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沈黙のうちに語るカフカ(試し読み版)

    『ある犬の探究』 〈沈黙〉のうちに〈語ること〉 (山尾)

    はじめに
     
     一九一八年から一九二〇年に亘って執筆されたアフォリズム集成には、カフカによって数字が割り振られているものだけで一〇九もの数に上るアフォリズムが収められている。後にこれらを編集したブロートが、『罪・苦悩・希望・真の道についての考察』というタイトルをつけたように、ここでは、生きる上で避けがたく生じてくる様々な罪の意識や、それに付随する苦しみや悩み、また「不壊なるもの(Das Unzerstörbare)」 という言葉で表現される不変性へと至ることの困難さが表現されている。その「考察」の手段とはもちろん、作家自身の認識に頼らざるをえないのだが、カフカは物事をあるがままに認識して捉えるという行為に対して、ことのほか強い疑いを持っていた。はたしてそのようなことが可能であるのか、たとえ可能であったとしても、その認識に耐えうる力を個人が持ちうるのかという疑いである。その深い懐疑の念について、カフカは一九一五年二月七日の日記にこのように記している。

    自己認識のある状態、そしてその他観察に好都合な付随的状況にあっては、自らを嫌悪すべきものとみなすことが規則的に起こらざるをえないだろう。(……)人は自らを、惨めな底意の鼠穴に他ならないと認識するだろう。もっとも些細な行為でさえ、この底意から解き放たれることはない。これらの底意とは不潔なものであり、人はそれを自己観察の最中にあっても、一度たりとも考え尽くすことを望まないだろう。むしろ遠くから眺めて満足するだろう。(……)この不潔は、人の見るであろう最も深い底である。(……)その不潔は最も深いものであり、もっとも最上のものでもあって、そして自己観察という疑いすら、やがては非常に弱くなり、肥溜めの中で揺れる豚のように自己満悦するようになるだろう。

    カフカ『日記』725,726

     カネッティの言葉を借りれば、カフカの「自分の心理状態と本性への洞察は無慈悲で恐ろしい」ものであるが、引用した日記の言及からわかるように、その無慈悲な洞察の瞳は主に「自己欺瞞」によって「認識」を欺く行為への批判に向けられる。日記で語られた「豚」という不潔の象徴でもあるこの生き物は、ここでは自己をも含めた事柄を正確に認識するために、観察の対象を根底まで見通すことを避け、底意という「汚泥」にまどろんで理解したつもりになっている状態を指している。カフカの視点のもとでは、底意という不潔に慣れることは、自己観察の際に抱いていた「自らを嫌悪すべきものとみなす」という羞恥心を失った「豚」と重なっていく。「遠くから眺めて満足する」という行為も、ここでは対象を客観視することには繋がらず、自らの底意に潜む「不潔」をただ遠ざけることにより、安心するという「欺瞞」に終わってしまう。
     「肥溜め」という言葉で表現される自己欺瞞に溺れる「豚」とは、都合のいい偽りの表象で、現実の出来事を覆い隠してなんとか折り合いをつけようとすることの比喩である。その際の自己欺瞞とは、「鼠穴」として自らを守る「城塞(Burg)」 となりうるのだが、しかしそれは所詮鼠の作った穴に過ぎず、自らの認識の外にある「現実」からの攻撃に対しては、いとも容易く崩れ落ちてしまうだろう。誤った認識の上へと築き上げた「鼠穴」という脆い「城塞」は、実のところ危険へと繋がる迷誤ともなりうるのである。上述したカネッティの文章は、このように続く。

    つまり不安と並んで冷淡さが、彼が人間に対して抱いていた基本的感情であるということ。そこから彼の作品の特異性が説明されうる。その作品においては、文学の中に饒舌に、混沌としつつ充満している大部分の情動が、欠けている。勇気を持って考えると、我々の世界は、不安と冷淡さが支配する世界となったのだ。カフカは情け容赦なく自らを表現することによって、彼は先駆けとしてこの世界の像を示したのである。

    カネッティ『もう一つの審判』 55

     アフォリズム集成の成立以降から最晩年に至るまでの、カネッティの指摘したカフカの表現の「情け容赦のなさ」は、生き物の認識と認識器官に対する疑いと共に徐々に増していく傾向があるのでないだろうか。カフカの晩年に書かれた三つの〈動物物語〉、執筆された年代順に取り上げるとすれば、『ある犬の探究』、『巣穴』、『歌姫ヨゼフィーネあるいはねずみ族』では、主体が世界を認識する際に陥る欺瞞と、それによって生じる現実世界との齟齬という晩年の問題意識が先鋭化されている。その齟齬はやがて、偽りの認識と現実世界の狭間という幻とも真実とも判別不可能なひとつの裂け目を生み出し、そこから流れ出る「汚泥」は主人公を引き込む破滅への力となる。その力を生成する認識のあり方を、『ある犬の探究』の主人公のディスクールから明らかにすることが本稿の目的である。

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    カフカ研究会は、フランツ・カフカの文学に関心を持つ研究者の会です。 1978年に、西日本地区の大学でカフカを研究する5人の研究者によって設立されました。年2回、各地持ち回りで研究集会を開催しています。あと数年で50年も続く研究会になります。note管理人は林嵜。

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