
【雑談】 写経の話
何か覚えたいとき、声や耳よか図と目を使って覚えます。
と、いうよりやっぱり、何か覚えるときは手を動かす、触ってみるのが一番だろうと思ってます。
はじめに
何かを写経させられた、あるいは何かを写経した経験はあるでしょうか。
写経とは(読んで字のごとくですが…)仏教の経典を写し書きして、中身を覚えること、あるいは写経したものを複写(コピー)として利用するために行う行為ですね。
最近は、マインドフルネス的な、老化防止的な、生活を整える的な…そんな意味合いでかなり広まってきていますね。
何を写すにしろ、原本はネットにいくらでも落ちているし、紙とペン(時間と落ち着いた環境?)さえあれば良いというので、手軽に始められます。
昔の総理大臣佐藤栄作はじめ、写経趣味のある大物は割りと、な数いるようです。
そんな写経に関しての、個人的な話です。
天声人語
小中学校の課題で写経を出されたことのある人はいらっしゃるでしょうか?
(漢字は除いて)
夏休みの学校の宿題、国語の宿題としてド定番なのは読書感想文でしょう。
が、僕の通ってた中学は長期休みになると、いつも数枚~10枚程度の「天声人語」の書き写し課題が出されていました。
(小学校では読書感想文書いてたんですけどね)
天声人語は、朝日新聞の朝刊に乗っている600字程度のコラム記事です。
写経の界隈は詳しくないのですが、結構メジャーな法の題材なのでしょうか?
「天声人語」と打つと、その後で「書き写し」、「写経」みたいのが出てきます。
(頭からここまでが600字程度です。ちなみに)
で、この書き写し課題が、まぁ~イヤと。
キーボードポチポチ打つ時代になぜに手書きかと。
やはり、日本の教育は形式ばっか重視過ぎだ…云々。
ブツブツ文句をたれながらも、感想文と違って取り合えず書いてりゃ終わるってことで、一日目に全部やってました。
(↑ やるだけ偉い?)
けれども、単純作業に意外とハマる人間であったので、写経自体は悪くないかな…?
と学年が上がる辺りで感じ始める。
でもどうせやるなら、題材は自分で決めたい。
雨ニモマケズ
そんなある日、ふと一つの詩(?)を思い出す。

宮沢賢治の「雨ニモマケズ」。
彼の没後に手帳の中から見つかった遺稿(?)、メモ。
雨ニモマケズ
風ニモマケズ…
から始まり、
…サウイフモノニ
ワタシハナリタイ
で終わる。
(お経が本当は入るが…)
賢治の素朴な「こういう人間でありたい」という意志がよく現れている。
お経を覗いて296文字。
さっきの「天声人語」よりはやりやすいだろう。
が、写経は丁寧にやればやるだけ、当然難しい。
単純作業でガーっとやって終わりなら、なんて事はないが、
一字一字、あるいは一画一画に入魂しているとかなり気力を使う。
300字弱書くだけなようで、永遠にも近い時間、プルプルと震える糸の上で綱渡りをしているような感覚になる。
だけれど終わってみれば感慨深く、一層「雨ニモマケズ」の存在感が、自分の中で大きくなる心地がする。
自分の字の汚さは相変わらずのようだが…。
(ササっと書いたであろう賢治の方が明らかにきれい)
般若心経
話は長くなるが、一応触れておく。
「般若心経」(正式には『般若波羅蜜多心経』)はかなり定番。
「色即是空。空即是色。」
の一文で有名な300字弱の経典。

一部の人々の間では、ここに仏の教えのすべてが詰まっているのだとされている。
(「空」の思想は確かに、中心的テーマだろう…。)
そんなことで、多くの人々が写経している。
先に挙げた佐藤栄作が写経していたとされるのもこの「般若心経」である。
僕自身も三、四回してみたことがあるが、こちらの方はあんまりピンとは来なかった。
仏教の蘊奥をかすかに感じる、気がしたが、どうもなぁといった感じ。
手にしっくりこなかった。
(漢字よりはひらがな、カタカナの方が性に合ってる気がする。)
声明(しょうみょう)してみるのは良かった。
あとがき
写経は正直、僕と同じくらいの、若い世代の間ではマイナー中のマイナーな趣味だろう。
(それこそインディーズやマイナーが好きという人の方が多いだろう。)
そりゃあ、CtrlキーとC、V、あるいはマウス一つあればなんだって複製できる時代に、「コピーしたもの」に何ら希少性や価値はない。
けれども、簡単だったその複製行為を、あえて、自身にとって負荷のかかる、時間のかかる行為としてみることで、「コピーすること」自体は、技術、というよりも体験として何かしらの価値となるのではないだろうか。
近代以降の多様化しすぎた芸術、デジタル化、生成AIの登場…云々。
複製技術がますます進歩し、特に大勢の人々にとって複製行為が一般的になった時、いわゆる「アウラ」というのか、希少性、独自性、一回性といった価値観は自分自身にのみ芽生えるのではないだろうか。
話が飛躍したがつまり、この先、時代が進んでも、
自分が楽しめる写経、読書と言った古い、アナログな趣味はやはり人生を豊かにする、意味性を与え続けてくれるのではないだろうか。
新しく何かを作るという体験も悪くはないが、それと同じだけ、同じものを作るという体験も価値を持っているのではないだろうか…。
(始めと終わりでだいぶ方向が違いますが…ヨシ!)
以上。