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Photo bytarohanamana

成績不振生徒を切り捨てる教員へ

    教員をしていると、時折、耳を疑うような言葉を聞くことがあります。

    模試の結果が返却された職員室で、

    「こいつさえいなければ平均が上がるのに」

    「この生徒がいるせいで実績が下がる」

    そんな言葉を、平然と口にする教員がいます。

    冗談のつもりなのかもしれません。

    愚痴のつもりなのかもしれません。

    しかし、その言葉の根底には、

    生徒を教育の対象ではなく、自分の評価対象として見ている

    という危うい考え方が潜んでいます。

    教育者として、その姿勢は一度立ち止まって考え直す必要があるのではないでしょうか。

    成績優秀な生徒は「自分の手柄」なのか

    進学校では、大学合格実績が学校評価の一つになります。

    難関大学へ多く合格すれば学校のブランドは高まります。

    すると教員の中にも、

    成績優秀な生徒を

    「自分が育てた」

    と考えてしまう人がいます。

    もちろん教員の指導が生徒の成長に影響を与えることはあります。

    しかし、その生徒がそこまで成長した背景には、

    * 家庭環境
    * 本人の努力
    * 周囲の支え
    * 他教科の教員
    * 部活動や友人関係

    など、多くの要素があります。

    成果だけを自分の手柄として受け取り、逆に成績が伸びない生徒を「足を引っ張る存在」と見るのは、あまりにも一面的です。

    教育は「平均点」を競う仕事ではない

    学校教育は、模試の平均点を競うために存在しているわけではありません。

    教育基本法には、教育の目的として

    「人格の完成」

    が掲げられています。

    つまり教育とは、

    一部の優秀な生徒だけをさらに伸ばすことではなく、

    すべての子どもがよりよく成長できるよう支援することです。

    もし成績が低い生徒を排除したいと思うのであれば、

    それは教育ではなく選抜です。

    選抜機関ならばその論理も成り立つかもしれません。

    しかし学校は、選抜だけを目的とした場所ではありません。

    成績は氷山の一角

    私は、生徒の成績は

    氷山の一角

    だと思っています。

    テストの点数として見えている部分は、ほんの一部です。

    その水面下には、

    * 家庭の事情
    * 経済的困難
    * 睡眠不足
    * 発達特性
    * 学習障害
    * 人間関係
    * 自己肯定感の低さ
    * 心身の不調

    など、様々な要因が隠れていることがあります。

    教員が見るべきなのは、

    点数そのものではなく、

    その点数に至った背景です。

    「なぜできないのか」を考える

    もし生徒が成績不振なら、

    教育者が最初に考えるべき問いは、

    「なぜこの生徒は学べないのだろう。」

    ではないでしょうか。

    授業が理解できないのか。

    勉強方法が分からないのか。

    家庭で勉強する環境がないのか。

    自己肯定感が下がっているのか。

    問題を点数だけで終わらせるのではなく、

    その背景に目を向けることが教育の出発点です。

    授業だけが教員の仕事ではない

    教員の仕事は授業をすることだけではありません。

    * 生徒理解
    * 教育相談
    * 保護者との連携
    * 学級経営
    * 進路指導

    など、多面的な役割があります。

    だからこそ、

    授業中の様子だけでは見えない生徒の姿を知ることができます。

    「授業についてこない生徒」

    ではなく、

    「何らかの理由で今は学びに向かえない生徒」

    かもしれません。

    その違いは非常に大きいのです。

    生徒はトロフィーではない

    教員の評価が、

    大学合格実績や模試結果だけで語られるようになると、

    生徒を「実績」として見る危険があります。

    しかし、生徒は教員のトロフィーではありません。

    教員が誇るべきなのは、

    難関大学合格者数だけではなく、

    昨日まで学校へ来られなかった生徒が登校できたこと。

    勉強嫌いだった生徒が一冊の本を読み切ったこと。

    自信のなかった生徒が人前で発表できたこと。

    そうした一人ひとりの成長です。

    教育の成果は、偏差値だけでは測れません。

    EBPMの視点から

    近年は教育にもEBPM(Evidence-Based Policy Making)の考え方が求められています。

    データは重要です。

    しかしデータだけでは人は見えません。

    テスト結果という定量データだけでなく、

    観察や対話といった定性的な情報も合わせて見ていく必要があります。

    数字は現象を示します。

    しかし原因までは教えてくれません。

    おわりに

    教員という仕事は、人を育てる仕事です。

    その対象は、成績上位者だけではありません。

    むしろ困っている生徒に手を差し伸べることこそ、教育の本質ではないでしょうか。

    もちろん、教員も人間です。

    忙しい日々の中で、思わず愚痴をこぼしたくなることもあるでしょう。

    しかし、

    「この生徒さえいなければ」

    という発想が常態化したとき、その教育は誰のためのものなのでしょうか。

    成績は、生徒の価値そのものではありません。

    そして生徒は、学校や教員の実績を飾るための存在でもありません。

    教育とは、一人ひとりの可能性を信じ、その背景にある課題と向き合い続ける営みです。

    人格の完成を目指す教育者であるならば、私たちはまず、生徒を「点数」ではなく「一人の人間」として見つめるところから始める必要があるのではないでしょうか。

     
     
    【探究学習を探究する30代】私立中高一貫校勤務| 備忘録がてらnoteを書いています。校内STEAMラボを設計•運営。探究•EdTech•生成AI関連、特に探究学習について情報発信しています。Amazonアソシエイト

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