036b4b3dadff2.jpg?fit=bounds&amp;format=jpeg&amp;quality=85&amp;width=330</note:creatorImage>
      <note:creatorName>高舘美保子</note:creatorName>
      <pubDate>Fri, 23 Oct 2026 04:51:03 +0900</pubDate>
      <link>https://note.com/just_crane7987/n/n10bcdbf2528b</link>
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      <title>敵と共生する――反対者とともに生きる社会</title>
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      <description><![CDATA[<p name="0B529E5E-5BDF-41FB-B062-1ACA1C20C00B" id="0B529E5E-5BDF-41FB-B062-1ACA1C20C00B">スペインの思想家、オルテガ・イ・ガセットに、とても印象的な言葉があります。<br>「<b>敵と共生する。反対者とともに統治する。」</b><br>一見すると、不思議な言葉です。<br><br>敵ならば排除したい。<br>反対する人がいれば、説得して自分の側に来てもらいたい。<br>私たちは、ついそう考えます。<br><br>けれどもオルテガが考えた自由主義の核心は、そこにはありませんでした。<br>大切なのは、相手を自分と同じ考えに変えることではない。<br><b>違うまま、一緒に生きること。</b><br>そこに自由な社会の難しさと価値があります。<br></p><h2 name="B81A1C64-A77E-45AC-A2A4-D57BFE097554" id="B81A1C64-A77E-45AC-A2A4-D57BFE097554">多数決だけでは、民主主義にならない</h2><br/><a href='https://note.com/just_crane7987/n/n37ffca876a9a'>続きをみる</a>]]></description>
      <note:creatorImage>https://assets.st-note.com/production/uploads/images/301209367/profile_47aa21ee0b425fe2579036b4b3dadff2.jpg?fit=bounds&amp;format=jpeg&amp;quality=85&amp;width=330</note:creatorImage>
      <note:creatorName>高舘美保子</note:creatorName>
      <pubDate>Thu, 22 Oct 2026 03:37:14 +0900</pubDate>
      <link>https://note.com/just_crane7987/n/n37ffca876a9a</link>
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    <item>
      <title>強い社会とは、壊れない社会ではない――また、つながり直せる社会へ</title>
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      <description><![CDATA[<p name="29023891-c7e1-4893-995a-2c43da83875c" id="29023891-c7e1-4893-995a-2c43da83875c">「強い人」と聞くと、どんな人を思い浮かべるでしょう。<br>何があってもへこたれない人。<br>一人でも頑張れる人。<br>失敗しても弱音を吐かない人。</p><p name="f50f8e3a-afbe-4b24-ad06-22ec0006ad5b" id="f50f8e3a-afbe-4b24-ad06-22ec0006ad5b">社会についても、私たちはどこか似たように考えてきた気がします。<br>災害が起きても壊れない。<br>経済が悪くなっても揺らがない。<br>何が起きても耐えられる。</p><br/><a href='https://note.com/just_crane7987/n/n994994a418f8'>続きをみる</a>]]></description>
      <note:creatorImage>https://assets.st-note.com/production/uploads/images/301209367/profile_47aa21ee0b425fe2579036b4b3dadff2.jpg?fit=bounds&amp;format=jpeg&amp;quality=85&amp;width=330</note:creatorImage>
      <note:creatorName>高舘美保子</note:creatorName>
      <pubDate>Wed, 21 Oct 2026 06:52:35 +0900</pubDate>
      <link>https://note.com/just_crane7987/n/n994994a418f8</link>
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      <title>一冊の本から、広がっていく優しいご縁</title>
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      <description><![CDATA[<p name="6C7CD80C-B0A1-4A9C-B30B-A8F61A7ECC71" id="6C7CD80C-B0A1-4A9C-B30B-A8F61A7ECC71">2021年、岩手医科大学附属病院の子どもたちへ本を届けることから始まった「象と花」。<br><br>小さな一歩は、多くの方々との出会いに恵まれ、本の寄贈だけでなく、さまざまな体験を届ける活動へと広がってきました。<br><br>振り返ると、そこにはいつも誰かの優しさと行動がありました。<br><br>一人ではできないことも、それぞれのできることを持ち寄れば、誰かの喜びに変わっていく。<br><br>本がつないでくれたご縁に、心からの感謝を込めて。<br><br>これまでの歩みを、ぜひご覧ください。<br></p><figure embedded-content-key="embe702a4826dca" embedded-service="note" data-src="https://note.com/zoutohana/n/n73853f90edaa" contenteditable="false" name="52F477D2-4CE0-435E-83C3-43CD38A5F697" id="52F477D2-4CE0-435E-83C3-43CD38A5F697" data-identifier="n73853f90edaa">                                        </figure><br/><a href='https://note.com/just_crane7987/n/na4b4fbc00123'>続きをみる</a>]]></description>
      <note:creatorImage>https://assets.st-note.com/production/uploads/images/301209367/profile_47aa21ee0b425fe2579036b4b3dadff2.jpg?fit=bounds&amp;format=jpeg&amp;quality=85&amp;width=330</note:creatorImage>
      <note:creatorName>高舘美保子</note:creatorName>
      <pubDate>Tue, 20 Oct 2026 03:35:16 +0900</pubDate>
      <link>https://note.com/just_crane7987/n/na4b4fbc00123</link>
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    </item>
    <item>
      <title>わかり合えないことから始まる共生――オルテガとレヴィ＝ストロースから考える多元生</title>
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      <description><![CDATA[<p name="A1069FFE-CAEB-45C8-94C4-2412A2CCE6D1" id="A1069FFE-CAEB-45C8-94C4-2412A2CCE6D1">「話し合えば、きっとわかり合える」<br>私たちは、この言葉をどこかで信じています。<br>もちろん、対話は大切です。<br>しかし、本当にすべての人とわかり合えるのでしょうか。<br><br>育った環境も違う。文化も違う。経験も違う。大切にしているものも違う。<br>どれだけ言葉を尽くしても、最後までわかり合えないことはあります。<br><br>だとすれば、共生とは「わかり合うこと」を前提にしないほうがいいのかもしれません。<br>むしろ、<br><b>わかり合えないところから、どう一緒に生きるか</b>。<br>そこから共生を考えてみたいのです。<br></p><h2 name="3E474B74-E4DF-4965-97EC-0B3F6A7063BB" id="3E474B74-E4DF-4965-97EC-0B3F6A7063BB">敵と共生する――オルテガ</h2><br/><a href='https://note.com/just_crane7987/n/nfeafbb1b7e7e'>続きをみる</a>]]></description>
      <note:creatorImage>https://assets.st-note.com/production/uploads/images/301209367/profile_47aa21ee0b425fe2579036b4b3dadff2.jpg?fit=bounds&amp;format=jpeg&amp;quality=85&amp;width=330</note:creatorImage>
      <note:creatorName>高舘美保子</note:creatorName>
      <pubDate>Mon, 19 Oct 2026 06:10:40 +0900</pubDate>
      <link>https://note.com/just_crane7987/n/nfeafbb1b7e7e</link>
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    </item>
    <item>
      <title>半径5メートルの善意――宮沢賢治が問いかける「世界ぜんたいの幸福」</title>
      <media:thumbnail>https://assets.st-note.com/production/uploads/images/324911191/rectangle_large_type_2_2ab31f6643f209d6a64de1a3991e3b81.png?width=800</media:thumbnail>
      <description><![CDATA[<p name="909ab865-9788-4c6d-9517-458dbc6711ce" id="909ab865-9788-4c6d-9517-458dbc6711ce">人は、目の前で困っている人には手を差し伸べることができます。</p><p name="d63190da-ffe1-4289-9422-89db9d34bbaf" id="d63190da-ffe1-4289-9422-89db9d34bbaf">家族や友人、職場の仲間。顔を知り、声を聞き、その人の暮らしを想像できる相手には、自然と優しくなれるものです。</p><br/><a href='https://note.com/just_crane7987/n/n9e40982a6647'>続きをみる</a>]]></description>
      <note:creatorImage>https://assets.st-note.com/production/uploads/images/301209367/profile_47aa21ee0b425fe2579036b4b3dadff2.jpg?fit=bounds&amp;format=jpeg&amp;quality=85&amp;width=330</note:creatorImage>
      <note:creatorName>高舘美保子</note:creatorName>
      <pubDate>Sun, 18 Oct 2026 06:32:53 +0900</pubDate>
      <link>https://note.com/just_crane7987/n/n9e40982a6647</link>
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    <item>
      <title>一冊のジャンプが守った日常――本屋は閉じても、物語は終わらない</title>
      <media:thumbnail>https://assets.st-note.com/production/uploads/images/323162771/rectangle_large_type_2_7db776048306e2529d5ef24d3f0f7a6f.jpg?width=800</media:thumbnail>
      <description><![CDATA[<p name="CDC2F13C-8AAB-4AB3-A46F-D65506EF8C1C" id="CDC2F13C-8AAB-4AB3-A46F-D65506EF8C1C">2011年3月11日、東日本大震災。<br><br>あの日、私たちの日常は突然失われました。<br>家がなくなり、学校に行けなくなり、昨日まで当たり前だった暮らしが、当たり前ではなくなりました。<br><br>そんな震災のさなか、仙台の小さな書店に、一冊の『週刊少年ジャンプ』が届けられました。<br><br>山形まで買いに行った人が譲ってくれたという、その一冊。<br><br>店主は子どもたちが自由に読めるようにしました。<br><br>100人以上の子どもたちが、一冊のジャンプを回し読みしたそうです。<br><br>食べ物でも、水でも、毛布でもない。<br>けれども、子どもたちには、どうしても読みたい物語の続きがあったのです。<br><br>私は、この話に胸を打たれました。<br><br>人間は、生き延びるためだけに生きているのではない。<br>明日を楽しみにすること。<br>好きなものに夢中になること。<br>友達と笑い合うこと。<br><br>そうした何気ない日常こそが、人間の生きる力を支えているのではないでしょうか。<br><br>震災のとき、岩手日報の一面に掲載された、縄跳びをする子どもたちの写真を思い出します。<br><br>十分にお風呂にも入れなかったのでしょう。<br>けれども、子どもたちの笑顔は、驚くほどキラキラしていました。<br><br>その姿を見たとき、私は涙が出ました。<br><br>あれほど大きな災害のなかでも、子どもたちは遊び、笑い、今日という日を生きている。<br><br>日常とは、何も起きないことではない。何が起きても、そこに生きる人たちが紡ぎ続けるものなのだ。<br><br>一冊のジャンプと、一本の縄跳び。<br><br>どちらも、歴史の教科書には大きく書かれない出来事かもしれません。<br><br>けれども、そこには確かに、生きることの本質があったと思います。<br><br>そして、あの日、子どもたちにジャンプを開放した書店は、長い歴史に幕を下ろしました。<br><br>本屋が一軒、街からなくなる。<br><br>それは単に、本を売る場所がなくなるということではありません。<br><br>誰かが知らない世界に出会う場所。<br>誰かの好奇心が育つ場所。<br>誰かが明日を楽しみにするきっかけを見つける場所。<br><br>そんな小さな文化の拠点が、街から一つ消えるということです。<br><br>けれども、私は思うのです。<br>本屋は閉じても、そこで生まれた物語は終わらない。<br><br>あの日、ジャンプを読んだ子どもたちは大人になっています。<br>その一冊が、どれほどの力になったのか、私たちにはわかりません。<br>それでも、あの日、物語の続きを読めた喜びは、確かに子どもたちの日常の一部になったはずです。<br><br>歴史というと、私たちは偉人や政治家、大きな出来事を思い浮かべます。<br>しかし、本当の歴史は、名もない人たちの日常によってつくられてきたのではないでしょうか。<br><br>遠くまで本を買いに行った人。<br>その本を子どもたちに差し出した書店の人。<br>順番を待ちながらページをめくった子どもたち。<br>縄跳びをして笑っていた子どもたち。<br><br>誰も歴史をつくろうなどとは思っていなかったでしょう。<br>ただ、目の前の誰かを思い、今日という日を生きていた。<br><br>歴史とは、名を残すことではなく、誰かの人生に何かを残すことなのかもしれません。<br><br>私は、本の仕事に携わりながら、改めて本の力を考えます。<br><br>本は、紙に印刷された文字の集まりではありません。<br><br>人と人をつなぎ、時間を超えて思いを届け、まだ見ぬ未来への扉を開くものです。<br>そして、その力は、本を届ける人、本を手渡す人、本を受け取る人によって生まれます。<br><br>一冊の本が、誰かの明日を支えることがある。<br><br>そのことを、震災のジャンプは教えてくれました。<br><br>私たちが守るべきものは、立派な建物や大きな事業だけではないのでしょう。<br><br>子どもが笑えること。<br>好きな本を読めること。<br>明日を楽しみにできること。<br><br>そんな当たり前の日常が、当たり前に続いていく社会。<br>そして、失われたときにも、誰かと一緒につくり直せる社会。<br><br>一冊のジャンプが守ったのは、子どもたちの楽しみだけではありません。<br>未来を楽しみにしてもよいという、人間の希望だったのだと思います。<br><br>本屋は閉じても、物語は終わらない。<br>あの日の子どもたちが、また誰かの日常を支えていく。<br><br>名もない人たちの小さな営みが、次の時代へと受け継がれていく。<br><br>私は、そんな歴史のつながりを信じています。</p><figure embedded-content-key="emb9234f42b6632" embedded-service="note" data-src="https://note.com/just_crane7987/n/n1cbae69ba004" contenteditable="false" name="CA41E434-1188-4557-959D-8CDBB2558CA2" id="CA41E434-1188-4557-959D-8CDBB2558CA2" data-identifier="n1cbae69ba004">                                        </figure><br/><a href='https://note.com/just_crane7987/n/n2e4a6412b869'>続きをみる</a>]]></description>
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      <note:creatorName>高舘美保子</note:creatorName>
      <pubDate>Sat, 17 Oct 2026 04:59:02 +0900</pubDate>
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      <title>世界の片隅で、縄跳びをする――どんなときも、日常は輝いている</title>
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      <description><![CDATA[<p name="AB98EC0D-53D9-48D9-9BC3-A10F1910B0EF" id="AB98EC0D-53D9-48D9-9BC3-A10F1910B0EF">人は、見たいものだけを見て、聞きたいことだけを聞く。<br>知らないことを知らない人が、すべてをわかっているかのように声を高くする。<br>そして、その言葉の中身よりも、声の大きさによって正しさが判断されてしまう。<br><br>そんな社会に、私はときどき言いようのない気持ちの悪さを覚える。<br><br>本当に物事を知ろうとすればするほど、簡単には断定できなくなる。<br>自分が知らないことの多さに気づき、異なる立場の人の声に耳を傾けようとする。<br>けれど、今の社会では、迷わず言い切る人の言葉が、慎重に考える人の言葉をかき消してしまうことがある。<br><br>声の大きさと、正しさは同じではない。<br>そして、声の大きさと、生きる強さもまた、同じではないのだと思う。<br></p><h2 name="26CC76B2-1D92-4ACC-8A55-F7E360716705" id="26CC76B2-1D92-4ACC-8A55-F7E360716705">世界の片隅にある日常</h2><br/><a href='https://note.com/just_crane7987/n/n1cbae69ba004'>続きをみる</a>]]></description>
      <note:creatorImage>https://assets.st-note.com/production/uploads/images/301209367/profile_47aa21ee0b425fe2579036b4b3dadff2.jpg?fit=bounds&amp;format=jpeg&amp;quality=85&amp;width=330</note:creatorImage>
      <note:creatorName>高舘美保子</note:creatorName>
      <pubDate>Fri, 16 Oct 2026 05:22:50 +0900</pubDate>
      <link>https://note.com/just_crane7987/n/n1cbae69ba004</link>
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      <title>間違える自由を保障しなければ、自己決定は成立しない</title>
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      <description><![CDATA[<p name="d86ac6d3-4ab3-42a8-996e-37b7fd4824e8" id="d86ac6d3-4ab3-42a8-996e-37b7fd4824e8">「本人の意思を尊重する」</p><p name="637029c2-d6b5-430a-b5ac-88445bb1fd9c" id="637029c2-d6b5-430a-b5ac-88445bb1fd9c">福祉でも、教育でも、医療でも、よく使われる言葉である。</p><br/><a href='https://note.com/just_crane7987/n/n55830ded7bab'>続きをみる</a>]]></description>
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      <note:creatorName>高舘美保子</note:creatorName>
      <pubDate>Thu, 15 Oct 2026 05:15:14 +0900</pubDate>
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