
困り続けてきた座右の銘は、いったんこれかもしれない②
座右の銘シリーズ第2弾。以前書いた記事の続き。
上善水の如し
《「老子」八章から》最高の善は水のようなものである。万物に利益をあたえながらも、他と争わず器に従って形を変え、自らは低い位置に身を置くという水の性質を、最高の善のたとえとしたことば。
川を流れる水のように自然の成り行きに身を任せよう。
自分の考えを曲げずに貫き通す人を、カッコいいと思う。アニメや映画を見ていても、そういう主人公が出てくるとつい好きになってしまう。
でもこの言葉に出会って、流れに身を任せるのもいいのではないか? と感銘を受けた。
もしかしたら、ある人からは「それは自分がない」と言われるのかもしれない。
でも人生において、貫き通してもうまくいかないことは多い。少なくとも私は多かった。
自分に関係する人たちの考えは千差万別で、自分の常識が通じないことは多々あって、それぞれが常識をぶつかり合わせることで諍いが生まれる。平行線の議論が止まらない。そんなことが、特に仕事の場面ではとっても多かった。
それならば、川にプカプカと浮かぶように自分を自然の流れに身を任せてみたらどうだろうか。もちろん、それで疲弊することもあるかもしれない。大きな器が必要だろう。
でも、その疲弊すらも受け入れる。世界はそんなものなのかもと、川に浮かびながら空を眺める。来たものに対して、水のように形を変え続ける。
そんな心境になれた方が幸せかもと思った言葉。
ということで、「急がば回れ」「上善水の如し」を座右の銘に生きる毎日。でも、素敵な言葉に出会ったら、どんどん変えていくと思う。それこそがまさに、上善水の如し、だと思う。