
最後だと知らないまま、終わっていくことがある
出かける前の玄関で、3歳の息子が抱っこを求めてきました。
こちらを見て、両手を伸ばしました。
抱き上げると、息子は大喜びしました。
最近は、抱っこすると、昔よりしっかりこちらに抱きついてくれるようになりました。胸にぴたっとくっついてきます。
大きくなったのに、軽い。その感覚だけが腕に残りました。
そのときは、特に何も考えていませんでした。抱っこして、下ろして、出かけた。それだけです。
あとになって、ふと思いました。
この抱っこにも、いつか最後があるんだ。
いつものように抱き上げて、いつものように下ろす。その日が最後でも、私はおそらく気づきません。息子はそのあと、いつの間にか抱っこを求めなくなっていく。
自分が親に最後に抱っこされた日を、思い出そうとしてみました。
何も出てきませんでした。
何歳だったのかも、誰の腕だったのかも分かりません。
写真を探せば、抱っこされている姿は残っているかもしれません。でも、それは抱っこされていたころの一枚で、最後の一回ではない。最後の一回は、たぶん誰も撮っていません。
私も、どこかの日に普通に抱き上げられて、普通に下ろされて、それきりだったはずです。その日の私は、それが最後だとは知らなかった。
いつの間にか終わっていて、あとから気づくことがあります。
最後だと分からないから、たぶん日常でいられる。
また抱っこを求められたら、いつものように息子を抱き上げます。