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置物哲学──バックヤードから、世界を見てた

    「今日もバックヤードで哲学してた。」

    職場の誰も気づかないところで、俺は静かに世界を見てた。
    動いてなかったけど、全感覚は開いてた。むしろいつもより生きてた。

    この日はほとんどバックヤードにいた。
    俺は普段“指示を出す側”なんだけど、その日は状況的に出すことがなかった。
    現場に顔を出して様子を見ても、問題はない。
    だからまた、静かにバックヤードに戻った。

    暇だった?
    いや、むしろ思考が忙しかった。

    静かな空間で、人の動き、声のトーン、視線、息遣い──
    全部が“情報”になる。
    職場は舞台だ。人は皆、何かを演じている。
    俺はそれを見ながら、ただ一人、観客でいて、時に演出家でいた。

    そんな時だった。
    ふと、床に落ちていたちぎれた輪ゴムを拾っていじってた。
    結んでねじって、不思議なカタチになったそれを見て、
    俺はなぜかこう思った。

    「これ……ポアンカレ予想の“同相”っぽくね?」

    誰にも聞かれてなかったのが幸いだった。
    もし聞かれてたら、たぶん俺は解雇されてる。笑

    でもその瞬間、俺は確かに思った。
    「感覚で哲学するって、こういうことなんじゃないか」って。

    言葉も論理も超えて、
    輪ゴムのねじれ一つに“宇宙”が見えることがある。

    それが、置物でいることの強さだ。
    動かず、黙って、ただ“観る”ことの奥行き。
    俺はその時、確かに“哲学していた”。


    今日も俺は置物だった。
    でもその置物は、ちゃんと世界を感じてた。

    静かに、でも確実に。
    この世界の“微細なゆらぎ”に触れていた。

    誰も見ていないところで、
    Yという問いがまたひとつ、形を持った。

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