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【巻末解説】『海の城 海軍少幎兵の手蚘』【解説犏間良明】

    戊埌79幎、蚘憶が遠くなる䞭で、先の倧戊で倱われた人々の痛みず悲しみを、私たちはどのように聞き取るこずが出来るのか 倧日本垝囜海軍の内郚を舞台に、䞀海兵の苊闘を描いた孀高の戊蚘文孊から考える。
    7月10日に発売される角川新曞『海の城 海軍少幎兵の手蚘』より、巻末解説を特別公開したす。


    解説 「倩皇ぞの問い」の起源――「海䞊の城塞」の閉鎖性ず暎力 

    犏間良明歎史瀟䌚孊

    元蟲民兵ず海の「内務班」
     1960幎代末、日本戊没孊生蚘念䌚第二次わだ぀み䌚は、倧きく揺れおいた。戊没孊埒遺皿集『きけ わだ぀みのこえ』1949幎の刊行を契機に生たれたこの反戊思想団䜓には、安田歊をはじめずする孊埒兵䞖代戊䞭掟の文化人が倚く集っおいた。圌らは、共産党の内玛に翻匄された第䞀次わだ぀み䌚ぞの反省から、政治䞻矩ずは䞀定の距離を眮き、戊争䜓隓そのものを突き詰めお思考しようずした。それに察し、若い䞖代は苛立ちを隠さなかった。「政治の季節」を生きおいた圌らからすれば、戊䞭掟は戊争䜓隓に閉じこもるばかりで、思想的・政治的有効性を顧みようずもしない存圚だった。シンポゞりムや総䌚は、たびたび非難の応酬の堎ずなった。1969幎5月のわだ぀み像砎壊事件立呜通倧孊は、これに拍車をかけ、䌚は空䞭分解の状態に陥った。
     その埌、わだ぀み䌚第䞉次で事務局長を匕き受け、立お盎しを担ったのが、枡蟺枅である。枡蟺枅は、『砕かれた神』1977幎・『私の倩皇芳』1981幎などで、昭和倩皇の戊争責任を厳しく問うたこずで知られる。第䞉次わだ぀み䌚でも、機関誌で蚈11回にわたり「倩皇問題」を特集した。
     もっずも、枡蟺の経歎は、わだ぀み䌚ではやや異質だった。この䌚は『きけ わだ぀みのこえ』にちなむだけに、そこに集った戊䞭掟の倚くは元孊埒兵であり、戊時期に垝囜倧孊や私立倧孊などで高等教育に觊れおいた。それに察し、枡蟺は高等小孊校を出た埌、海軍に志願で入隊した元「蟲民兵」だった。
     枡蟺は、1925幎に静岡県富士郡䞊野村粟進川珟富士宮垂の蟲家の二男ずしお生たれた。生家は自䜜蟲ではあったが、富士山麓の蟲地は瘊せおおり、蟲閑期の出皌ぎなしには生蚈が成り立たなかった。高等小孊校では孊業優秀で、教垫は枡蟺に旧制䞭孊ぞの進孊を熱心に勧めたずいう。だが、家庭の経枈状況から、それはあきらめざるを埗なかった。
     半ばその代わりずしお遞んだ進路が、海軍であった。「俺みたいな癟姓の子だっお兵隊になりゃ偉くなれるんだ」「囜を守り倩皇陛䞋に尜せるのは兵隊だけなんだ」「兵隊で死ねば俺みたいなや぀でも倩皇陛䞋がお詣りしおくれる靖囜神瀟の神様になれるんだ」――こうした思いが、その動機だった枡蟺枅『私の倩皇芳』蟺境瀟、1981幎。枡蟺は16歳で海軍に志願し、二等氎兵ずなった。
     枡蟺は戊艊歊蔵に乗り組み、マリアナ海戊やレむテ沖海戊に参加しおいる。戊艊歊蔵はレむテ沖で撃沈されたが、枡蟺はそこで奇跡的に生還を果たした。その凄惚な䜓隓は、『戊艊歊蔵の最期』1971幎、角川新曞版に再録に詳らかに綎られおいる。
     ずはいえ、枡蟺が経隓したのは、戊闘だけではなかった。そもそも、戊艊は垞時戊闘に埓事しおいるわけではない。海䞊を航行したり、蚓緎にあたったり、枯に停泊するなど、盎接的な戊闘から離れおいる時間のほうが、圧倒的に倚い。だが、そのようなずきでも、乗組員たちは䞀時的な「䞊陞」などを陀いお、艊を離れるこずはできない。逃げ堎のない戊艊は、陞軍で蚀えば「内務班」のようなものだった。
     そこでの枡蟺自身の䜓隓を䞋敷きにしお、「軍艊の内郚をできるだけありのたたに曞こうず努めた」のが、本曞『海の城』である。戊艊倧和ず同型艊の歊蔵本曞では戊艊播磚ずの架空艊名で衚蚘は、「䞍沈艊」ずされる頑匷な「城」だった。だが、その頑匷さは倖敵に察しおのものだけではない。氎兵らを艊内に閉じ蟌め、さたざたな抑圧から逃れられない空間をも、生み出しおいた。本曞は、圓時の軍事技術の粋を集めた「海の城」の内郚で再生産される暎力の構造を、䜙すずころなく描いおいる。
     
    鉄の閉鎖性ず抑圧の移譲
     軍隊のなかでは、私刑は犁じられおいた。だが、艊内では、「教育」に名を借りた暎力が、暪行した。䞋士官や兵長らは、末端氎兵のささいな過倱をずらえお、あるいは捏造さえしお、日垞的に凄惚な暎力を振るった。甲板敎列では、バットのような棍棒が新兵らの臀郚めがけお幟床も振り䞋ろされた。倒れお起き䞊がれなければ、殎り蹎られ、気を倱えば、海氎をぶっかけお起こされおは、再び棍棒が芋舞われる。ずきに鉄のチェヌンやグランゞパむプ消火ホヌスの先に付いおいる金具が甚いられるこずさえあった。
     それは、叀幎兵や䞋士官らの憂さ晎らしでしかない。進玚が遅れる。倖出が取り消される。䞊官から𠮟責される。その苛立ちは、無抵抗な新兵に向けられた。暎力が䞊官から䞋玚者ぞず順に振り向けられ、「䞊官の呜を承るこず実は盎に朕か呜を承る矩なりず心埗よ」軍人勅諭ずの論理でもっお、正圓化される。最末端の氎兵たちは、その环積された暎力をひたすら匕き受ける存圚だった。「究極的䟡倀たる倩皇ぞの盞察的な近接の意識」のゆえに「䞊からの圧迫感を䞋ぞの恣意の発揮によっお順次に移譲」する「抑圧の移譲」を、そこに芋るこずができる䞞山眞男『超囜家䞻矩の論理ず心理』岩波文庫、2015幎。
     もっずも、圌らも暎力のはけ口を持たないわけではない。叀幎兵や䞋士官らも、か぀おは最末端の氎兵だった。䞊官の理䞍尜な暎力を、ただひたすら耐え忍んできた。だが、幎月が経ち、圌らは新兵の䞊に立぀身分ずなった。ひたすら溜め蟌んだ「抑圧」は、ようやく移譲する察象を芋出したのである。

     別段こっちに殎られる理由があるわけじゃない。理由はむこうが勝手に぀くっおおし぀けおくる。「倪錓は叩けば叩くほどよく鳎る、兵隊は殎れば殎るほど匷くなる」ずいうわけだ。むろんそこには䞋士官、兵長たちの「うらみ返し」もある。圌らもか぀お「若い兵隊」だったころ散々殎られおきたが、殎られっぱなしじゃ気がすたない。そのうらみ぀らみは、い぀か晎らさなくちゃならない。そしお、いたになっおやっずその爆発の機䌚が圌らに䞎えられたのだ。こころに䜕の痛みもなく、平気でひずを殎るこずができるのは、自分もか぀お同じような目にあわされた䜓隓が根にあるからなんだ。

     ここに䜜動しおいるのは、「抑圧の移譲」の無限ルヌプである。
     本曞では「性暎力」にも觊れられおいる。軍艊のなかは「男」だけの瀟䌚である。海䞊航行䞭の閉鎖的な軍艊では、ヘテロセクシャルな性欲を満たす機䌚はほがない。そのはけ口も、しばしば新兵に向けられた。抵抗できない若い氎兵を物陰で抌さえ぀け、口を封じ、「女」の代替ずしお扱うこずもないわけではなかった。

    「顕地」ずいう断絶
     これらの暎力は、ずきに兵士たちの呜を奪うものでもあった。班長のレむプを受けた氎兵は、甲板敎列で、酒に酔った兵長から箍の倖れた暎力を受け、泡たじりの血を吐きながら死亡した第五章‐。別の氎兵は、䞀時垰郷で実家に戻った際に山䞭で自殺する。生き地獄のような軍艊生掻に耐えかねおのこずだった第九章‐。
     だが、こうした事態を招いた責任が問われるこずはない。甲板敎列で氎兵をなぶり殺した兵長は、軍法䌚議にかけられるこずもなく、軜埮な蚓戒凊分で枈たされた。兵長のみならず、艊䞊局郚の責任も問われかねないうえに、連合艊隊の旗艊「播磚」の名誉をも傷぀けるこずになる。それを避けるための措眮だった。
     加えお、その兵長はほどなく䞋士官に進玚した。本来であれば進玚察象から倖されるはずであったが、事件時には、すでに艊長が進玚の掚薊リストを鎮守府に提出しおいた。事埌になっおそれを撀回するこずは、事件が艊倖に公になるこずを意味する。それを防ぐ意味合いもあっお、圓該兵長は「進玚」のたたにされたのである第六章‐。
     こうした「無責任の䜓系」に察する枡蟺の怒りも、本曞には綎られおいる。

     䞊のや぀ら、口じゃえらそうなこずを蚀ったっお、いよいよずなるず自分のこずしか考えないんだ。死んだや぀なんかどうだっおいい、埡身倧切ずいうわけよ。ふん、これじゃ江南〔殎殺された氎兵〕のや぀はたすたすうかばれなくなる、可哀想によお。

     もっずも、死亡した氎兵に「名誉」が䞎えられなかったわけではない。鎮守府ぞの提出曞類では「戊病死」ずされ、その通䟋に則っお䞀階玚進玚の措眮が取られた。だが、それも責任の所圚を芆い隠すものでしかなかった。
     垰郷䞭に自殺した氎兵をめぐっおは、組織の責任は議論の俎䞊にさえのがらず、本人の「匱さ」ず「䞍忠」が糟匟された。怜芖に来た憲兵は、遺䜓にかけられた莚を匕きはがし、遺族のたえで「この䞍忠者、囜賊  」ず眵りながら、遺䜓を長靎で幟床も蹎り䞊げた。 枡蟺のこうした蚘述から思い起こされるのは、橋川文䞉の論考「靖囜思想の成立ず倉容」1974幎である。橋川は1970幎前埌の靖囜神瀟囜家護持運動を念頭に眮きながら、こう述べおいる。

     靖囜を囜家で護持するのは囜民総䜓の心理だずいう論法は、しばしば死に盎面したずきの個々の戊死者の心情、心理に察する思いやりを欠き、生者の埡郜合によっお死者の魂の姿を勝手に描きあげ、芏制しおしたうずいう政治の傲慢さが芋られるずいうこずです。歎史の䞭で死者のあらわしたあらゆる苊悶、懐疑は切りすおられ、封じこめられおしたいたす。

    『橋川文䞉著䜜集』筑摩曞房、1985幎

     靖囜合祀をはじめ、死んだ兵士らを顕地する動きは、いたもなお小さくはない。だが、死者を矎化するこずは、死者に寄り添うのではなく、むしろ、死の間際の憀りや苊悶から目を背け、郜合よく口を封じるこずにほかならない。そこには、死者ぞの謙虚さを欠いた生者の傲岞さこそが、浮かび䞊がる。殎殺された先の氎兵が「戊病死」扱いにされ、䞀階玚進玚の措眮がずられたのは、たさに、これを裏打ちする。
    それは、氎兵の自殺を招いた組織病理を顧みるこずなく、遺䜓を蹎り䞊げる軍のありようずも、通じおいる。自殺した氎兵は靖囜に祀られるこずはないが、その憎悪や絶望を顧みない点で、靖囜合祀の顕地のロゞックず等䟡である。
     
    「忠誠」から「反逆」ぞ
     海軍の䞍条理に盎面するなか、枡蟺の胞䞭から「぀き぀めた熱っぜさ」が消えおいった。枡蟺本曞のなかでは北野信次䞊等氎兵は、入団前日の日蚘に「私ハ愈々明日垝囜海軍ノ䞀員トシテ皇囜ノ海ノ守リニ就キマス。コノ䞊ハ醜ノ埡楯トシテ粉骚砕身、尜忠報告ノ誠ヲ尜ス芚悟デアリマス」ず蚘すなど、今埌の軍隊生掻に期埅感ず高揚感を抱いおいた。だが、海兵団での新兵教育は、「毎日あけおもくれおも、䞍動の姿勢、敬瀌、敎列、かけ足、眵倒、殎打、それに、うぐいすの谷枡り、食卓のおみこし、ミンミン蟬、電気颚呂など、卑劣きわたる眰盎」の連続だった。艊隊勀務ずなっおも、そこに倉化はない。軍隊生掻ぞの憧れが幻滅に倉わるのに、さしたる時間を芁しなかった。
     それでも、倩皇ぞの「忠誠心」が揺らぐこずはなかった。

     むろんいたのおれには、このずき〔入団盎前〕のような぀き぀めた熱っぜさはもうなくなっおいる。火を萜したボむラヌみたいに、ずうに醒めおしたっおいる。けれども、「倩皇ぞの忠誠」だけは、いたもその倧根のずころは倉っちゃいない。なにもかも茫々ず倉っおしたったが、その䞀点だけは、埋れ火のように残っおいる。おれがこの生き地獄のような軍艊の生掻生掻ずいえるかどうかは別ずしおにじっず耐えおいるのも、もずはずいえばそのためである。なにごずも倩皇のため  。それはいわばおれの初心だ。痎の䞀念だ。おれはそこに党身の重みをかけ、いのちを賭けおいる。

     こうした情念を胞に迎えたのが、1944幎10月のレむテ沖海戊である。枡蟺が乗船しおいた戊艊歊蔵は、そのなかで撃沈され、枡蟺も䞀床は海に沈んだ。だが、船䜓の氎䞭爆発で海面にたで匕き䞊げられ、奇跡的に生き延びた。枡蟺は艊が沈む際の阿錻叫喚ず無秩序を、『戊艊歊蔵の最期』のなかで、以䞋のように蚘しおいる。 

     露倩甲板に䞊がっおみるず、ここも逃げたどっおいる生存者でごったがえしおいた。仄暗い倜の空気をゆり動かしお、青ざめた顔や恐怖におののいた声が韍巻のようにどよめいおいた。䞊衣を脱いだたた、思案にくれお舷偎をいったり来たりしおいるもの、䞡手を口にあおお倧声で班員をかき集めおいる䞋士官、䞋のハッチから釣り床をひっぱりだしおいるもの、少しでも浮力を぀けようず、カラの氎筒を腰のバンドに巻き぀けおいるもの、四、五人で䞀枚の道板を抱えお転げるように埌甲板ぞ駈けおいくものもある。
     そこにはもう軍芏も階玚もない。いたがいたたで保たれおいた艊の秩序はなかった。乗員を動かしおいるのは、もはや艊長ではなく、血も凍るような死の恐怖だった。 

    枡蟺枅『戊艊歊蔵の最期』角川新曞、2023幎


     だが、非戊闘時ず戊闘時に、これらの凄惚な䜓隓を経ながらも、枡蟺の倩皇厇拝の念は倉わらなかった。それが䞀気に厩れ去ったのは、終戊しお埩員埌に、昭和倩皇ずマッカヌサヌが䞊んだ蚘念写真1945幎9月を新聞で目にしたずきだった。そのずきの激しい憀りを、枡蟺はのちに「少幎兵における戊埌史の萜䞁」1960幎、『私の倩皇芳』所収のなかで、こう蚘しおいる。

     僕はすべおを倩皇のためだず信じおいたのだ。信じたが故に進んで志願たでしお戊堎に赎いたのである。〔䞭略〕それがどうだ、敗戊の責任をずっお自決するどころか、いのちからがら埩員しおみれば、圓の埡本人はチャッカリ、敵の叞什官ず握手しおいる。〔䞭略〕厚顔無恥、なんずいうぬけぬけずした晏劂たる居盎りであろう。
     僕は、矞恥ず屈蟱ず吐きすおたいような憀りに息が぀たりそうだった。それどころか、いたからでも飛んでいっお宮城を焌き払っおやりたいず思った。あの壕の束に倩皇をさかさにぶら䞋げお、僕らがか぀お棍棒でやられたように、滅茶苊茶に殎っおやりたいず思った。いや、それでもおさたらない気持だった。できるこずなら、倩皇をか぀おの海戊の堎所に匕っぱっおいっお、海底に匕きずりおろしお、そこに暪たわっおいるはずの戊友の無残な死骞をその目に芋せおやりたいず思った。これがあなたの呜什ではじめられた戊争の結末です。こうしお䞉癟䞇ものあなたの「赀子」が、あなたのためだず思っお死んでいったのです。耳もずでそう叫んでやりたい気持だった。

    「少幎兵における戊埌史の萜䞁」1960幎、『私の倩皇芳』所収

     倩皇に察しおこれほど激しい怒りを抱いたのは、逆説的ながら、倩皇ぞの匷固な厇拝の念があったがゆえのこずだった。「すべおを倩皇のためだず信じおいた」ずいう思いがなければ、倩皇に「裏切られた」ずの憀りを芚えるこずもあり埗ない。甲板敎列の暎力や戊艊歊蔵撃沈時の凄惚な䜓隓を経おもなお倉わらぬ倩皇厇拝の節さがあったがゆえに、倩皇を苛烈に批刀し、その責任を突き詰めお思考するに至ったのである。のちに、日本戊没孊生蚘念䌚事務局長ずなった枡蟺が、機関誌で「倩皇問題」特集を頻繁に組んでいく起点も、ここにある。
     
    自己ぞの問い
     もっずも、枡蟺の議論は、単に昭和倩皇の責任を問うだけではなく、自らの責任、ひいおは兵士や䞀般囜民の責任をも問うものであった。枡蟺は、埩員埌を扱った自䌝的小説『砕かれた神』1977幎のなかで、「おれは倩皇に裏切られた。欺された。しかし欺されたおれのほうにも、たしかに欺されるだけの匱点があったのだず思う」「倩皇を責めるこずは、同時に倩皇をかく信じおいた自分をも責めるこずでなければならない」ず綎っおいる枡蟺枅『砕かれた神』岩波珟代文庫、2004幎。
     こうした姿勢は、実際の行動に぀いおの責任ばかりではなく、状況が違えば自らが犯したかもしれない眪をも思い起こさせた。枡蟺は、同曞のなかで、䞭囜戊線で数十人もの珟地䜏民を斬殺し、匷姊したこずを誇らしげに語る近隣の埩員兵に批刀的に蚀及しながら、「たしかにおれは盎接支那の戊線には出なかった。〔䞭略〕だがもしそこに居合わせたら、おれだっお䜕をしでかしたかわからない」ず蚘しおいる。
     そのこずは、『海の城』の戊艊播磚においお、氎兵らに凄惚な暎力を振るった䞋士官や兵長らに重ねお芋るこずもできよう。圌らも海軍に入っお間もない頃は、䞊官の暎力をひたすら堪え忍ぶだけの存圚だった。こうした経隓は、暎力を憎悪するのではなく、暎力を振るう矛先を芋出すこずに぀ながった。その察象が、新たに入団した新兵たちだった。先の埩員兵にしおも、暎力のはけ口を求めた点で、重なり合うものがある。そこに、䞞山眞男「超囜家䞻矩の論理ず心理」1946幎の以䞋の文蚀を思い起こすこずは容易であろう。

     曎にわれわれは、今次の戊争に斌ける、䞭囜や比埋賓での日本軍の暎虐な振舞に぀いおも、その責任の所圚はずもかく、盎接の䞋手人は䞀般兵隊であったずいう痛たしい事実から目を蔜っおはならぬ。囜内では「卑しい」人民であり、営内では二等兵でも、䞀たび倖地に赎けば、皇軍ずしお究極的䟡倀ず連なる事によっお限りなき優越的地䜍に立぀。垂民生掻に斌お、たた軍隊生掻に斌お、圧迫を移譲すべき堎所を持たない倧衆が、䞀たび優越的地䜍に立぀ずき、己れにのしかかっおいた党重圧から䞀挙に解攟されんずする爆発的な衝動に駆り立おられたのは怪しむに足りない。

    䞞山眞男「超囜家䞻矩の論理ず心理」1946幎

     軍隊のなかでは、暎力を振るわれる偎ず振るう偎の距離は、意倖に小さい。倩皇批刀の延長で、自らの「責任」をも問う枡蟺の議論は、暎力が生み出されるメカニズムを盎芖しようずするものでもあった。
     
    「海の城」ずいう起点
     枡蟺は、これらの思玢を『私の倩皇芳』『砕かれた神』などに綎っおいたが、その起点にあるのが、海軍での䜓隓をもずにした『戊艊歊蔵の最期』ず本曞『海の城』である。
     もっずも、本曞に蚘されたすべおが、枡蟺が目にし、䜓隓したものだったわけではない。新兵の殎殺事件ぞの察応をめぐっお、艊䞊局郚や軍医らの「密談」の堎面も描かれおいるが、むろん、そこに䞀氎兵に過ぎなかった枡蟺が同垭するなどずいうこずはあり埗ない。珟に、枡蟺も本曞の冒頭で「私の四幎䜙にわたる海軍での䜓隓が䞻であるが、なかには間接に他艊の乗組員から聞いた事件なども含たれおいる」ず断っおいる。
     だずしおも、そこで描かれおいるのが、末端の氎兵から芋た海軍の実像だったこずは疑えない。枡蟺自身も、「文䞭にあるような出来事は、倚かれ少なかれ、どの艊にもあったずみお差支えない」ず蚘しおいる。枡蟺個人の䜓隓に加えお、戊死した他の氎兵たちの䜓隓や情念をも刻み蟌もうずしたのが、本曞である。戊艊歊蔵をモデルにし぀぀、実圚しない「播磚」を舞台ずしたのも、そのゆえだった。
     こうした戊争䜓隓を振り返るうえで、枡蟺が「有効性」から距離を取ろうずしおいたこずも、抌さえおおくべきだろう。枡蟺枅は1967幎の座談䌚で、「戊埌掟の若い人達は思想をい぀も䜕か有効性においお枬っおいこうずするように思う。その点僕はい぀もひっかかるんです。それは僕の戊争䜓隓からくる思想の空しさみたいなものだろうず思う。有効性で枬ろうずするず案倖もろいのではないかず思うわけです」ず語っおいた座談䌚「戊蚘物ブヌムを考える」『わだ぀みのこえ』第䞉九号、1967幎。
     ベトナム反戊運動や倧孊玛争、沖瞄返還問題が焊点化されるなか、政治的な有効性の芳点から戊争䜓隓を読み蟌もうずする動きは、顕著に芋られた。だが、枡蟺はそれに違和感を芚えた。有効性やわかりやすさ、心地よさから距離を取りながら、末端の兵士の䜓隓や情念にどう向き合うのか。そこから倩皇、軍組織、ひいおは兵士や䞀般囜民の責任や暎力の構造をどう捉え返すのか。本曞『海の城』は、枡蟺枅ずいう「蟲民兵」の思想家の起点をなすものである。



    曞誌情報

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    䜓眰、いじめ、私的制裁  海戊史に埋もれたもう䞀぀の「戊争」を描く
    「どうせ、  い぀かはお互いに、戊堎で死んでしたうんだ、それなのに  それなのに  」
    志願兵ずしお「䞍沈艊」に乗り組んだ少幎・北野が盎面した海軍の珟実ずは? 1943幎春、いただ戊火から遠い播磚(歊蔵をモデルずした架空の船)はトラック島ぞ入枯、同型艊倧和から連合艊隊旗艊を匕き継ぐこずになる。垝囜海軍の旗印ずしお聳え立぀「海の城」の䞊では、法倖な私的制裁、理䞍尜な眰盎、性的虐埅が暪行しおいた。北野たち新兵は、剥き出しの暎力を必死に切り抜けるが、やがお同胞の呜を倱うこずに  。銃火も爆撃もない、知られざる地獄を描く無二の戊蚘文孊、埩刊

    ◆毎日のように甲板に敎列させられ、棍棒で殎られる
    ◆自殺した同胞の遺䜓に暎行する憲兵
    ◆同幎兵同士を殎らせ合う「察向ビンタ」

    䜜品名海の城 海軍少幎兵の手蚘
    著 者 枡蟺 枅
    䟡 栌1,540円皎蟌
    発売日2024幎07月10日
    I S B N978-4040825106

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    KADOKAWA文芞WEBマガゞン「カドブン」https://kadobun.jp/のnote出匵所です。2025幎2月26日に「カドブン」サむトが埩旧したした。今埌は埩旧したサむトに拠点を戻し぀぀、「本ずの出䌚いのきっかけ」ずなるような情報を発信しおたいりたす。お楜しみに