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もっと愚痴をこぼしてもいいんじゃない。

    やりたくてやっているのか、仕方なくやらされているのか。
    たいていの物事は、どちらかの心でやっていると思うのですが、この心の在り方でその先が大きく変わってしまうと思います。

    自分が心からやりたいと思っていることをやっているときは、少々無理してもさほどストレスを感じることはありませんが、やりたくってやっているわけではない、しょうがなく仕方なくやっている場合は、それほど無理しているわけでもないのに妙に疲れます。

    人生にも言えると思うのですが、生きたくて生きているのか、なんだかわからないけど仕方なく生きているのかでは、生きていることに対する感じ方が変わってしまう気がします。

    なにも無理に大志を抱く必要はないと思うのですが、自分自身の心の声を聞きながら、多少ルーズな自分自身を許しながら生きている人と、自分自身をいつも他人と照らし合わせながら自分自身の心の声を無視して、世間に完璧に合わせようと無理して生きている人では、おのずと大きな差が出来るような気がします。

    会社でもやたらイライラしたり、他人のことばかり気にして注意ばかりしてきたり、首を突っ込むべきではない問題まで首を突っ込んできて頭に血が上っている人などは、頑張っているわりに周りから冷ややかな目で見られ、何よりもその人自身が生きづらそうに見えます。
    結果的に周りも自分自身もつらくなっていくばかりで、最終的には人が離れていってしまうでしょう。

    せっかくこの世に生を受けたのだから、自分自身を楽しませながら生きた方がいいに決まっているのに、どうしてこの世はこうも生きづらいのでしょうか。

    誰もが他人を引きずり下ろすことばかりに一生懸命なのはどうしてなのでしょうか。

    いつも何かに搾取されているような気になるのはどうしてなのでしょうか。

    自分がやりたいこと、あるいはやりたくないことに素直に生きることが、どうして他人に批判されなければいけないのでしょうか。

    まったくもって、生きづらい世の中ですね。

    愚痴を言い出したら止まらなくなるのですが、僕は長い間、愚痴を言うのはよくないことだと思って我慢してきました。
    うつ病になってカウンセリングに通うようになって、かなりの時間を愚痴を吐き出すことに使ってきた気がします。
    三年経った今でも愚痴ります。
    しかし最近は、この愚痴をこぼす場所を持っているということは、実はとても大切なことではないかと思うようになっています。

    あれはいけないこれはいけない。
    もっとポジティブにということを求めてくる世の中では、愚痴をこぼせる場所があまりにも少ないような気がします。
    その結果、ストレスが適切に処理されずに周りに当たり散らす人が増えてきているのではないでしょうか。

    愚痴はこぼしてもいいと思うのです。
    ストレスを感じないようにするのではなく、感じたストレスを吐き出すことが重要だと思うのです。
    ただしこぼす場所と相手は慎重に選ぶべきです。
    出来るなら利害関係のない第三者やカウンセラーのようなプロがいいでしょう。
    自分が安心して愚痴をこぼせる場所が見つかったら、思う存分に愚痴りましょう。

     
     
    うつを経験し、「どうすれば人は自分を壊さずに生きられるのか」を書いています。生きづらさ、働くこと、人間関係、現代社会への違和感を、静かな言葉で。時々、思想と猫。メンバーシップで長文エッセイ更新中。

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