
借りた本:『返却期限のない本』
借りた本には、最後のページがなかった。
「読み終わったら返して」
彼はそう言ったけれど、どうやって読み終えればいいのだろう。
三百十二ページまで読んだ翌日には、三百十三ページが増えていた。
そこには、小説の続きではなく、
《今日は駅前のパン屋で、君によく似た人を見た》
とだけ書いてあった。
次の日には、
《雨。君は傘を忘れていないだろうか》
その次の日には、
《言わない方がいいことほど、言いたくなる》
私は読むのをやめられなくなった。
ページは毎日、一枚ずつ増えた。
彼に聞いても、
「変な本だね」
と笑うだけだった。
やがて私は気づいた。
本に書かれた雨の日と、彼が濡れた髪で現れた日は同じだった。
私が風邪をひいた翌日には、
《早く治りますように》
とあった。
「これ、あなたが書いてるでしょう」
問い詰めると、彼はしばらく黙ってから首を振った。
「僕にも読めないんだ」
「じゃあ、誰が?」
彼は私の手の中の本を見た。
「たぶん、その本」
意味が分からなくて笑った。
でも、その夜。
新しいページには一行だけ増えていた。
《今日、やっと二人が同じところまで読んだ》
翌日、彼は私に告白した。
だから私は、まだ本を返していない。
ページは今も増え続けている。
たぶんこの本は、
私たちが終わるまで読み終わらない。