
カフカ『巣穴』と創作の秘密(試し読み版)
『巣穴』 創作の原動力としての「敵」 (村上)
一 『巣穴』のテクストについて
一九二三年九月二四日、カフカは同年七月にバルト海岸ミューリッツにて知り合ったユダヤ人女性ドーラ・ディアマントとベルリンで暮らし始める。『巣穴』はその年の一一月末から翌年一月末にかけて執筆された。その大部分は一二月末前までには書かれていたとも推測されている。この物語テクストは一六枚の手稿の束から成る未完の断片であり、カフカの生前には出版されていない。手稿に表題はなく、『巣穴』というタイトルはカフカの死後遺稿の出版に踏み切った友人マックス・ブロートによってつけられた。本稿でもこのテクストをブロートに従って『巣穴』と呼ぶ。
物語は地中に穴を掘って暮らすアナグマのような動物の独白体として進む。テクスト自体に章の区分はないが、本稿では便宜上、主人公の場所移動に伴いテクストを三つの部分に分ける。第一部は主人公が巣穴内部からその構造を説明する部分(576-590)。ここでは、巣穴ならびに主人公自身を破滅させるかもしれない「敵」の存在についても語られる。巣穴はそのような「敵」の目を欺き静寂と平安を保つために多数の通路および小広場から構成され、食糧の備蓄場所として「城塞広場」と呼ばれる主要広場を持つ。主人公は時おり備蓄場所を分散すべきかどうか思い悩み、右往左往する。そのような時を過ごした後には、巣穴を一旦離れ外界へ遠足に出かけるという。第二部は巣穴外部から巣穴を観察する部分(590-602)。この観察により初めは巣穴の安全を確信するが、自分が内部にいない状態での安全が無意味であることに気づき、巣穴に戻ろうとする。但し、主人公はここでも狐疑逡巡を繰り返す。あれこれの危険を想定し、信頼できる協力者の存在を夢想するものの、結局信頼できるのは自分と巣穴だけだという結論に至り、疲労のあまり半ば放心状態でようやく巣穴内部に戻る。第三部は巣穴に帰還後、原因不明の「雑音」に悩まされる部分(603-632)。内部の点検中に眠りに落ちた主人公は、「シューシューという音」で目覚める。主人公は巣穴のあちこちを掘り返しながら、この音の原因について様々な可能性に思いを巡らす。
このテクスト全体に浸透しているのは、言いようのない「不安」である。このことはまず、『巣穴』執筆当時のカフカの個人的な「不安」と無関係ではないだろう。当時のカフカは両親の住むプラハを離れるという積年の夢を叶え、結婚という形はとれなかったものの、共に暮らす伴侶を得た。彼は死の前年になってようやく「平安」を手に入れたのである。『巣穴』の主人公は言う、「そこで私は甘美な眠りを眠る。家を持ち、目標が達成され、欲望が静められた、平安の甘美な眠りを」。だがカフカが「平安」を見出したのは、当時その言葉に最もふさわしくない都市であった。一九二三年のベルリン――第一次世界大戦敗戦後のドイツ経済は悪化の一途を辿り、ストライキ、テロ、流血沙汰に至る激しいデモが頻発。インフレーションは止まるところを知らず、日々の食料を手に入れるのも容易ではなかった。そのような状況下、カフカが一九一七年から患っていた結核の症状は悪化。翌年三月一七日にはプラハへの帰郷を余儀なくされた。この作品に登場する「言葉の多くは日常会話でも用いられた(例えば、動物=苦しい咳。カフカは一九二四年六月三日に結核で死んだ)」とブロートが述べているように、巣穴内に聞こえる「シューシューという音」は、しばしば肺結核の暗示と解釈される。
また、「うまくいったように思われる」巣穴を作り上げても常に「敵」の存在に怯え続け、「完全無欠な巣穴」を夢見ながら更なる不安にかられる主人公の姿は、滑稽であると同時に、生を営んでいる限り多かれ少なかれ誰しも抱く漠たる不安の典型状況でもあろう。根拠のない不安にかられ、思考の袋小路に迷い込む。ここには人間一般の生における「不安」が、動物物語という寓話の中で表現されているともいえるだろう。
作中ではこの「不安」は、主人公が想像する未だ姿を見たことのない「敵」として描かれている。本稿では、この「敵」を「不安」を誘発する否定的なものとしてのみ捉えるのではなく、主人公にとって否定されるべきこの「敵」こそが、主人公の営みにとって必要不可欠な要素であることを明らかにする。
二 敵
第一部で主人公が語る「敵」は、「貪欲な鼻づら」、「情熱的な盗賊」などとも呼ばれるが、「敵対者」Gegnerや「敵」Feindという呼称が最も多い。しばしば複数形で用いられることから、主人公の「敵」は複数存在することが推測され、実際、「敵対者は数え切れぬほどいる」とも語られている。また、主人公は外部から侵入する「外敵」の他に、地中内部にもそのような「敵」がいることを仄めかす。
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