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仙厓義梵の句「善し悪し(よしあし)の中を流れて清水かな」

    「善し悪し(よしあし)の中を流れて清水かな」は、江戸時代後期の禅僧であり、数多くのユーモアあふれる禅画や狂歌を残した仙厓義梵(せんがい ぎぼん)によって詠まれたとされる句です。

    以下に、作者のプロフィール、句が持つ深い意味、そして現代の私たちがこの句から学べることについて詳しく解説します。

    1. 作者のプロフィール:仙厓義梵(1750〜1837)

    仙厓和尚(せんがいおしょう)として親しまれる仙厓義梵は、江戸時代中期から後期にかけて活躍した臨済宗の禅僧です。

    美濃国(現在の岐阜県)に生まれ、長年の行脚の末、博多の聖福寺(しょうふくじ・日本最初の禅寺)の第123世住職となりました。

    彼は「博多の仙厓さん」と呼ばれ、民衆から広く愛されました。

    難解な禅の教えを、ユーモアと機知(とんち)に富んだゆるりとした筆致の「禅画」や、親しみやすい言葉で表現したことで知られています。

    権威を笠に着ることを嫌い、商家の人々とも気さくに付き合う反骨精神と大らかさを持ち合わせた、「清濁併せ呑む」ようなスケールの大きな人物でした。

    2. 句の意味と表現の妙

    この句の最大の魅力は、「よしあし」という言葉に込められた掛詞(ダブルミーニング)にあります。

    • 文字通りの意味(自然の情景):「よしあし」は、水辺に生える植物の「蘆(あし)」「葦(よし)」のことです。植物の「あし」は「悪し」に通じるため、縁起を担いで「よし(善し)」とも呼ばれます。文字通りには、「川岸に生い茂る蘆や葦の群生の中をくぐり抜けながらも、水は少しも濁ることなく、澄み切った清水のまま流れていくなあ」という美しい自然の情景を詠んでいます。

    • 禅的な意味(人生の真理): 「よしあし」を人間の世界の「善し悪し(善悪・損得・好き嫌い)」に重ね合わせています。世の中には、良いこともあれば悪いこともあり、立派な人もいればズルい人もいます。そうした「善悪が入り混じったドロドロとした俗世間(=よしあし)の中にあっても、それに染まったり心を濁らせたりすることなく、自分自身の本来の純粋な心(=清水)を保って生きていく」という、禅の悟りの境地を表しています。

    「泥中の蓮(泥の中から生えながらも、美しい花を咲かせる蓮)」と同じく、外界の汚れに染まらない心の清らかさを説いています。

    3. 現代人がこの句から学ぶべきこと

    情報が溢れ、価値観が多様化した現代社会は、まさに「善し悪し」が複雑に絡み合った世界です。この句は、現代を生きる私たちに2つの重要なヒントを与えてくれます。

    ① 環境から逃げず、しかし環境に染まらない強さ

    仙厓は「清水でありたいなら、山奥に引きこもって俗世を絶て」とは言っていません。

    水は「よしあしの中」を堂々と流れています。

    現代社会では、理不尽な人間関係やネガティブなニュース、SNSでの誹謗中傷など「悪しきもの」に触れる機会が多々あります。

    しかし、そうした社会から逃絶するのではなく、その中を生き抜きながらも「自分の軸(清水)」を濁らせない強さを持つことの大切さを教えてくれます。

    ② 「善悪のジャッジ」に執着しないしなやかさ

    世の中の出来事や他人の振る舞いを「これは善だ」「あれは悪だ」といちいち裁いていると、心は波立ち、やがて濁ってしまいます。

    葦が水をゆっくり浄化するように、世の中の矛盾や清濁を受け入れ、執着せずにサラサラと受け流していく。

    そうした「しなやかさ」こそが、心の健康を保ち、自分らしく生きるための知恵だと言えます。

    仙厓の「善し悪しの中を流れて清水かな」は、ストレスフルな現代社会を生きる私たちに、世間のノイズに振り回されない「心の保ち方」を優しく指南してくれる名句です。

     
     
    「言葉の力で未来を変える!」、こんにちは、詩人の風花未来です。私は2019年より「詩心回帰」「まどか」「まどか愛」「まどか学」を提唱。2023年に「風花まどか大学」を創設。現在は「人気の高い日本の詩ランキング」を連載中です。

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