
9月は接吻してってば~アマノ文筆クラブ~
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九月一日、雨。
「ねえ、九月になったよ」
わたしはLINEに、そう打った。既読はすぐについた。返信はこなかった。
彼とは去年の夏に別れた。理由らしい理由はなかった。ただ、八月の終わりに彼が「九月になったら、ちゃんと考えよう」と言って、九月が終わっても、何も考えてくれなかった、それだけのことだ。
わたしはその日、彼の家の鍵を、駅前の川に投げた。川はぬるくて、鍵はすぐに沈んだ。
あれから一年。
彼から「元気?」と、たった三文字が届いたのが、八月の最後の日だった。わたしは返さなかった。返さないまま、九月になった。
九月二日、晴れ。彼から電話。出なかった。
九月五日、曇り。彼からLINE。「会えない?」。既読だけつけた。
九月九日、雨。彼から手紙。手書きで、便箋三枚。読まずに、抽斗の奥に入れた。
わたしは知っていた。彼が今、何をしたいのかを。もう一度、あの夏に戻りたいのだ。冷房の効きすぎたわたしの部屋で、麦茶を飲みながら、くだらないテレビを見て、笑って、それから——。
でも、と思う。でも、あなたが「九月になったら」と言ったあの九月に、わたしは一人で秋を迎えたのだ。あなたのいない秋の、いちばん最初の一日を、わたしはもう知っている。

九月十五日、月がきれいな夜。彼が、家の前に立っていた。
インターホンは鳴らさなかった。ただ、そこに立っていた。わたしはカーテンの隙間から、それを見ていた。二十分。三十分。一時間。
わたしは、玄関を開けた。
「なんで来たの」
「……接吻していい?」
馬鹿みたいな台詞だった。「キス」でも「チュー」でもなく、「接吻」。彼はいつだって、肝心なところで、少しだけ、古い人だった。それがわたしは、昔から、たぶん、少しだけ好きだった。
「だめ」
わたしは言った。
彼は困った顔をして、それから笑った。
「じゃあ、九月が終わるまでに、もう一回だけ、言いに来ていい?」
「だめって言ったら?」
「……九月は、接吻してってば、って、粘る」
わたしは思わず、笑ってしまった。
笑ってしまった、というのが、たぶん、いちばんまずかった。
九月三十日、雨のち晴れ。
彼はあの日から、三回、家の前に立った。四回目の今夜、わたしは玄関を開けて、傘を差し出す。
「濡れてるよ」
「うん」
「風邪ひくよ」
「うん」
「……一回だけね」
九月が終わる。
接吻は、雨の匂いがした。
___了