
「人は、自分の知らないところで勝手に語られる。」
喜撰法師について学んでいて、
一番面白いと思ったのは、
本人の生き方と、
周囲から見た人物像のズレだった。
百人一首の第八首に歌を残した喜撰法師。
学研公式YouTubeの超訳マンガでは、
都を離れ、
宇治山で静かに暮らす僧として描かれている。
ところが、
都ではさまざまな噂が広がっている。
なぜ、
あんな不便な場所に住んでいるのか。
世の中が嫌になったのではないか。
仙人のような人物なのではないか。
本人が何も言わなくても、
周囲は勝手に理由を考える。
これ、
今でもまったく同じだと思う。
会社を辞めた。
結婚しなかった。
海外へ移住した。
人間関係を変えた。
SNSをやめた。
一般的な生き方から少し外れるだけで、
人は理由を知りたくなる。
そして、
本人に聞く前に、
勝手に物語を作る。
喜撰法師の有名な歌が、
「わが庵は 都のたつみ しかぞ住む
世をうぢ山と 人はいふなり」。
自分はただ、
都の南東にある宇治山で暮らしているだけ。
でも世間では、
「世の中をつらいと思って宇治山に隠れた人」
のように言われている。
「宇治」と「憂し」を重ねたところも面白い。
つまり、
少し笑いながら、
世間の噂を眺めているようにも感じる。
動画の中でも、
喜撰法師は、
世間に対して必死に反論するわけではない。
「そう言われているなら、まあそれでもいい」
そんな肩の力の抜けた人物として描かれていた。
僕は、
この生き方が好きだ。
人からどう見られるかを、
完全にコントロールすることはできない。
どれだけ説明しても、
誤解する人はいる。
勝手に評価する人もいる。
だったら、
すべての人に理解してもらおうとしなくてもいい。
自分が心地よい場所で、
自分が納得できる暮らしをする。
そして、
必要なら自分の言葉だけを残す。
喜撰法師の歌が、
千年以上たった今も読まれているのは、
世間への怒りをぶつけたからではない。
少し距離を置いて、
自分と世間のズレを、
歌にしてしまったからなのかもしれない。
他人が作った自分の物語に、
自分まで付き合う必要はない。
「人はそう言う。でも私はこう生きている」
そのくらいの距離感で、
人生を生きてもいいのだと思う。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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