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月を見る|ショートショート|シロクマ文芸部


    皆さま、こんにちは。
    今日は、#シロクマ文芸部さんに
    初参加します。

    シロクマ文芸部さんでは、
    毎週のお題に、
    小説、詩歌、エッセイなどが
    投稿されます。

    今回のお題は、「月を見る」です。

    こないだ十五夜でしたね。

    私は、今回は
    ショートショートで参加させていただきます。

    (2345字)


    月を見る



    「あれ?」
    「え?」

     夜7時過ぎ、コンビニでサンドイッチを買おうとレジに並んでいると、急に前の男に声をかけられた。

     客だ。

     人の顔を覚えるのが苦手なのに、その男の顔はわかった。

    「やっぱり神埼さんだ!」

     やけに目鼻立ちのパッチリしたスーツ姿の中年男が、俺に微笑む。
     その手には、牛丼がしっかり握られていた。

     俺は、うっかり男をじろじろ見た。
     勤めているステーキ屋の常連なのはわかる。
     きっと若い頃はモテたのだろうと思われるイケメンに、少し寂しい頭頂部。
     何歳なのかは知らない。
     それより、名前が思い出せない。
     知っているはずだ。
     少し前まで、いつもサインでクレジットカードを使っていた男だ。

    「若いのに、夕飯はサンドイッチですか? 食が細いなー。あ、僕、斉藤です。覚えてないですか?」

     そう、斉藤だ! 斉藤和晃!

    「とんでもない! 覚えてます! いつもありがとうございます!」

    「よかったー。モブのおっさんなんで」
     斉藤は、人懐っこく目尻を下げた。


     俺が会計を済ませてコンビニを出ると、なぜか斉藤が待っていた。

    「えーと?」
    「神埼さんは、どこでそれ食べるんですか」
    「え? いや、職場で食べます」
    「そうですか。それもいいけど、月を見ませんか。今日は十五夜です。晴れてます」
    「は、はあ」
    「どうですか」
    「……」

     どうですか、と言われても、なんだか断れる雰囲気ではない。

     なんだ、このパッチリおめめ。

     だが、店でトラブルを起こしたことはない人だ。服装も振る舞いもスマートで、愛想もいい。
     俺が勤める前からの常連で、店長は彼を気に入っていると思う。

    「いいですよ」
    「そうですか。では行きましょう。お店のそばに、非常に小さな公園があるのをご存知ですか」

     そんなものは知らない。
     俺は仕事が終わると、速攻で家に帰って引きこもるのだ。
     俺は仕事が好きではない。
     いや。
     肉を新鮮に保つこと、美味しく焼く火入れの加減、素材に合う調理法やワインの見極めーーそんなことを考えるのは好きなのだが、いかんせん、接客が苦手すぎてストレスになる。いつもかしこまった態度で愛想笑いしていなければならない環境は苦痛だ。

    「ここです」

     斉藤が連れてきたのは、高架橋のそばにある、本当に小さなひっそりとした公園だった。

    「ここが特等席です」
     そう言うと、斉藤はおもむろに上着を脱いでベンチに置き、ジャングルジムに登った。

    「来ませんか」
    「いえ。けっこうです」

     俺は丁重に断った。それほど失礼な物言いではなかったと思う。

    「そうですか。僕は、ここで牛丼を食べるのが好きです」

     そう言うと、斉藤は頭上で牛丼を食べ始めたようだ。暗くて見えない。
     よほど牛が好きと見える。

     俺は、斉藤の上着の横に腰掛け、サンドイッチのビニールを剥がす。

    「月が綺麗ですね」
    「はっ!?」

     俺はサンドイッチを取り落としそうになった。そう言えば、この男はいつも一人でしか店に来ない。それが急に気になった。

    「あ、すみませんすみません。変な意味ではありません!」
    「……」

     よかった。

    「月にうさぎがいると思いますか」
     妙にキリッとした声で、斉藤がジャングルジムの上から言った。

    「いたら、窒息するんじゃないですか」
    「神埼さんは合理的ですね。月は嫌いですか」
    「好きでも嫌いでもないですよ」

     そう言って、俺は初めて、月を見上げた。
     都会の濁った空気と街灯。それでも、まんまるの月ははっきり見えた。

    「ここでは、星は見えませんね」
     俺は斉藤に言った。

    「街灯が消えれば、少し見えます」
    「え?」
    「夜の10時になると、公園の街灯は消えるんです」
    「夜の10時過ぎに、ここに来るんですか」
    「そうです。僕の残業が終わるのは、たいてい11時か12時です」
    「……すごいんですね」
    「すごいことはありません。しなければならないことに追われているだけです。でも、体力はあります。神埼さんは、仕事がお好きですか」

     俺は少し言い淀んだ。
    「……好きな仕事と、そうでもない仕事があります」
    「そうでしょうね。先週も、額の広い男性が若い女性を連れてきて、『俺ももうすぐ30になるから』と言った時、『まさか!』と笑って激怒させていましたね」
    「……」
    「本気で冗談だと思ったんでしょう。僕はわかりましたよ」

     あれ以来、俺は、人の毛髪量と年齢にはなるだけ触れまいと心掛けている。

    「僕も、人の心の機微が苦手で、お世辞が言えません。仮面をかぶって生きてきて、疲れ果てたこともあります」

    「え?」

    「仮面は窮屈です。いつのまにか、素顔がわからなくなる時もある。でもね。気づいたんです。仮面をかぶっているうちに、内面に、若い頃とは別の人格が育つことがある。その時、人は仮面を脱いで生きても、大丈夫になるのかもしれません。人格が丸くなるっていうのは、そういうことなのかなって」

    「……」

    「でもね。長い道のりです。もっと楽な仮面を選ぶ道も、あるのかもしれません」

    「……はぁ」
     何が言いたいんだ。

    「神埼さんの接客、僕は好きですよ。個性的だと思います。個性的っていうのは、単に面白いとかでなく、あなたの誠実さが垣間見える気がするという意味です。まあ、僕は人の心なんてわかりませんけれど」

     斉藤は、茶色いコンビニのビニール袋に牛丼の空を入れて、ジャングルジムから降りてきた。

    「僕は仕事に戻ります。お付き合いいただき、ありがとうございました」
    「いえ。こちらこそ」

    「僕は、人間は苦手ですが、月や星は好きです。何も語らないものも、またいいものだと思います」

    「星を見るときも、ジャングルジムに登るんですか」

    「無論です」

    「不審者ですよ」

    「承知です。でも、月は何も言いません。太陽の下ではできないですが、人として恥じるほどのことでもありません。ではまた。お店で」


    〈了〉



    お読みいただき、ありがとうございます🙇‍♀️

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    薬剤師 / 国際中医専門員。
フェリチン9.5(胃も弱い)。 ADHD傾向あり、飽き性。 
だから話題は雑多です。養生・創作・時事・写真など、気になったことを気ままに。 
あずきにもできる、無理のないケアを模索中。

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