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「逃げた転職」が正解だった理由。精神科から特養へ、年収50万下げた選択の話

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    正直に言う。

    精神科病院の給料は悪くなかった。デイケア時代より年収で70万円ほど高かった。今の特養と比べても、50万円近く差があった。

    それでも転職した。

    「また逃げるのか」と思われるかもしれない。でも今は断言できる。あの選択は正解だった。


    お金では買えないものを、失っていた

    精神科での上司との関係が最大の理由だったのは確かだ。でも、それだけじゃなかった。

    精神科の病院では、患者様をドラッグロックで鎮静化させることがあった。車椅子に縛り付けて立てないようにするフィジカルロックも、珍しくなかった。

    古い病院だったからこそ、そういう慣習が残っていた部分もあると思う。

    でも見ていて、辛かった。

    作業療法士として、その人らしい生活を守ることが仕事のはずだった。なのに目の前では、薬で意識を落とされ、体を縛られた人がいた。それが「治療」として行われていた。

    給料は高かった。でも帰宅するたびに、何かが削られていく感覚があった。


    特養に来て、最初に気づいたこと

    転職して最初に驚いたのは、身体拘束している利用者様が一人もいなかったことだ。

    特養に務めてから今まで、身体拘束を一度も見たことがない。

    もちろん薬を使うこともある。でもその目的は焦燥感を軽減することであって、鎮静化させることではない。その違いは、現場を見ればはっきりわかる。

    ユニットケア型の特養なので、利用者様一人ひとりの生活に寄り添える。その人のペースで、その人らしく過ごせる環境がある。

    長年働いて、どうしても対応が難しかった利用者様は2人だけだった。精神科時代と比べると、心の苦しみがまるで違う。

    「ここで働いていていい」と、初めて思えた職場だった。


    それでも、最初から順調ではなかった

    最初から居心地がよかったわけではない。

    攻撃的な介護職員もいた。合わないと感じた看護師もいた。新しい環境に慣れるまでの時間は、それなりにしんどかった。

    でも続けられた理由がある。

    利用者様からもらった感謝の言葉と笑顔だ。

    それだけは、お金には代えられなかった。どんな職場のしんどさも、あの瞬間があれば続けられた。

    同級生の父親を看取った。同級生のひいおばあさんを看取った。本当にたくさんの方の最期に関わらせてもらった。その一つひとつが、今の私を作っている。


    年収50万円を下げた意味

    長く働くうちに、頼ってくれる仲間も増えた。ある程度自由に動ける環境になって、昔よりストレスなく仕事ができている。

    今振り返ると、年収50万円の差は大きかった。正直、生活への影響もあった。

    でも精神科に残っていたら、今の自分はなかったと思う。

    お金のために心を削り続けることと、少ないお金でも心が保てる場所で働くこと。どちらが長続きするかは、今の私が答えだ。


    逃げることと、撤退することは違う

    転職を「逃げ」と呼ぶ人がいる。

    でも作業療法士として患者さんに伝えてきた言葉がある。「環境を変えることも、治療のひとつです」と。

    それは自分自身にも言えることだった。

    合わない環境に居続けることで消耗し続けるより、自分が呼吸できる場所に移ることで、また動き出せることがある。

    逃げることと、撤退することは違う。自分を守るための選択は、弱さじゃない。

    年収50万円を下げた転職は、逃げではなく撤退だった。そして今、その選択を後悔したことは一度もない。

    作業療法士16年目|特養・ユニットケア勤務|元認知症ケア指導管理士|HSP・ISFJ

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