
十六夜セレーネという歌を考えてみる
蓮ノ空女学院スクールアイドルクラブ、6月撫子祭FesLIVEで披露された、Edel Note「十六夜セレーネ」が無限に味がする話をします。
はじめに
私は蓮ノ空のこと好き好きクラブの端くれです。
音楽的素養はありません。ENにわかです。許してください。
十六夜セレーネ
この曲は、FesLIVEにて「竹取物語」をイメージして、「姫と翁」の気持ちを歌にした、とあります。
作曲はセラス柳田リリエンフェルト、作詞はかなり桂城泉です。
愛というワードが印象深いですね。
まず、一番最初に認識していただきたいのは、「翁」という言葉のイメージにとらわれないでください、ということです。
竹取物語の翁というのは、大切に育てた姫を、時間的制限のために誰かに託そうとして、結局手放すことになった存在でもあるからです。
タイトルのセレーネはギリシア神話の月の女神、セレネ、Seleneとも記載されたり呼ばれたりします。歌の冒頭でも記載があります。
なお、おなじく冒頭の「celadon」はフランス語で「淡緑色の」「青磁」という意味があるそうです。
また、「十六夜」という言葉については、竹取物語がモチーフであるとすると趣が深いです。
つまり、月は15日で満月を迎えます。十六夜というのは、その次、これから欠けていく(欠けた後はまた満ちていく)月のこと。
後述しますが、なんやかんやで姫が月に帰ったあとともとれます。
竹取物語ってどんな話だっけ
では、ここで超ざっくりと竹取物語を振り返ります。
知ってる、という人はこの項の最後の方まで飛んでもOKです。
お姫様の無茶ぶりネタ以外印象が薄い、と言う人も結構いるかもしれません。現存する日本最古の物語と言われる本作は、実はSF(すこしふしぎ)なお話です。
読みやすさでいうとこちらがおすすめ。青空文庫で読めます。
①むかしむかし 竹を取って生計を立てているおじいさんとおばあさんがいました(以下翁)
あるとき、ぴかっと光る竹を見つけていいかんじに切ってみたら、中に小さくてかわいい女の子(かぐや姫)がいました。
連れて帰っておばあさんと大切に育てていたら、本業の竹取り中に金やらが入ってる竹に遭遇したりすることが増えました。裕福になりました。
②めっちゃ美しくてお屋敷中が明るくなるレベルに成長しました。うわさを聞いて、会いたいという人もたくさんいましたが、顔出しNGでした。
③その中でも粘り強かったのが5人いました。
今で言うところの国務大臣とか、それくらいの位の高い人たちです。それでもかぐや姫は首を縦に振りません。
翁は、「もうワシも70過ぎたし、いつ寿命かわからない。心配だから、この5人から選んだらどうか?」と言います。
④かぐや姫からの、無茶ぶりパートが印象深いです。要するに、「ほぼ入手できないものを持って来たら結婚します」
いろいろあって誰もうまくいきませんでした。
⑤ついに、噂を聞きつけた時の帝が、「会ってみたい。宮仕えに出してくれたら翁に位をやろう」といいますが、それでもかぐや姫は折れません。
⑥帝は、なんとか外出を装ってかぐや姫の姿を見に来ます。とんでもなく美しい姫に心を奪われますが、姫は『捕まえたと思ったら姿を消して』するりと逃げてしまいます。
連れて帰るのを諦めた帝と、かぐや姫は、それから手紙のやり取りをするようになりました。
⑦それから3年たって、かぐや姫は月を眺めながら泣くようになりました。翁が聞くと…
「私はこの国の人間ではありません」(月の都の住人)
「8月の十五夜に、迎えが来て帰らないといけません」
実は、かぐや姫はかつて何かしらの罪を償うために、地球送りになっていた、というのです。島流しみたいですね。
悲しみに暮れる翁とかぐや姫。
➇帝は迎えを逆に武力で追い払えばいいと兵を送りますが、月の世界の住人の不思議パワーの前にはなすすべもありませんでした。
⑨残されたのは翁たちへのお手紙と、帝宛のお手紙と合わせて、月の使者が姫に渡した不死の薬。帝は、それを日本で1番高い山で焼きました。そのあと不死の山(富士の山)と言われるようになったとさ。
※ラストの➇⑨のあたり、元のテキストではこうなっています。
竹取物語『かぐや姫の昇天・天の羽衣』(天人の中に持たせたる箱~)のわかりやすい現代語訳
https://manapedia.jp/text/1491
一部引用します。
「衣着せつる人は、心異になるなりといふ。もの一言、言ひ置くべきことありけり。」
訳:「(この天の羽)衣を着せた人は、(普通の人のそれとは)心が変わってしまうということです。一言、言い残すべきことがありますよ。」
つまり、かぐや姫が月に帰る時には羽衣を着る=記憶を失うということでもあるわけです。
また、月の都の住人は不死の薬をもっていることからも、とんでも長命または不死であると思われます。
月の使者が来る 物語は熱く激しく
いつか終わりが来ることは もう知っている
記憶を跡形もなく消して
やり直したって変わらず
今世じゃなく いっそ来世でだって
惹かれ合うのよ 変わらず
永久を超えて求めてしまうでしょう
(泉パート)これが愛なんて変ね
(セラスパート)でも愛してる
姫と翁?
中学生の国語の夏休みの宿題のような雰囲気のnoteになってきました。さて、ここで曲を聞いて、ここまで読んだ方が思うのはおそらくこれ。
「なんで姫と翁?ラブストーリーとしては、後半の姫と帝の方がメインになるのでは?」
この十六夜セレーネという歌は、愛という言葉の印象が強いのでラブソングのように一見みえますが、もう少し妄想してみると、これを作詞した桂城泉ってやつは何なの?と面白くなってきます。
さて、どちらが姫で、翁なのか?
考えながら続けましょう。
十六夜セレーネの要素
この歌は、十六夜ということ、作中の記憶についての取扱、そもそもとしての月の満ち欠け(満ち引きの定理)そのものから、制限時間を取り扱った歌、出会いと別れの歌とも言えるのではないでしょうか。
繰り返すときの中で、リアルタイムを過ごす蓮ノ空女学院スクールアイドルクラブというのは、4月から翌3月を繰り返しているけれど、その中身は、ひとつとして同じことはありません。
物語は熱く激しくいつか終わりが来ることは もう知っている

1年限りのユニット、Edel Note。
その限られた時間を、泉さんが理解していないわけがありません。
(泉パート)それは神秘 それは天使のようでいて戦士
かぐや姫というのは、とても気の強い、平安時代初期という成立時期を考えても主張の強い女性です。
そのかぐや姫を見つけて、自分は先にいなくなるからと5人の人をすすめた翁。翁は、当時の平均寿命を考えるととんでもない高齢者です。
そうであってもなお、かぐや姫を守りたいという気持ちが強い。自分の手で、というよりも「どんな手でも使って」と言えるかもしれません。(帝にお手紙を送るくらいですからね)
また、聞いてみるとわかるように、1番盛り上がるシーンを2人で細かく分け合って歌っているのがわかります。
(泉パート)これが愛なんて変ね
(セラスパート)でも愛してる
いざ 生命は満ちて欠けるからこそ
現世(うつつ) に生きて激しく散るの
十六夜セレーネを聞いていると、時間経過ごと過ぎゆく時を大切にしようとする視点と、時間経過の後も、消えない愛の存在を感じさせます。
どちらが姫で、翁か。
確定した答えはおそらく公表されることはほぼありません。ともあれ、2人のカード上での衣装は、さながら主人公と悪役令嬢のようですよね。
でもこれ、思いませんか?
まるで月と太陽のように、正反対であると。(泉さんが月のような属性を持つことは、これまでも語られてきていますね)


青空の下のセラス。
建物の中、鳥かごとバラに囲まれたセラスを見下ろす泉さん。
桂城泉という人は、何でも持っているようでいて、ぽっかりとした穴を心に持っているような人ではないか。
あこがれとまぶしさ。
既に夢を叶えたセラスが、もう一度、今度は桂城泉に見せようとする『スクールアイドル セラス柳田リリエンフェルト』という夢の1年。
鳥かごの中に何を入れようとしているのか、あるいは、入れていたのか。
何にもこだわらないような桂城泉という人が見せた、執着がここにあるような気がしています。
かぐや姫と翁、どっちが自由なんでしょうか?
どちらが、人生において、相手という存在が自分を通り過ぎていこうとしている、と感じているのでしょうか?
愛なんて でもそれも愛
愛の種類にはいろいろあります。
様々な深さがあります。
そう、まるで…保護者のような気持ちの愛も。
桂城泉という人への興味は尽きません。
分かるのは、桂城泉という人が、自分の意思で蓮ノ空に転入してきて――セラス柳田リリエンフェルトという人と、Edel Noteというユニットをやっているという、この瞬間の事実だけです。
十六夜セレーネ、無限に味がします。
※開始時間を合わせてありますので、再生すると十六夜セレーネが始まります。