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みうらじゅん:老いるショックのアウト老ムーブメント


    老いるショック→老けづくり→アウト老

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    みうらじゅん『ガロ』漫画デビュー作品「うしの日」

    Wiki ──高校時代から絵描きを目指し、2浪後に武蔵野美術大学に入学。在学中から友人が糸井重里の事務所に勤めていたため、特に何をするでもなく入り浸り、糸井が「タダでイラストを仕上げる奴がいる」と紹介し、カットの仕事をもらっていた。1980年に『ガロ』誌上でデビュー[2]。『ガロ』に持込をしたのは、他に掲載させてくれる雑誌はないと周囲に言われ判断したためだが、それでも当時編集長の渡辺和博の判断で何度もボツになった。デビュー作の「うしの日」も、一旦はボツになったが、その後、渡辺と親交の深かった糸井の「載せてあげれば?」の一言で掲載された[4]。初期の頃の画風は現在とは全く違い、デビュー前は和田誠を真似た絵だったので、ガロに持ち込みに行った時には渡辺和博に「和田誠って名前変えれば?」と言われた。それからひさうちみちおの絵を真似たり試行錯誤したことから、デビュー時は「ヘタクソなひさうちみちお」のような絵であった[5]。

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    画:ひさうちみちお

    ガロとの出会いは、小学生の頃に熱を出して学校を休んだ際、父親が貸本屋から希望してた『COM』と間違えて『ガロ』を借りてきてしまい、つげ義春の『ゲンセンカン主人』の温泉シーンで始まった(抜いた)と後年語っている[6]。

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    つげ義春「ゲンセンカン主人」『ガロ』掲載

    【還暦過ぎたらみんな同い年】「人生の3分の2はいやらしいことを考えてきた」|“アウト老”のすすめ|死ぬまでに“センズリ”をしたい|高齢者に将来の話をするな|第一声は「エロで!」

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    映画『瘋癲(ふうてん)老人日記』原作:谷崎潤一郎
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    追記:僕の投稿(Youtubeアカウント禁止のためYoutubeにかつて僕が投稿したものは全て削除されてしまったのだけれど、幸い「いいね」されるとGoogleメールに履歴が送られて来たので、投稿がGoogleメールに残っていた。)

    4:07 「ガロ」がこのように改めて解説されなければならない時代なんだな〜と思うと、思わず苦笑してしまいます。「ビートルズ」も若い人々には説明しなけれならなくなっている時代なので当然かも知れませんが…。因みに“ガロ”系と対照されるライバル漫画雑誌が“COM"系でした。手塚治虫先生の「火の鳥」がこの雑誌に連載されていたことで有名ですが、他に永島慎二先生「フーテン」や宮谷一彦先生「性蝕記」も僕は好きでした。 説明にあるように「ガロ」は多くの漫画家を排出しましたが、出ていない名前としては「ひさうちみちお」先生がいます。彼の性的嗜好は丸尾先生と通底するところが多いと感じるのですが、彼が描く女性像が僕はとても好みです。いずれ特集していただければ幸いです。 因みに、僕のピンタレストには「蛭子能収」先生の画像を多く収集していますが、アナウンサー・女優&エッセーイストである楠●枝里子さんが僕の所から画像を大量に持っていかれましたので、彼女も“好き者”なんだな〜と思い、にんまりしてしまいましたw 僕が所蔵している『少女椿』は初版1984年で1986年発行の第3版です。短編の「少女椿・水子編」は『キングギドラ』に収録されています。 当時演劇関係の友人が多くて、丸尾末広先生の作品の中で僕が特に好きで読むように奬めていたのが、『薔薇色ノ怪物』所収の、「童貞厠かわや之助」でした。僕にはスカトロ趣味はありませんが、哀愁漂う切ないあの感じが好きだったのです。因みに「俺の名はマイナス 童貞厠之助」は『DOT』の方に収録されています。

    巨人の星・編

    あしたのジョー・編
    ブルース・リー・編

     
     
    小比塚アンデン:ソフィアシューレ主催、『あ論』主幹。no-test、no-nukest、now-here man。旭川東高・上智大哲学科卒、法政大大学院で社会学修士号取得。英語指導の経歴:高校教師・進学塾学務主任・(昔、業者テストを手掛けていた会社の)通信教育テキスト執筆 。

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