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主人公として、生きていく~名曲・禅語・映画から考える「自分の物語」の歩き方

    「人は、誰でも、主人公である」

    と言われたら、どう思いますか?

    「そんなこと言われたのは初めてです!
     目が覚めました!」

    という人は、少ないのではないでしょうか。

    かといって、

    「そのとおり!
     私は、自分が主人公だと思って、
     毎日、主役を張って生きています!」

    という人も、また少ないのではないかと思います。

    おそらく、

    「まー、そうだよね」とか、
    「ああ、よく聞くけどね」

    という反応をする人が大半でしょう。

    紛れもなく、人は、誰もがみな「主人公」です。
    でも、そのことを意識して生きている人は少ない……。

    今日は、「主人公として生きていく」とはどういうことなのか、
    名曲、禅語、映画を題材として考えていきます。

    名曲の歌詞から考える「主人公」

    さて、「誰もが主人公」という、
    誰もがどこかで聞いたことあるような一節を
    人生で最初に聞いたのはいつか覚えていますか?

    私は、はっきり覚えています。

    1980年7月5日、TVドラマ「熱中時代」(第2シリーズ)の第1話で、
    主題歌『やさしさ紙芝居』を聞いたのが、
    人生初「誰もが(自分も)主人公」体験でした。

    この曲、

    「作詞:松本隆
     作曲:平尾昌晃 
     編曲:石川鷹彦」

    という、今にして思えば、
    豪華メンバーの手による、贅沢すぎる楽曲なのですが、
    当時、小学生だった私は、そのありがたみはよくわからず……。

    でも、子ども心に、めっちゃ良い曲だなぁと思っていました。

    正直、第1シリーズの主題歌、
    『ぼくの先生はフィーバー』より好きでしたね。
    (個人の感想です)

    その歌詞にこうあります。

    「ねぇ君 ぼくはこう想うのさ
     人生なんて紙芝居だと」

    「やさしさ紙芝居 そして誰もが主人公」

    ……当時の私が、「誰もが主人公」という言葉の深い意味を、
    どこまで理解していたかはあやしいです。

    学芸会とかで、
    生徒全員が「桃太郎」に扮している情景を想像した……
    とまでは思いませんが(笑)。

    「誰もが主人公」って、そんなことあるかなぁ?
    ……くらいの感想だったかもしれません。

    この言葉を、正確に、腹落ちするレベルで理解したのは、
    その後、さだまさしさんの名曲『主人公』を聴いてからだと思います。

    (私は、ファン歴40年を数えるさださんファンです)

    『主人公』は、1978年発表のアルバム『私花集』に収録された、
    さださんの代表曲の一つ。

    私は『帰郷』以降のベスト盤などに収録されている再録verより、
    『私花集』のオリジナルverが断然好きです……。

    さださんはこう歌います。

    「あなたは教えてくれた
     小さな物語でも
     自分の人生の中では
     誰もがみな主人公
    」

    きちんと、
    「自分の人生の中では」と限定されているんですね。

    これ、当たり前のようですが、案外大事なことです。

    自分が主人公なのは、あくまで、
    「自分の人生」において、なんです!

    人の数だけ人生があって、
    自分の人生の中では、自分が主人公。
    別の人の人生の中では、別の人が主人公です。

    別の誰かの人生においては、
    自分は、助演しているだけかもしれないし、
    場合によっては、「敵役」かもしれない——。

    忘れてはいけない、大切な視点だと思います。

    でも、自分の人生を生きるうえでは、
    間違いなく、自分自身が主人公なのです。

    誰に遠慮することもありません。

    このことは、肝に銘じておきたいですね。

    禅語の言葉から考える「主人公」

    さて、ここで、
    「主人公」という言葉の本来の意味を確認したいと思います。

    「主人公」とは、元々は、
    禅書『無門関』第12則に出てくる言葉です。

    中国、唐の時代、瑞巌という和尚は、
    毎日、自分自身に「主人公」と呼びかけて、
    自分で返事をしていたそうです。

    「主人公」
    「はい」

    「はっきり目をさましているか」
    「はい」

    「人にだまされるなよ」
    「はい」

    禅語において「主人公」とは、
    誰もが持っている自己、「主体的な人格」のこと。

    瑞巌和尚が「主人公」と呼びかけるとき、
    その呼びかけは、まさに「本来の自分」を認識する瞬間でした。

    禅では、「本来の自分」とは、
    過去の経験や他人の期待、社会的な役割に囚われることなく、
    ただ「今、ここ」に存在する純粋な自分自身を指します。

    これは、物語の主人公が、物語を進めるために必要な、
    深い自己認識を持っているのと同じこと。

    現代社会において、私たちは、しばしば外野の声に流され、
    期待される役割を演じることに多くのエネルギーを費やしがちです。

    しかし、本当の「主人公として生きる」とは、
    そのような外部の影響を超えて、
    自己の内側から湧き上がる意志に従って生きることを意味します。

    禅の教えの中で強調されるのは、
    「今、ここ」の重要性です。

    「主人公」という呼びかけが示すのは、
    過去の自分や未来の自分に囚われることなく、
    今この瞬間に、全集中して生きること。

    人生においては、時に、
    「自分」を見失ってしまうことがあります。

    自分が物語の主役であるという意識が薄れ、
    他人の期待や社会の価値観に振り回されていると、
    いつの間にか自分の人生を生きているのではなく、
    誰かの物語に乗っかっているような感覚に陥ります。

    自分の物語を紡ぐ主人公として生きるためには、
    どんなときでも自分の道を選び、進んでいく勇気が必要です。

    それは、決して大きな成果や名声を求めることではありません。

    むしろ、小さな日常の中で「今、ここ」を誠実に生きることが、
    人生という物語の真の価値を生み出すのです。

    映画の名台詞から考える「主人公」

    さて、少し話がかたくなってしまいました。

    「誰もが主人公」と聞いて、なんとなく、
    「自分はそんなに立派なものではない」と考えてしまうのは、
    映画や小説、マンガなどで活躍するヒーローやヒロインを思い浮かべてしまうからかもしれません。

    毎日が充実していて、やることなすことうまくいって、
    ラストには拍手喝采のハッピーエンド。

    そんな物語の主役なんて、自分にはとても無理だ――

    そう感じてしまうことも、あると思います。

    でも、そもそも主人公とは、
    「いつも勝ち続けている人」ではありません。

    むしろ、立ち止まりながら、迷いながら、
    それでも「前に進もうとする人」ではないでしょうか。

    ここで紹介したいのが、
    映画『ロード・オブ・ザ・リング/二つの塔』での、
    ある登場人物のセリフです。

    旅の途中で心が折れそうになっている主人公に、
    その人物はこう語りかけます。

    「物語の主人公たちは決して道を引き返さなかった。
     何かを信じて歩み続けたんです」

    そう、「主人公たち」はずっと順風満帆だったわけではありません。

    ときには疑い、恐れ、絶望しながらも、
    進むことをやめなかった。

    道が見えなくなっても、「何か」を信じて歩いたのです。

    映画のセリフは、こう続きます。

    「この世には命を懸けて戦うに足る、尊いものがあるんです」

    ……日常で「命を懸ける」というと大げさかもしれませんが、
    それでも、私たちは日々、自分の物語を生きています。

    命を懸けて戦うに足る、尊いもの――

    それは、誰かの笑顔かもしれない。
    あるいは、何気ない日常、過去の自分の夢。

    あるいは――
    いま、こうして生きている「自分自身」。

    失敗しても、折れそうになっても、
    物語の続きを、自分だけの足で歩き続けている。

    その姿は、まぎれもなく、主人公のものです。

    そして、重要なのは、このセリフが出てくるのが、
    三部作の映画の第2部、ラストであること、です。

    人生には、必ずと言っていいほど、
    不本意なまま終わる「第2部」のような時期があります。

    何も変わらない日々、前に進めている実感が持てない時間。
    むしろ後退しているように思えるときすらあるでしょう。

    でも、思い出してください。
    三部作の物語は、「第2部」で終わったりしません。

    もし、あなたが今、「物語がうまくいっていない」と感じていたとしても、
    それは、まだ第2部だからかもしれません。

    中盤特有の重たさや暗さに、
    飲み込まれそうになっているだけかもしれない。

    けれど、物語には続きがあります。

    ラストシーンは、まだ書かれていません。
    そしてそれは、思いがけない形でやってくることもあります。

    たとえどんなエンディングだったとしても、
    また次の「シリーズ」が始まるのが人生です。

    たとえ今、人生の中で何も動いていないように感じていたとしても、
    それはきっと、物語の途中だから。

    ひとつの章が終わって、
    新しい章の「プロローグ」に立っているだけかもしれません。

    そして、どんなに不本意な「エンディング」だったとしても、
    人生には、伏線を回収する「続編」がある。

    それを信じてほしいのです。

    最後に

    人生は「映画」にたとえることができます。

    でも、それは「1本の映画」ではありません。

    人生は、ひとつの長い物語のようでいて、
    本当は、いくつもの物語が連なった「シリーズもの」。

    完結したと思っていた物語が、
    ある日ふいに、続編として動き出すこともあります。

    あるいは、ひとつの章にピリオドを打って、
    まったく別の物語を生きることだってできる。

    舞台が変わってもいい。

    新しいジャンル、新しいテーマで生き直すことだって、
    何度でも許されるのです。

    そして、「ハッピーエンド」も、何度でもやってきます。

    だからこそ、今を投げ出さないでください。
    自分の物語を、ちゃんと生きてください。

    誰のものでもない、あなた自身の人生を。
    自分の声で、自分の心で。

    ――主人公として、生きていく。

    それが、人生という壮大なシリーズにふさわしい、
    あなたの「今日のシーン」なのです。


    <あとがき>
    🎉 本日のnoteで、100日連続投稿を達成しました!

    読んでくださった皆さん、本当にありがとうございます。

    私もまた、自分の人生の「主人公」として、
    一歩ずつ、物語の続きを歩んでいきたいと思います。

    これからも、よろしくお願いします。

    そしてきっと、あなたも、ご自身の物語のどこかの「一場面」で、
    今も、何かと向き合いながら頑張っているのだと思います。

    あなたのその1ページに、こうして一瞬でも顔を出せたこと――
    とても光栄に思います。

    今日という1ページが、
    あなたにとって、新しいシーンの幕開けになりますように。


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    関西在住。1級FP、独立系司書。50代でFIREを達成し、 何があっても「この先、生きのころー!」をテーマに 自称「マルチ・ポテンシャライター」(多趣味ライター 的な造語)として活動。今まで読んだ5000冊以上の本 から生まれたアイデアをもとに、童心で楽しむ日常 や創作を発信中。

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