
激動のPT飽和時代をどう生き抜くか⑥ 実績や資格を積み上げていない人間から、静かに切られていく未来
資格取得の意味は「攻め」ではなく「守り」にあると述べた。今回は、この「守り」を怠った場合、具体的に何が起きるのかを、より踏み込んで書いていきたい。
国は介護保険、医療保険が過剰となり現体制を維持できないという未来が予測されるのに加えて、理学療法士の需要が縮小に向かい、供給が大きく減らない中で、必然的に起きるのは「選別」である。限られたポストと限られた人件費を、誰にどう配分するかという判断が、これまで以上にシビアに行われるようになる。その判断基準として最も分かりやすく、説明責任を果たしやすいのが、客観的に示せる専門性、つまり資格や実績だ。組織側に立って考えれば、これは当然の判断だ。限られた原資を、根拠のない感覚で配分するわけにはいかないのだから。
これらの話しを養成校の教員の方々はされているのだろうか。良いことばかりではなく、こうした本質的なところもできるだけ若い年齢の学生達に伝えていっていただきたい。
厳しいことを言うが、「資格を取る時間があれば臨床経験を積んだ方がいい」という言葉を言い訳にして、資格取得から逃げている人間を、これまで何人も見てきた。もちろん臨床経験は重要だ。しかし、臨床経験の量は、入職年数が増えれば自然と積み上がっていくものでもある。一方で資格は、自ら意思を持って動かなければ、絶対に手に入らない。この能動性の差が、将来、淘汰される側とされない側を分ける一つの指標になると、私は考えている。黙っていても増えるものと、自ら動かなければ増えないもの。この二つを混同している人間が、あまりにも多い。
淘汰という言葉は、ある日突然、解雇通知が来るようなドラマチックな形では訪れない。むしろ、昇給が見送られる、昇進の対象から外れる、契約更新の際に待遇が据え置かれる、そうした静かな形で、じわじわと進行していく。そして、その選別の場面になって初めて、資格の有無が重要だったと気づいても、もう遅い。気づいたときには、同僚との差がすでに数年分、開いてしまっている。
さらに厳しいことを言えば、この静かな淘汰は、本人の自覚なしに進んでいくことも多い。「自分はまだ大丈夫」と思い込んでいる人間ほど、実は組織の中で静かに評価を下げられているケースを、管理職として何度も目にしてきた。評価というのは、本人に直接告げられないまま、人員配置や昇進の機会という形で、静かに現れる。
何度も繰り返しているが、危機感を持たず、現状維持のまま日々を過ごす人間ほど、こうした静かな淘汰のリスクにさらされやすい。資格取得は面倒で、時間もお金もかかる。しかしそれは、将来の自分を守るための、数少ない能動的な手段の一つなのだ。今日動くか、明日に先延ばしにするか。その差が、数年後、取り返しのつかない差になって跳ね返ってくる。