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昭和浪漫講談:〽️怖さの解像度が上がった話――『悪魔のいけにえ』と肉食の思想

    (パン、パパンと釈台を叩く音)

    あたくしが最初にあの映画を知ったのは、若い頃にみたテレビでした。

    テレビで流れた予告編。

    それだけで恐怖におののいていた映画があった。

    「魔鬼雨」(いま思えば駄作とも言えるB級ホラー)や『スナッフ/SNUFF』(これまたB級映画…当時は本物の殺人映像の流出などと宣伝されていた)そして「悪魔のいけにえ」。

    その後、ある程度の年齢になった頃ホラー映画にハマった。バタリアン、死霊のはらわた、エクソシスト、オーメン——レンタルビデオ屋を片っ端から漁った。怖いもの見たさというやつだ。

    ホラーは怖くても「空想として処理」できた。悪魔も、ゾンビも、異星人も、「映画の話だ」と頭のどこかで整理できる。
    なので面白くみていた。ドキッとするのも楽しめる感覚ってやつだろうか。

    しかし「悪魔のいけにえ」だけは違った。

    あれは実際にあったんじゃないか。
    いまもアメリカのどこかで、似たようなことが起きているんじゃないか——。

    あたくしはそれを「地続きの怖さ」と呼んでいる。

    (パン)

    さて話は変わって、最近のことだ。

    橋爪大三郎と大澤真幸の『ふしぎなキリスト教』という本を読み終えて、頭がパンク状態になった。

    西洋文明の根っこにある一神教の巨大さ、その底知れなさに、思考が飽和してしまったのだ。

    もともとこの本を読もうと思ったのが、「サウンダラナンダ」を読んだ時に仏教についていろいろ調べていたことが機縁だ。仏教にも知らないことがたくさんあった。

    なんとなくキリスト教を理解した気になっていたが、西洋思想の根底に横たわるキリスト教思想を知るにはなにがいいだろうか?と思い選んでいた本。

    たしかに、キリスト教についていろいろと知らなかったことは分かったような気になった。

    この本はベストセラーになるほど売れていた。

    しかし、それを凌駕するほどの反対意見などがあることを知った。

    特に信仰などもしていない自分がどこまでキリスト教を理解する必要があるかは疑問だが、キリスト教思想を知らない限り現代社会の状況を真に理解するということは不可能なのではないか?と思う。

    なので、反論書籍も注文中だ。

    しかし、ここ数週間このキリスト教関連のことばかり考えていたのでちょっと違う方向性のものが読みたくなった。

    みなさまご存知の通り、裏仕事人は食いしん坊だ。

    気分直しに何を読もうかと思いながら積読だなからを眺めているうちに…。

    手に取った本はこれだ!

    「肉食の思想」ヨーロッパ精神の再発見
    鯖田豊之著 中公新書

    古来日本人は肉食というものは比較的しなかったらしい。
    そして、かなり大雑把な考えだが狩猟文化、農耕文化などの分類されることにもなった。

    面白いじゃないか!
    次はこれだ!

    (パパン)

    ところがページをめくるうちに、背筋がゾッとした。

    口直しどころか、もっと深みにはまった。そしてその深みの底で、あの「地続きの怖さ」の正体と、ついに出くわしてしまったのだ。

    (パン)

    『肉食の思想』に何が書いてあったのか。

    ヨーロッパが何世紀もかけて育ててきた思想がある。

    「神 > 人間 > 動物」という、絶対的な階級意識だ。

    動物は人間に支配され、消費されるために存在する。だからどれだけ残酷に扱っても、それは罪にならない――。

    この「引き出し」が、西洋という文明の底に静かに、確実に組み込まれている。

    (パパン)

    ここでひとつ、ぞっとする話をしよう。

    この「人間」というカテゴリー、日本の士農工商とは根本的に違う。
    士農工商は建前上、努力や時代の流れでランクが動く。

    だが西洋の階級は、神が決めた固定だ。
    ランクアップが無理ゲーなのだ。

    しかもその頂点にいる「人間」とは、その時代その地域における『正統派の支配者層』だけを人間とみなし、それ以外をじわじわと外側に押し出すシステムを指している。

    『正統派の支配者層』以外は人以下の扱い。

    動物にすら序列があって、家畜と屠畜は別物として区別されている。

    であるがゆえに、動物愛護と食肉に齟齬が生じない。

    カテゴリーの内側には秩序がある。だがカテゴリーの外側に置かれた瞬間、そこにあるのは「もの」だけだ。

    歴史上、戦場で人が人に対してあれほどの残酷さを発揮できたのはなぜか。

    答えは単純だ。相手は「人間」のカテゴリーの外にいたからだ。

    (パン)

    さあここで、あの映画に戻ろう。

    『悪魔のいけにえ』の殺人鬼一家の正体を、皆さんはご存知だろうか。

    彼らはもともと、屠殺場の職人だった。

    牛を殺し、解体し、肉にする。

    それが代々の仕事だった。

    ところが屠殺場が機械化されて、職を失った。
    白人でありながら文明社会の底辺に追いやられた、周縁の人間たちだ。

    毎日、牛を「もの」として処理してきた手がある。
    その手に、区別など、はじめからなかったのかもしれない。

    彼らの場合、ファミリー以外は人間ではなかった…

    (パパン)

    レザーフェイスに悪意はない。
    憎しみもない。

    彼はただ、知っている仕事をしているだけだ。

    人間をミートフックに吊るし、ハンマーで頭を砕き、解体する。

    牛にやってきたことを、そのまま人間にやっている。

    迷い込んだ若者たちは、文明のカテゴリーから二重にはみ出した場所に踏み込んでしまった。

    一重目——アメリカの辺境、テキサスの荒野。

    二重目——文明社会からも弾き出された一家の領域。

    その一家が持っているのは、文明から受け継いだ「肉食の思想」の引き出しだけだ。

    カテゴリーの外に置かれた瞬間、人間は「もの」として処理していい——というあの引き出し。

    若者たちは迷い込んだ瞬間に、その引き出しのなかに入れられた。

    (パン)

    怖いのはレザーフェイスじゃない。

    その引き出しを作った文明の方だ。

    知らずに見ても怖い。知ってから見ると、もっと怖い。

    そしてこの怖さ、映画の中だけの話では全くない。

    実はこの「引き出し」、その果実だけを根っこごと理解しないまま持ち込んだ、この国の話でもあるのだが——それはまた次の釈台で。

    今日はここまで、一席読み終わりといたします。

    (パン、チョン)


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    さあ、食事の時間だ…

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     #昭和浪漫講談
     #「肉食の思想」鯖田豊之著 中公新書

     
     
    のぞいてごらん、ビジネス面。 高尚な批評もあれば、腰から下の本音もある。 ましてや人の心は闇から闇へ……。 表もあれば、裏もござんす

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