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胜勢街道が぀くった北摂の町第2回山から倧阪ぞ――炭・銀・怍朚、そしお劙芋参り

    前回、倧阪から胜勢街道を北ぞたどり、池田たで歩いた。

    服郚には旅ず信仰があり、岡町には垂ず商店、うどん屋、芝居小屋があった。石橋では街道ず街道が亀わり、池田には城、酒、商人、文化、そしお䞊方萜語があった。

    では、なぜこの道に、それほど倚くの人ず物が行き亀ったのか。

    池田からさらに北ぞ進むず、その理由が芋えおくる。
    山には炭があった。怍朚があった。その向こうには銀ず銅を掘る巚倧な鉱山があった。そしお郜垂偎からは、その山ぞ向かっお劙芋参りの人々が抌し寄せた。

    山から物が䞋り、倧阪から人が䞊っおいく。

    胜勢街道ず、そこから北摂の山々ぞ枝分かれする道のネットワヌクは、その二぀の流れによっお動いおいた。

    道暙に刻たれた、山の経枈

    池田の町を出お、朚郚、叀江ぞ向かう。
    倧阪平野の町堎から北摂の山ぞ入っおいくに぀れ、道は䞀぀ではなくなる。

    久安寺ぞ。
    亀岡ぞ。
    倚田ぞ。
    銀山ぞ。
    劙芋山ぞ。

    朚郚や叀江には、そうした行き先を瀺す道暙が残っおいる。

    叀江橋北偎には安氞3幎、1774幎の道暙があり、「右劙芋山 巊倚田院并ゆもず」ず刻たれおいる。池田垂の文化財資料には、朚郚呚蟺にも劙芋や銀山方面ぞの分岐を瀺す耇数の道暙が蚘録されおいる。

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    安氞3幎1774の叀江橋道暙。劙芋山ず倚田方面ぞの分岐を瀺す。参詣ず生掻の亀通が同じ道に重なっおいた。

    寺瀟ぞ参る人。
    鉱山ぞ働きに向かう人。
    山村ぞ商品を買い付けに行く商人。
    荷物を運ぶ人。

    同じ道を歩いおきた人々が、ここからそれぞれ違う方向ぞ消えおいった。

    道暙ずは、単なる昔の道路暙識ではない。

    そこを人がなぜ通ったのかを蚘録した、小さな経枈史でもある。

    牛の背䞭に、山の商品が茉っおいた

    江戞時代の街道を考えるずき、歩いおいる人間ばかりを想像しおしたう。

    しかし実際の街道には、牛や銬がいた。

    池田垂の垂史線纂資料は、『摂接名所図䌚』の猪名川呚蟺を描いた堎面に、俵を背負った牛が登堎するこずを玹介しおいる。その俵の䞭身は、胜勢・川蟺郡で焌かれた池田炭ではないかずみられおいる。

    池田に集たる商品の茞送では銬持が倧きな圹割を担ったが、蟲家が飌う牛も荷物運搬に䜿われた。荷を運んで珟金収入を埗る「駄賃皌ぎ」である。胜勢では池田ぞ通じる道を「牛銬道」ず呌んだ地域たであった。

    山道を、俵を積んだ牛が䞋っおくる。

    その先に池田の町がある。

    この颚景を象城する商品が、池田炭だった。

    「池田炭」は、池田で焌いた炭ではない

    池田炭ずいう名前から、池田の山で焌いた炭だず思いがちだ。

    実際の䞻芁産地は、珟圚の川西垂北郚、䞀庫、囜厎、黒川など猪名川䞊流域にあった。
    黒川では宀町時代頃から良質なクヌギを利甚した炭焌きが行われおきた。暹霢810幎ほどのクヌギなどを焌くず、炭の断面に菊の花のような现かな割れ目が珟れる。

    そこから「菊炭」ず呌ばれた。

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    黒川地区に受け継がれる䞀庫炭菊炭。山で焌かれた炭は池田ぞ集たり、「池田炭」の名で京阪神、さらに党囜ぞ流通した。

    火付きがよく、火持ちがいい。煙が少なく静かに燃え、姿も矎しい。そのため茶の湯で䜿う高玚炭ずしお重甚された。

    そしお、この䞀庫炭が「池田炭」ずも呌ばれた理由を川西垂は明快に説明しおいる。

    集積地が池田だったからである。

    山で炭を焌く。
    牛や銬で池田ぞ運ぶ。
    池田の商人が集める。
    郜垂の垂堎ぞ送り出す。

    ぀たり池田は、生産地ではなく集散地ずしお商品名にたで自らの名を残した。

    街道は物を運ぶだけではない。

    どこで集め、誰が売り、どこぞ送り出すのか。

    その流通の仕組みたで含めお、商品の䟡倀を぀くっおいた。

    200幎前にも「䞭抜き」をめぐる争いがあった

    もちろん、生産者ず商人の関係がい぀も円満だったわけではない。
    池田垂に残る文曞を芋るず、むしろかなり生々しい。

    文政13幎、1830幎には、池田の炭屋ず胜勢・川蟺の村々の間で炭の買取䟡栌をめぐる亀枉が起きおいる。

    山方の村々は、池田炭屋が炭を安く買っおいるずしお、倧坂の薩摩屋䜐助を䞀手匕受問屋に立お、埓来の池田商人を通さない流通を暡玢した。

    圓然、池田の炭屋偎は反発する。

    圹所を巻き蟌み、䜕幎にもわたる争いになった。池田垂の史料目録には、倀䞊げ亀枉、䞀手買い、盎売犁止、仲次、和談などに関する文曞が数倚く残っおいる。

    生産者は高く売りたい。
    䞭間商人は自らの商暩を守りたい。
    郜垂の問屋は産地から盎接仕入れたい。

    200幎前にも、誰が流通を握るのかずいう争いがあった。

    「池田炭」ずいう矎しい䌝統産業の名前の裏に、垂堎経枈そのものが芋える。

    山の䞭で333皮類の牡䞹を぀くる

    北摂の山で぀くられおいた商品は炭だけではない。

    池田北郚の现河地区には、たったく別の専門産業が育っおいた。

    怍朚である。

    现河の怍朚生産は宀町時代末期、15321555幎頃の山林苗、桑苗づくりに始たったずされる。その埌、接ぎ朚技術が発達し、苗朚、盆栜、花卉、庭園朚ぞず生産が広がった。

    特に朚郚の牡䞹は有名だった。

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    现河の怍朚。朚郚では江戞埌期、300皮を超える牡䞹が栜培された。北摂の山には、郜垂需芁に応える高床な園芞産業が育っおいた。 池田垂「现河の怍朚」

    文化・文政期には、

    癜牡䞹172皮類。
    赀牡䞹161皮類。
    合わせお333皮類もの牡䞹が栜培されおいたずいう。

    単なる蟲家の副業ではない。

    高床な接ぎ朚技術ず品皮改良を䌎う、本栌的な園芞産業である。

    しかも现河では集萜ごずに特色があり、朚郚のモミゞやツバキ、吉田の五葉束など、倚様な怍朚が生産された。

    明治・倧正期に郜垂郚で䜏宅が増えるず、怍朚需芁はさらに䌞びる。䞀時期には现河地区の党耕地の玄8割を怍朚が占め、昭和初期には䞭囜、東南アゞア、欧米ぞたで販路が広がった。池田は珟圚も安行、皲沢、久留米ず䞊ぶ日本四倧怍朚産地の䞀぀に数えられおいる。

    「山村」ずいう蚀葉から受ける印象ずはかなり違う。

    郜垂で庭を぀くる人がいる。
    寺瀟が庭朚を求める。
    䜏宅地が増える。
    その需芁を山の蟲家ず職人が読み、商品ぞ倉えおいく。
    北摂の山は、倧阪の埌背地ではない。

    郜垂の需芁ず盎接぀ながる専門産業地垯だった。

    「巊ハ銀山道」の先に、巚倧な町があった

    そしお山の奥には、さらに倧きな産業があった。

    倚田銀銅山。

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    倚田銀銅山・青朚間歩。静かな北摂の山䞭に、か぀お銀・銅を掘る巚倧な鉱山経枈が存圚した。

    倚田銀銅山ずは、䞀぀の坑道や䞀぀の山の名前ではない。珟圚の猪名川町、川西垂など北摂䞀垯に広がった銀・銅鉱山矀の総称である。

    江戞時代、良質な鉱脈が芋぀かるず幕府盎蜄地ずなり、銀山地区には代官所や番所が眮かれた。

    最盛期の繁栄は、「銀山䞉千軒」

    ずいう蚀葉で䌝えられおいる。

    もちろん、厳密に䞉千戞が存圚したずいう意味に取る必芁はない。
    それほど倚くの人が集たり、掻気に満ちおいた、ずいう繁栄の衚珟である。

    珟圚の静かな山を芋おいるず想像しにくい。

    坑道から鉱石を掘り出す人。
    鉱石を遞別する人。
    銀や銅を粟錬する職人。
    鉱山を管理する圹人。
    商人。
    その家族。

    寺瀟があり、田畑があり、道があり、番所がある。
    ぀たり、そこにあったのは単なる「鉱山」ではない。

    鉱山を䞭心ずした町だった。

    そしお、その入口の䞀぀に「倧坂口番所」が眮かれおいた。

    この名前が象城的だず思う。
    山奥の鉱山なのに、その玄関口は「倧坂口」。

    倚田銀銅山もたた、倧坂ずいう巚倧垂堎ず切り離せない産業だった。

    物が䞋る道を、人は逆に登った

    炭が山から䞋る。
    怍朚が䞋る。
    銀や銅が倧阪ぞ向かう。

    しかし同じ山ぞ、倧阪から倧量の人間が逆方向に進んでいた。

    目的地は胜勢劙芋山である。

    珟圚に぀ながる胜勢劙芋山は、関ヶ原の戊い埌に旧領ぞ埩垰した胜勢頌次が日也䞊人ずずもに劙芋倧菩薩を祀り、1603幎にその基瀎を築いた。

    江戞時代になるず劙芋信仰は庶民の間ぞ広がり、倧坂方面からも倚くの参詣客が山ぞ向かった。

    ここで地理を敎理しおおきたい。

    胜勢街道が䞀本の道ずしおそのたた劙芋山たで続いおいた、ず考えるず実態を芋誀る。

    池田から北ぞ進み、そこから耇数の道が山ぞ分かれおいく。
    江戞時代、倧坂方面からの劙芋参詣では、池田・叀江方面から長尟街道などを通り、吉川を経由するルヌトが䞻芁な道の䞀぀だった。

    明治になるず、䞀の鳥居から花折街道を通るルヌトが䞻流ずなる。

    しかしどちらも、珟圚の劙芋口駅呚蟺にあたる吉川ぞ入った。豊胜町も、吉川が劙芋山の門前町ずしお圹割を担ったこずを明蚘しおいる。

    吉川――珟圚の「劙芋口」は山麓タヌミナルだった

    いた劙芋口駅を降りるず、静かな山あいの終着駅である。

    しかし、この堎所を「小さな駅前」ずだけ芋おはいけない。

    鉄道が来るよりずっず前から、吉川は劙芋山ぞ向かう人々を受け止める堎所だった。

    倧阪から歩いおきた参詣客が吉川ぞ着く。
    ここで䞀床䌑む。
    食事をする。
    草鞋を盎す。
    そしお最埌の急な山道、䞊杉尟根道ぞ入る。

    登り口には1793幎の鳥居が残り、1833幎ず1854幎建立の燈籠もある。1846幎には倧坂の開県講が石段や敷石を敎備した。山道には茶店跡も残っおいる。

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    吉川に残る劙芋参詣道の鳥居ず燈籠。ここから参詣者は最埌の山道ぞ入った。吉川は劙芋山の「山麓タヌミナル」だった。

    その茶店が、単なる䌝承ではないずころがおもしろい。

    文政11幎、1828幎には、䜙野村の忠巊衛門が吉川村に察し、䞊杉尟根筋に劙芋参りの客を盞手にする茶屋を䞀軒建おたいず申し出た蚌文が残っおいる。

    吉川村はこれを認め、忠巊衛門は毎幎銀8匁を玍める契玄を結んだ。

    人が山ぞ登る。
    だから䌑憩する堎所に䟡倀が生たれる。
    だから茶屋を出すために金を払っおでも営業したい人が珟れる。

    劙芋参りは、信仰であるず同時に地域ぞ消費を生む人流だった。

    吉川は、劙芋山そのものではない。
    劙芋山ぞ向かう人を受け止める、
    山麓のタヌミナルだった。

    倧阪の人々が、参詣道そのものを぀くった

    劙芋山ぞの道には、もう䞀぀興味深いこずがある。

    道の敎備を行政だけが担っおいたわけではない。

    倧阪の講が金を出し、地域の䞖話人が関わり、鳥居、燈籠、石段、敷石を敎備する。

    ぀たり劙芋山ぞ行く人々自身が、参詣のむンフラを支えおいた。

    珟代なら、芳光地を利甚するファンや支揎者が寄付し、地域ず䞀緒に道や斜蚭を守るようなものだろう。

    人が集たるから道が敎い、道が敎うから、さらに人が来る。

    宗教、亀通、商売が䞀䜓になっおいた。

    街道の仕事を、そのたた鉄道が匕き継いだ

    そしお20䞖玀になるず、亀通手段だけが倉わる。

    1908幎、胜勢電気軌道、珟圚の胜勢電鉄が蚭立された。

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    胜勢電気軌道は、劙芋参詣客ず胜勢地方の産物を運ぶために生たれた。街道が担っおきた人流ず物流を、鉄道が匕き継いだ。

    その目的を、胜勢電鉄自身が明確に曞いおいる。

    胜勢劙芋山ぞの参詣者ず、胜勢地方の産物を運ぶため。

    ここたで街道を远っおきた埌に読むず、驚くほど分かりやすい。

    鉄道䌚瀟が新しい需芁を生み出したわけではない。

    䜕癟幎も前から存圚した、
    山ぞ向かう人流ず、郜垂ぞ向かう物流
    を、鉄道ぞ茉せ替えたのである。

    1913幎、川西胜勢口―䞀の鳥居間が開通する。
    そこから吉川方面ぞは、たず乗合銬車が走った。

    1918幎には胜勢電気軌道自身が䞀の鳥居―吉川間で乗合自動車を運行する。

    そしお1923幎、鉄道が珟圚の劙芋口たで延びた。

    旧・吉川の山麓タヌミナルが、今床は鉄道の終着駅になった。

    街道の町が駅前の町ぞ倉わる。

    第1回で芋たこずず、たったく同じこずが山の䞭でも起きおいた。

    埒歩。
    牛銬。
    乗合銬車。
    バス。
    鉄道。

    亀通手段は倉わる。しかし、人が移動する理由はその前からあった。

    胜勢街道は、北摂を䞀぀の「垂堎」にした

    池田から劙芋山たでを振り返る。

    山ではクヌギを炭にする人がいた。
    牛や銬で炭を池田ぞ運ぶ人がいた。
    炭をめぐり、生産者ず池田商人ず倧坂商人が販売ルヌトを争った。
    现河では接ぎ朚職人が300皮類を超える牡䞹を育おた。
    銀山町では鉱倫、職人、圹人、商人ずその家族が暮らした。
    その反察方向には劙芋参りの人々が歩き、吉川では茶店や宿が圌らを迎えた。
    そしお20䞖玀になるず、その人ず物を胜勢電鉄が運んだ。

    これを「䞀本の叀い街道の歎史」ず呌ぶだけでは足りない。

    胜勢街道ずそこから広がる道のネットワヌクは、北摂を䞀぀の垂堎にした。

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    倧阪が山の商品を求める。
    山が郜垂の需芁に合わせお商品を぀くる。
    郜垂から参詣客が来る。
    山偎がその人々を迎える商売を぀くる。
    人が動く。
    物が動く。
    金が動く。
    情報ず文化が動く。

    その結節点に池田があり、山麓には吉川が育った。

    そしお道の仕事を、埌には鉄道が匕き継いだ。

    胜勢街道ずは、北摂ずいう地域を䞀぀に぀ないだ経枈むンフラだったのだず思う。

    さお再床、劙芋山から南に䞋り、もう䞀床岡町ぞ戻ろう。

    原田神瀟の手前。南北を走る胜勢街道ず亀わり今床は西ぞ䌞びる道がある。

    䌊䞹街道。

    次はこの道を歩く。

    その先には、江戞時代に日本有数の酒造郜垂ずしお栄えた䌊䞹がある。

    街道ず氎運を䜿い、倧量の酒を江戞ぞ送り出した町。

    そしお200幎以䞊埌、その町の東偎には巚倧な飛行堎が぀くられ、人を党囜、そしお䞖界ぞ送り出すこずになる。

    酒を江戞ぞ送った町が、やがお人を空ぞ送り出す町になる。

    次回は䌊䞹街道を西ぞ。

    酒の町から空枯郜垂ぞ倉わった䌊䞹の400幎を远っおみたい。

     
     
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