
唯、日々是好日⑰7つの穴と渾沌
人に何かを教えることはできない。できるのは、その人が自分自身の中でそれを見つける手助けをすることだけだ。
ーガリレオ・ガリレイ
9月27日日曜日
中国の「荘子」の中にこんな寓話がある。
南と北に儵と忽という二人の神と、その間に孤高の神で顔のない、渾沌(こんとん)という神がいた。
渾沌はこの二人をとても丁重にもてなし、これに喜んだ儵と忽は渾沌にお礼をすることにした。
二人はこう相談する。『人はみな、眼に二つ、耳に二つ、鼻に二つ、口に一つ、合計七つの穴を持っているが、渾沌はこれを持っていない。だからこの穴を開けてやろう』
こうして、儵と忽は渾沌に一日に一穴ずつ空けていったが、七日目の最後の一つを開けた時、渾沌は死んでしまった。
この話の教えは、言わずもがな「善意の押し付けへの戒め」である。
渾沌とは、分けられていない、ありのままの自然な状態。
それを象徴人為的に形を整えると、その本来の命が失われてしまう。
ここで大事なのは二人の神に全く悪意はなく、むしろ純粋な真心と感謝から行動したこと。
それでも「自分たちの基準で良かれと思うこと」が相手を壊すことがある。
ネトフリで話題の『ダウンタイム』の冒頭もそんな主人公の「失敗(?)」から始まる。
自分にとっての「最善」が、相手にとっての「最悪」になりうる。
この寓話は、正直私にはなかなか耳が痛い。
自分なりに誰かを喜ばせたり、元気づけようと色々気を揉むのだが、彼らがそれを求めているとは限らない。
「良かれ」が却って相手に負担を掛けることもあるのかもしれないと、時折ふと思うことがある。
人と人はすれ違う。
それは仕方ないことだし、だからこそきっと人生は面白い。
だけど、せめて自分の基準で判断する前に、少なくとも相手を知ることが必要だし、相手には相手のタイミングや事情があることを理解しようとすることを忘れてはいけない。
「我善し」の心は時にエゴになる。
そんなことを日々反省。

今日は枚方祭りで駅前が賑わっている。
とはいえ午後から雨予報なので、どうにか今のうちに盛り上がってほしい。


娘の風邪がどうにか悪化せず治ったので
リクエストに答えてお昼はチーズバーガーを買って帰る。
と思ったら、電動自転車のバッテリー残量があと30%であることに気づく。
えええ マズイ。
何しろ余命宣告受けたばかりの高齢ママチャリなので、バッテリーの減り方が並大抵ではない。
帰りは長い登り坂。
力尽きた電動自転車は、もはや車輪をつけたトド。
コイツを押して帰るのは老体には厳しい。
果たしてこれは家まで持つのか?!
ドキドキしながら自転車をロングモードにする。
いや、重いわ。
さっといけばなんとかなるでしょ、
と切り替えて買い物を済まし、
しれっと標準モードに戻す。
18、17、...14!?
おおおおーい!20%からの減りがやたら早いのよ。
この間10秒。
思ってたんと違うやん。
挑発的に減ってくスピード表示に息を飲みながら、
そっとロングに切り替え、歯を食いしばり
漕ぐ足を速める。
冷や汗と普通の汗が出る。
14、13、12、、、、
この期に及んで2秒ごとに減るのやめてくれええ
陣内孝則のコントじゃないのよ
爆弾のタイムリミットを見守る気持ちで
バッテリー表示を睨みながらも無事帰還。
命の残量7%、初めて見た。

帰宅とほぼ同時に外は土砂降り。
色々ギリギリセーフだった。
お菓子作りと授業の準備をしたら
夕方は父のもとへ。
今日も雨なので、駐車場をぐるぐる。
しっかり6000歩を目指す。

父の胃の不調も今日は良くなったようで一安心。
とはいえ以前よりは食べる量もだいぶ減り、痩せたように思う。
それで私はついついまんじゅうやらおやつを良かれと買ってきてしまうのだが、それが冒頭の反省に繋がる。
胃の負担になってはいけないのでほどほどにしよう。
ふと足の痒みに脛横を触る私。
見ると足の一点から溢れるように血が出ている。
「なんだこれ。」
拭っても拭ってもじわっと血が出る。
まるで沸き続ける血の泉。
母がそれに気づいてすかさず言う。
「それ、たぶんヒルよ。
ずっとくっついてたんじゃない?」
ヒ、、、ル、、、?
あの黒くてヌルッとした、、、蛭?
ゾゾゾ!いっきに鳥肌。
「や、、、やだァーーーー!」

心当たりといえば神社しかない、、、、
その昔、山登り中にマダニにくっつかれて夜まで気づかず叫んだことはあったけど、ヒルは初めてだわ。
しかし、事後ならまだよい。
お目に掛からなくてよかった。
性懲りも無く私に穴を開けたどこぞの蛭子様、
私の捧げた血はいかがだったでしょうか。
雨はやまねど日はまた昇る。
ちいさな渾沌も、また人生かもしれない。
明日もよい日でありますように。
