メインコンテンツへスキップ
見出し画像
Photo bytarohanamana

偏差値教育は時代遅れなのか

    日本の学校教育、特に中学校・高校では、長い間「偏差値」が大きな影響力を持ってきました。

    偏差値は、集団の中で自分がどの位置にいるかを示す指標です。志望校を選ぶ際には分かりやすく、異なる試験結果を比較する上でも一定の役割を果たしてきました。

    一方で、偏差値によって学校や生徒を一つの物差しで並べる教育には、限界もあります。

    「偏差値教育はよくない」と批判することは簡単です。しかし、本当に必要なのは、偏差値教育を否定することではありません。

    偏差値に代わって、子どもの成長や学びの価値をどのように捉えるのか。その具体的な対案を示すことです。

    その一つとして期待されているのが、「探究型学習」です。

    偏差値が支持されてきた理由

    偏差値教育を考えるとき、まず偏差値がなぜ広く使われてきたのかを理解する必要があります。

    偏差値は、分かりやすい指標です。

    同じ試験を受けた集団の中で、自分の位置を一つの数字で確認できます。高校や大学を選ぶ際にも、「現在の学力でどこを目指せるか」という目安になります。

    また、評価する側にとっても便利です。

    多数の受験生を限られた時間で選抜するには、点数や偏差値のような共通指標が必要になります。

    つまり、偏差値教育は単に古い考え方だから残っているのではありません。比較しやすく、選抜に利用しやすいという、強い機能を持っているのです。

    だからこそ、偏差値を批判するだけでは教育は変わりません。

    偏差値では見えにくい力

    偏差値が示すのは、主に試験によって測定された学力の集団内での位置です。

    しかし、子どもたちが持つ力は、それだけではありません。

    自ら問いを立てる力。

    異なる情報を結び付ける力。

    他者と協働する力。

    失敗しても試行錯誤を続ける力。

    自分の考えを表現する力。

    現実の課題に対して、学んだ知識を使う力。

    こうした力は、従来型の試験だけでは十分に測れません。

    テストで高得点を取ることと、正解のない課題に向き合えることは、重なる部分もありますが、同じではありません。

    AIが短時間で情報を整理し、文章や画像まで生成する時代には、既にある正解を再現する力だけでなく、何を問うか、何をつくるか、どのような価値を生み出すかが重要になります。

    探究型学習という対案

    探究型学習では、教員から与えられた問題に正解するだけではなく、生徒自身が問いを立てます。

    例えば、「環境問題について調べる」というテーマが与えられたとしても、そこから何に注目するかは生徒によって異なります。

    校内の電力消費を減らせないか。

    地域のごみ分別は十分に機能しているか。

    学校の暑さ対策を改善できないか。

    問いを立て、情報を集め、整理・分析し、試作品や提案をつくり、他者から意見をもらって改善する。

    この過程では、知識を覚えるだけでなく、知識を使うことが求められます。

    探究型学習は、偏差値の代わりに別の順位をつくる教育ではありません。

    一人ひとりが、何を問い、どのように考え、何を生み出したのかを評価する教育です。

    「好きなことを調べる」だけではない

    ただし、探究型学習を偏差値教育の対案とするなら、単なる自由研究で終わらせてはいけません。

    「好きなテーマを選んで調べましょう」

    「最後にスライドへまとめましょう」

    これだけでは、インターネット上の情報を並べた調べ学習になりがちです。

    探究には、問いの質を高める指導が必要です。

    情報の信頼性を確かめる方法も教えなければなりません。

    データの集め方、比較の仕方、引用や出典の示し方、インタビューの方法、試作品の改善方法なども学ぶ必要があります。

    探究は、教員が何も教えない学習ではありません。

    適切なティーチング、メンタリング、スキャフォールディングを組み合わせて設計する学習です。

    教科学習との対立ではない

    探究型学習を語るとき、「知識詰め込み型教育」と対立させる議論があります。

    しかし、知識と探究は対立するものではありません。

    十分な知識がなければ、深い問いは立てられません。

    歴史的背景を知らなければ、社会問題を表面的にしか捉えられません。科学的な原理を知らなければ、実現可能な試作品をつくることは困難です。

    探究型学習に必要なのは、教科学習を減らすことではなく、教科で学んだ知識を現実の課題へ接続することです。

    知識を覚える。

    知識を使う。

    使った結果から、新たな疑問を持つ。

    その疑問を解決するために、再び知識を学ぶ。

    この循環が、本来の探究型学習です。

    探究をどう評価するのか

    偏差値教育の対案を示す上で、最も難しいのが評価です。

    テストであれば、正誤や点数で評価できます。しかし、探究では、生徒ごとにテーマも方法も成果物も異なります。

    そこで、結果だけでなく過程を評価する必要があります。

    問いをどのように変化させたか。

    根拠のある情報を集められたか。

    他者の意見を取り入れたか。

    失敗から改善できたか。

    自分の考えを相手に伝えられたか。

    こうした観点をルーブリックや記録、振り返り、ポートフォリオなどで捉えます。

    一度の発表が上手だったかではなく、探究の過程でどのように成長したかを見るのです。

    ただし、探究の成果をすぐに数値化し、新たなランキングをつくれば、結局は偏差値教育と同じ構造になります。

    評価は必要ですが、比較よりも成長を支えるために使われるべきです。

    進路との接続が必要

    探究型学習が広がりにくい理由の一つに、進路選択との関係があります。

    学校が「偏差値だけではない」と語っても、入試が知識量や試験得点を中心に選抜しているなら、生徒や保護者が偏差値を重視するのは当然です。

    したがって、探究型学習を本当の対案にするには、授業だけを変えるのでは不十分です。

    入試。

    調査書。

    ポートフォリオ。

    総合型選抜。

    学校から社会への接続。

    これらも含めて、探究で培った力が評価される仕組みを整える必要があります。

    探究を頑張っても進路につながらないのであれば、それは生徒にとって追加の負担になってしまいます。

    おわりに

    偏差値は、学力の一側面を示す便利な指標です。なくせば教育が良くなるほど、問題は単純ではありません。

    一方で、偏差値だけを基準に子どもや学校の価値を判断すれば、問いを立てる力、協働する力、創造する力、試行錯誤する力など、多くの大切な力が見えなくなります。

    だからこそ必要なのは、偏差値教育への批判ではなく、説得力のある対案です。

    探究型学習は、その有力な選択肢になり得ます。

    ただし、名称を「探究」に変え、発表会を増やすだけでは十分ではありません。教科で身に付けた知識を活用し、適切な支援を受けながら問いを深め、試行錯誤の過程を丁寧に評価する仕組みが必要です。

    偏差値という一つの数字から、子どもの多様な学びを捉える複数の物差しへ。

    探究型学習が目指すべきなのは、偏差値を否定することではなく、偏差値だけでは語れない一人ひとりの可能性を、教育の中で具体的に示すことなのではないでしょうか。

     
     
    【探究学習を探究する30代】私立中高一貫校勤務| 備忘録がてらnoteを書いています。校内STEAMラボを設計•運営。探究•EdTech•生成AI関連、特に探究学習について情報発信しています。Amazonアソシエイト

    あなたへのおすすめ