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Photo byakisuke0925

Howは分かるが Whyは分からない

    さまざまな事象について
    「どうやって?」は、
    専門家に訊けばだいたい分かります。

    しかし「なぜそうなの?」は、
    まるで星と対話するようで埒が明きません。
     
    Howは分かるが Whyは分からない

    わたしは昔からそう感じています。
    そもそもWhy(なぜ)は
    不可解で(多少)不気味でもあります。

    毎日吸っている空気のことを
    改まって「空気さんはなぜ在るの?」と訊くことですから。

    Howとは、要はやり方、進め方のこと。

    これはこれで勿論重要でしょう。

    しかし、
    わたしは思うのですが、
    こんにち人間が高度な知力を持つに至ったのは、
    Why(なぜ?)に着目し、
    Whyに粘着してきたからではないでしょうか。

    「なぜ?」を問う力があって初めて、
    ものごとの構築の方面、
    つまり「どのように?」の道が開けると思うのです。

    しかし今はどちらかというと、
    How(どうやって)のほうに
    スポットライトが当たっている気がします。

    長い歴史の中で、
    ある時期はWhy(なぜ)に脚光が浴び、
    また別の時期にはHow(どうやって)がもてはやされるといった、大きな「サイクル」を何度も経てきているのでしょうか。

    ちょうど今、
    AIが世の中を変えようとしていますね。

    すべての人の暮らしを
    再定義するような超進化の過程を、
    つまりは How(どのように)というプロセスを、

    いかに広範に
    いかに素早く
    いかに効率的に達成できるか・・
    その『熾烈な競争』が世界中で繰り広げられています。

    いっぽうのWhyは?

    正直、あまり人気がありません。
    時代遅れの調度品のように、
    人々の意識の隅のほうに追いやられている観があります。

    毎度話はガラリと変わるのですが、
    わたしは東京に住んでいる時、
    ゲーム開発者の人と親しくなりました。

    その人の話が
    とても興味深かったのです。

    ——どんなふうにゲームを作るのか。
    How

    その人はこう言います。

    根底で
    人の歴史を振り返ります
    人の喜怒哀楽を分析します

    人を夢中にさせる事柄と事柄を繋ぎ合わせ、
    そこにストーリーを建て付けて
    その空間になるだけ長く居てもらい、
    収益が少しでも大きくなるようグランドデザインをします・・、

    要は「心地よい依存を作るんです」。
    そういう言い方をされていました。

    ——では、なぜゲームを作るのか。
    Why

    「なぜ?」

    それは
    ぼくの野心のためです。
    とその人は言いました。

    具体的には
    もうひとつの世界(another world)を作るため。
    そのためにぼくはゲームを作っています、と。

    わりと淡々と自分の胸の内を話す人だったのです。

    その知人の言葉を反芻しながら、
    わたしは今改めて思います。

    Why→「なぜ」という問い掛けは
    人をゼロの地点に呼び戻してくれるのではないでしょうか。

    Whyという質問は、
    人がほんらい保持する
    哲学の引き出しを開ける「きっかけ」になり得るのでは。

    ゲーム開発をするその知人は、
    次のように言葉を継ぎます。

    やがてゲームは人工知能を実装し、
    他のエンターテインメントを巻き込み、
    あるいは今の実社会の諸機能を取り込み、

    もうひとつの世界、

    より具体的には
    いまの現実世界よりは、
    まだ人間が主役で居られる another world を構築するに至る、と。

    そこに到達するのがぼくの目標であり、
    そのためにぼくはゲームを作っています、

    そう言われました。

    人ひとりの考え方について、
    よいとか悪いとか、
    わたしは論評する立場にはいません。

    しかし彼の話は、
    ―壮大な言い方になってしまいますが―

    遠いむかしに『Why』に魅了され、
    頭の中が沸騰していた私たちの祖先を思い起こさせるのです。

    2026年現在、
    超知能のHow(どうやって)の部分に世界中が注目し、今、人類史上最大の設備投資が着々と進行中です。
      
    しかし、
    人がなぜ、超知能を創るのか。

    「Why?」の部分を真摯に問うことは、
    世間では流行っていません。

    この『Why』の答え(アンサー)は
    自然の原理、法則のように
    発見されるものではなく、

    人間が培った価値観をもとに
    腰を据えて「絞り出さねばならない」ことであるはずです。

    私たちは、
    Why(なぜ?)に応えられるような胆力を
    果たして持ち合わせているのか。

    「Why」を置き去りにするのは、
    超知能を創っている人間の、知的怠慢だと思うのです。

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