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音楽家として、生きていく~私の音楽遍歴/エレクトーンから三味線まで

    「音楽家」として生きていきたいと思っています。

    そもそも、「音楽家」とは、何でしょうか?

    音大を出て、職業として演奏活動をしている人?
    コンサートのステージに立って拍手喝采を浴びる人?
    自分でCDを出したり、SNS等で楽曲を配信している人?

    もちろん、その人たちも素晴らしい音楽家ですが、
    私が生き方として主張したい「音楽家」は、ちょっと違います。

    「音」を「楽」しむ
     at「家」

    これが私の思う「音楽家」です。

    私は、プロの作家になりたいとか、
    プロの読書家(?)になりたいと思ったことはありますが、
    プロの音楽家になりたいと思ったことは、不思議と一度もありません。

    ヤマハ音楽教室や鼓笛隊、吹奏楽部などを通じて、
    楽器を演奏する機会は人より多かったと思います。

    シンセサイザーやDTMで音楽を作ることもありました。

    でも、私にとって音楽とは、
    「音を楽しむ」ということに尽きるのです。


    音楽のある人生

    思い返せば、私の人生にはいつも音楽がありました。

    学生時代、部屋でラジカセを抱えて、自作のテープを作っていたあの頃。
    レンタルレコード店の棚の前で、ジャケットを眺めながらその中にある音を想像していた日々。
    新しい楽器を弾けるようになった喜び、ライブで流した感動の涙。

    仕事ではないからこそ、自由気ままに、音楽を楽しめる。
    日常のなかで、音や音楽に、耳を澄ます感性を持っている。

    それも立派な“音楽との付き合い方”だと思うのです。
    つまり、音を楽しむ“プロ”。

    あ、“プロ”とは「特定の分野の専門家」くらいの意味です。


    ♪ 音を楽しむということ

    ここでいう「音を楽しむ」とは、
    聴く、演奏する、語る、そして、作ることまで含んでいます。

    たとえば、
    ・Spotifyで「今日の気分に合う曲」を探し出す選曲力
    ・好きな曲のコード進行をギターでなぞってみる研究心
    ・友人に「好きなバンドの凄さ」を熱弁する語りの情熱
    ・スマホアプリでちょっとしたジングルを自作する創作魂

    これらすべてが、「音楽家の活動」だと私は思います。

    ステージに立たなくても、評価されなくても、
    音を楽しみ、深く関わる姿勢そのものが、音楽家の証なのです。


    ♪ “at「家」”というコンセプト

    “at「家」”というコンセプトには、二重の意味を込めました。

    ひとつは文字通り、「家で」音楽を楽しむこと。

    もうひとつは、アットホーム――
    つまり、無理なく、自然体で、
    自分や身近な人たちのために音楽を奏でるという姿勢です。

    この感覚は、プロフェッショナルの世界とは少し違います。

    誰かの期待に応えるのではなく、
    誰かと比べて優れていることを証明するのでもありません。

    たとえば、キッチンで鼻歌を歌ったり、
    お風呂で自分の歌声の響きに酔いしれたり、
    頭の中に流れ出した音楽に合わせてリズムを刻んだり。

    そういう音楽の喜びが、生活のそばにあること。

    それこそが、私が思う「音楽家としての生き方」です。


    音楽の原風景=ヤマハ音楽教室

    ここで、私と音楽の原風景についてお話させてください。

    私は、幼稚園の頃からヤマハ音楽教室に通っていました。

    人生で大切なことは、すべてヤマハ音楽教室で学んだ……

    ――ちょっと言い過ぎたかもしれないので、こう言い換えます。

    人生で大切な音楽の素養は、すべてヤマハ音楽教室で学んだ。

    小学校6年間と合わせて8年間、エレクトーンを習いました。

    エレクトーンという楽器は、
    右手でメロディー、左手でコード(和音)、足でベースライン。
    演奏の途中で、音色を変えたり、リズムを鳴らしたり、
    なかなか忙しい楽器です。

    この経験が、音楽に対する理解を育ててくれたのは間違いありません。

    まず良かったことは、相対音感が身に付いたことです。

    何から何までドレミで聞こえるわけではないので、絶対音感とまではいえませんが、耳で聴いた音楽を譜面なしで演奏することは可能です。
    (ただし、主旋律=右手で弾くメロディに限る)

    次に、たくさんのコード(和音)を自然に覚えました。

    「C」「Em」「G7」などの単純なものであれば、
    アルファベットを見ただけで指が勝手に動くようになります。

    滅多に使わない複雑なコードも、仕組みがわかっているので、
    ちょっと考えれば鳴らすことができます。

    このおかげで、たとえばカラオケの歌本など、
    コードしか記載がない楽譜でも、自由に演奏できるようになりました。

    それから、足でベースラインを弾くことも、音楽の構造を理解するのに役立ちました。
    今でも音楽を聴くときベースラインに集中することがあります。

    最後に、エレクトーンには「音色」の調整という無限の可能性が詰まっていました。
    エレクトーンで「音をつくる」楽しさを知ったことが、後のシンセやDTMへの興味につながったと思います。

    私にとってエレクトーンは、単なる楽器ではなく、
    音楽の世界を一緒に旅する「乗り物」でした。

    ここで改めて、私をヤマハ音楽教室に通わせてくれた両親、
    何度もやめたいと思いつつ8年間エレクトーンを続けた過去の私に、
    心から「ありがとう」と言いたいです。


    ♫ 私の音楽遍歴【楽器編】

    エレクトーン以降の楽器遍歴を書いていきたいと思いますが、
    長くなりすぎるので、さらさらっとダイジェストでご紹介します。

    ・小学校では鼓笛隊に入っていた。
     いろいろやりたい人だったので、バスドラムからスネアドラム、
     ベルリラ、アコーディオンまで、全部の楽器を制覇した。

    ・中学に入ると、エレクトーンをやりすぎた反動(?)か、
     しばらく楽器はいいや、という気分になっていた。
     といいつつ、親戚からフォークギターを譲り受けたので、
     簡単な曲を少し弾いたり、コードを覚えたりした。

    ・高校生になると、楽器熱が再び高まり、吹奏楽部に入部。
     とある金管楽器を吹いていた。
     また、部活とは別に、授業としてあったクラブ活動で
     マンドリン・ファミリー(※)を順番に演奏した。
     (※)小さい方から順に、マンドリン、マンドラ、マンドセロ

    ・大学に入って交響楽団に入部しようとするものの、
     「必ず留年する」と脅され断念。
     代わりに、自分の身体を楽器にするサークルに入部。
     同時に邦楽部を兼部し、琴や三味線を練習する日々を送る。

    ・社会人になってPCを購入すると、DTMの真似事を始める。
     子どもが生まれてからは家庭内セッションに憧れ、
     子どものための楽器を研究する。

    ――以上、「私の音楽遍歴【楽器編】」でした。


    ネットのない時代の本物の冒険

    さて、私が音楽を深く探求し始めた頃は、
    まだGoogleもWikipediaもない時代。

    音楽の情報は、限られた雑誌や書籍、音楽好きの友人、
    そして何より、「実際に聴いてみる」という力技に頼るしかありませんでした。

    そう、当時、近所のレンタルレコード店は、
    本物の「冒険」の入り口だったのです。

    一枚のアルバムのライナーノーツを丹念に読み、過去作をたどり、
    同じレーベルのアーティストを芋づる式に聴いていく。

    作詞者や作曲者、編曲者、演奏者というのも、貴重な情報源でした。

    松本隆というよく見る作詞家が、伝説のバンドのドラマーと同一人物であることを「発見」して驚愕したり、荒井由実と松任谷正隆が結婚して松任谷由美が誕生したことを「理解」して電流が走ったり……。

    今の目で見ると、とんでもない「情弱」に映るかもしれませんが、
    当時は、それくらい情報がなかったのです。

    逆に、どうやって、いろいろな音楽の歴史や「人間関係」を知っていったんだろう……。

    それは、気が遠くなるほどの遠回りでしたが、
    今の時代では考えれない「本物の冒険」であり、音楽を探求する人は本物の「勇者」だったのです。

    そのプロセスの中で、私は自然と「音楽の地図」を広げていきました。

    あの頃の私は、間違いなく「音を楽しむ」ことに夢中でした。
    そして、その感覚は今でも私の中に生き続けています。

    音楽家とは、「楽しむ人」であり、「探求する人」でもある。
    そんなふうに思っています。


    ♫ 私の音楽遍歴【鑑賞編】

    こちらも駆け足で、ご紹介します。

    ・幼少時から、ベストテンやトップテンなど、
     歌番組は欠かさず見るほど音楽が大好きだった。
     年の離れた兄の影響で、流行りの曲だけでなく、
     小学生にしてはかなり手広く、渋い曲も聴いていた。
     特に「シンガーソングライター」をリスペクトしていた。

    ・中学時代は、多くの音楽好きの友人と協力関係を結び、
     Wラジカセ(死語)で、カセットにダビングしては聴き、
     聴いてはダビングする日々。
     ラジオのエアチェックも重要な日課だった。 

    ・高校に入ると、洋楽好きの友人の影響で、
     オールディーズから80年代の洋楽の美味しい所を一通りかじる。
     邦楽(J-POPの先祖)は、お気に入りの鉱脈を掘り下げていく。

    ・大学では、クラシックに目覚め、大量のCDを購入する。
     また、邦楽部の関係で、日本の伝統音楽も少し聴く。

    ・社会人になってからは、図書館にある膨大なCDを活用し、
     ジャズを中心に、いろいろなジャンルを意識的に聴く。
     いわゆるワールド・ミュージックも聴きかじる。
     また、子どものための音楽が案外クオリティが高いことを知る。

    ――以上、「私の音楽遍歴【鑑賞編】」でした。


    音楽家として、生きていく

    さて、昨日の記事で、「.ENDRECHRI.」のケリーさんが、
    「ファンクを聴いて、“自由さ”、“音を楽しむ人間力”を感じ、
     自分を取り戻せた」
    ということをご紹介しました。

    ケリーさんにとっては「ファンク」でしたが、
    本来、音楽とは、自由であり、音を楽しむためのものです。

    音楽家として、生きていく――

    それは、自分らしく、自由に生きていくことなのです。


    🎵 音楽家宣言 🎵

    私は、「音を楽しむ」at「家」をモットーに、
    これからも、自分らしく、音楽とともに生きていきます。

    聴くことも、感じることも、
    語ることも、つくることも、
    すべて、音楽家としての活動です。

    私は、音楽を暮らしの真ん中に置く「音楽家」です。

    そして、この家が、私のステージです。


    たくさんのnoteの中から、私の記事を見つけて読んでいただき、
    ありがとうございました。
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    どうぞ、よろしくお願いします。

    #創作大賞2025 #エッセイ部門

     
    関西在住。1級FP、独立系司書。50代でFIREを達成し、 何があっても「この先、生きのころー!」をテーマに 自称「マルチ・ポテンシャライター」(多趣味ライター 的な造語)として活動。今まで読んだ5000冊以上の本 から生まれたアイデアをもとに、童心で楽しむ日常 や創作を発信中。

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