
エッセイ😌|ずっとドッペルゲンガーが怖かった〜ドッペルゲンガーから身を守るためのルールを教えます
文豪の芥川龍之介が死に至った原因は、「夜中にトイレで自身のドッペルゲンガーに遭遇したから」という説がある。真偽の程はわからないけれど、妙にありそうな気がしてしまう。
「ドッペルゲンガー」とは、顔も姿も自分と瓜二つの人間のこと。
もし、「夜中にトイレのドアを開けた時、ドッペルゲンガーがニヤリと笑いかけてきたら死が訪れる」と言われている。
この話が子供の頃から、ずっと怖かった。
夜中にトイレに行って、ドッペルゲンガーに会ったら死ぬ。
夜中のトイレは恐怖でしかなかった。
だから命を守るために、「夜のトイレで守らなければならないルール」を編み出した。
まず、廊下についているトイレの灯りのスイッチを押す。
次にトイレからできるだけ離れて、遠くから腕だけをドアノブに伸ばす。
そして、勢いよくトイレのドアを開け放って素早く逃げる。このとき決してトイレの中を見てはいけない。ドッペルゲンガーがいたら命をとられる。
開いたトイレにそっと近づいて、ギリギリのところから足元を確認する。
誰もいないことが確認できたらセーフ! もし、ドッペルゲンガーがいたとしても、目をあわせることがないからセーフだ!
この作法は割と最近まで続けていた。
だからこそ、今もこうして生きているのだ。
でも、「はじめから足元だけを見てドアを開ければ、遭遇しても目が合わない」と気がついて止めた。
ドッペルゲンガーに怯えてしまうのには、ちゃんと理由がある。
子供の頃に「あれはドッペルゲンガーだったのではないか」と思える体験をしたからだ。
それは夜中ではなく、昼間のことだった。
僕が通っていた大船小学校のトイレは、当時、男女共用だった。
トイレに入ると右手に小便器が並んでいて、左手には個室が並んでいる。
個室の便器は、今ではほとんど見かけることもない和式トイレだ。
いつの時代にも小学生の男子には厳しいルールがある。
学校でウンコをしたことがバレると囃したてられる。
だから決して人には見られてはならない。
これは「鉄の掟」だ。
男子が個室に入るということは、それほど危険なことだった。
この日、僕は授業中、グルグルとお腹が暴れだしていた。
だが男には「鉄の掟」がある。
だから授業が終わると同時に、児童があまり行くことのない美術室がある別棟のトイレへとダッシュした。
たどり着いたトイレには誰もいなかった。
よかった。ここなら大丈夫だ。
廊下を振り返って、誰もいないことを確認すると個室のドアを開けた。
間に合った!
急いで和式便器にしゃがみこんでコトに及ぶ。
と、同時に左手側にあるドアが外側へと大きく開いた。
えっ? 驚いてそちらを向く。
鍵をかけ忘れてた!
全開になったドアの向こうには、驚いた顔で固まっている見知らぬ女子。
目が合ったままの沈黙の時間。
弱々しい作り笑いを浮かべる僕。
こんな角度から女子を見たのは初めてだった。
頭の中が真っ白になった。
「あっ!」と声を出して、その子は走り去った。
しゃがんでいるから、どんなに手を伸ばしてもドアノブには届かない。
待って! いや、待たないで! ドア開いてる! ちょっ、行かないで! 早く行って! でもドアを! ちょっと!
女子がトイレを飛び出していったことは足音でわかった。
鉄の掟どころじゃない。
ドアが全開なんて、学校なのに野グソと変わらないじゃないか!
今、誰かがトイレに入ってきたら人生が終わる。
学校でウンコどころか、ドア全開でウンコしてるなんて伝説級だ。
泣きたい気持ちで腕を伸ばし、必死でドアの蝶番部分の角に指先を引っ掛けて、カリカリとちょっとずつひっかくかのようにドアを閉めた。
それにしても、あの時のあの子の表情。
あれは怪異を目撃した人間の表情だった。
あの時、彼女は恐怖を感じていたはずだ。
誰もいないはずのトイレだと思っていたのに…
きっと、「ドッペルゲンガーを見た」と思ったんじゃないだろうか。
この時、僕はドッペルゲンガーになっていたのだと思う。
もちろん、顔は全然似ていない。
でも、そんな細かいことはどうでもいい。
トイレのドアを開けたら、なぜか同じ年ごろの誰かがしゃがんでいる。
そして、自分を見上げて笑いかけてきた。
この恐怖は、もうドッペルゲンガーと同じだ。
だから、ドッペルゲンガーを目撃した彼女は死んでしまったに違いない。
もしかすると、僕にはドッペルゲンガー的な体質があるのだろうか。
だって、数年後にも別の場所でドッペルゲンガーになったことがあるんだ。
人間の存在なんてとても脆いもの。
人間とドッペルゲンガーの境目なんて、鍵をかけるかかけないかぐらいの差でしかない。ドッペルゲンガーがトイレに鍵をかけていれば、遭遇することなんてないのだ。
平穏に日常を過ごしているあなただって、いつドッペルゲンガーになるかはわからない。
学校で、職場で、ショッピングセンターで、鍵一つの境目を超えただけで、あなたの日常は反転するのだ。
芥川龍之介と目をあわせたドッペルゲンガーのように。