
伝え方の問題だけではないのかもしれない〜「元気そう」の奥にあるもの〜
昔、息子が幼稚園の頃、先生からこんな話を聞いたことがある。
「ペットボトルの底から、飲み口を覗いているような状態なんです」
周りが見えなくなっている状態を説明するための例えだった。

その時の私は、
「あぁ〜、なるほど!」
と妙に納得した。
今になって思う。
うつの時の視界も、少し似ているのかもしれない。
世界がなくなったわけではない。
でも、見える範囲がものすごく狭くなる。
しかも、その穴の大きさはいつも同じではない。
体調によって少し広がる日もあれば、
ほとんど何も見えなくなる日もある。

私はよく、
「元気そうだね」
と言われる。
実際、人前では元気そうに振る舞えることも多い。
心配をかけたくない。
相手に悪いと思う。
場の空気を壊したくない。
だから、ある程度は取り繕えてしまう。
でも、
「元気そうに見えること」と
「元気であること」は、
同じではない。
つらさを強く訴えれば、
「大げさ」と受け取られることもある。
静かに伝えれば、
気づかれないこともある。
では、一体どう伝えればいいのだろう。
そんなことを、何度も考えてきた。

でも振り返ってみると、
誰にも気づいてもらえなかったわけではない。
実家の家族や子どもたち。
同じように療養している入院患者さん。
看護師さん。
そして、支援団体の人たち。
完璧に理解してもらえたわけではなくても、
「今日はちょっと違う」
「大丈夫?」
と立ち止まってくれる人はいた。
言葉をたくさん交わさなくても、
自然に様子を見に来てくれる人もいた。
私はずっと、
伝わらないと、
「私の伝え方が悪かったのかな」
と考えてきた。
でも、本当にそれだけなのだろうか。
同じ様子を見ても、
気づく人と気づかない人がいる。
気づいてすぐ声をかける人もいれば、
少し時間が経ってから声をかける人もいる。
気づいていても、
何も言わない人もいる。
そのまま見て見ぬふりをする人もいる。
そして、こちらが元気そうに取り繕っていたとしても、
「いつもと何か違う」
と気づいてくれる人もいる。

そう考えると、
苦しさが届くかどうかは、
伝える側だけの問題ではないのかもしれない。
伝えることは、きっと大切だと思う。
でも同時に、
受け取る側が少し立ち止まることも、
同じくらい大切なのかもしれない。
「大丈夫?」
たった一言で、
救われることがある。
私は今、
支えられる側になって、
そのことを改めて感じている

⸻
#CoinBridge (コインブリッジ)
構造を言語化し、現場と制度をつなぎ、相談できる状態まで橋渡しする。
現在は療養中のため、無理のない範囲で地域活動やボランティアに関わりながら、日々感じたことを発信しています。
現場で感じた違和感や、制度との間にあることを、少しずつ言葉にしています。
⸻