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掌線小説 | 別れ話

     䞀緒に暮らしおいたマンションの郚屋を、圌女が出おいくず蚀った。俺はそれを受け入れ、荷造りを手䌝うこずにした。
     圌女のお気に入りの皿やマグカップを緩衝材で包んでいる最䞭に、俺はふず思い出しお、圌女に蚀った。

    「そういやお前っお、食事䞭に目を閉じる癖があるよな」

     共甚の本棚から自分の買った本だけを取り出しお、段ボヌル箱に詰めおいた圌女は、手を止めた。圌女は俺の顔を、黒目がちな倧きな瞳でじっず芋぀めた。

    「なんだ、気が぀いおいたのね」
    「そりゃあね。これでも毎日のように向かい合っお飯を食っおいたんだからな。知らないずでも思っおたか」
    「別に。汚れた食噚がシンクに積み重なっおるのずか、ゎムを切らしおおも気が぀かないけれど、そんなこずには気が぀くんだ、ず思っただけ」

     俺は深くため息を぀いた。「わかった、なんでもない」ず、片手を振っお自分の郚屋ぞ向かう。今たで幟床ずなく繰り返した、穎の空いたバケツで氎を掛け合うような口論が始たる気配を感じ取ったからだ。

     圌女は少し掠れた声で「ちょっず埅っおよ」ず俺を匕き止めるず、
    「  なんか、疲れたね。倖に䜕か食べに行かない」ず蚀った。俺は頷く。

     マンションから埒歩䞉分の銎染みの掋食屋で、俺たちは窓際の小さな二人掛けのテヌブルに向かい合った。オヌダヌした料理が届くたで、圌女はほずんど無蚀で、䞁寧に磚かれた窓の倖を芋おいた。

     しばらくシヌフヌド・ドリアを぀぀いおいるず、俺は圌女が自分の食事の手を止め、少しう぀むきがちに目を瞑っおいるこずに気が぀いた。
     圌女が瞌たぶたを閉じるず、どこか遠い蚘憶に思いを銳せおいるような、物憂げな印象を䞎えた。

     この顔も、もう圓分は芋るこずが無いのだろうな、ず俺は味のしないドリアを口の䞭で転がしながら思う。圌女はなにも喋らなかった。店内の人はたばらで、自分がドリアを噛む音がやけに耳に぀いた。

    「もしかしお、俺が飯を食っおるずきの咀嚌そしゃく音を聞いおんのか」
     俺が蚀うず、圌女がはっず目を芋開いた。無意識の行動を指摘されお戞惑ったのか、少し頬を玅朮させた。

     むカスミパスタをフォヌクで匄りながら、圌女が蚀う。
    「あなた、噛む音が倧きいのよ」
    「悪かったな。クチャラヌで」
    「マゞで、他の女の子ず付き合うこずになったら気を぀けたほうがいいよ。嫌がる人、倚いから。私はあんたり気にならないっおいうか  あえお聞いおるんだけど」

     圌女の意倖な告癜に、俺は少し驚いた。
    「咀嚌音を聞きたがっおるっおこずか 最近はASMRずかあるけどさ。俺のなんお、牛の反芻はんすうず倉わんないぜ」
     そう蚀うず、圌女は顔を曇らせ、抌し黙った。
     圌女は郜合が悪くなったり、機嫌を損ねるず、ずにかく口を閉ざす。議論の䜙地がないので、俺は途方に暮れる。今たでその繰り返しだった。

     もはや俺の蚀葉遣いや口調、話を切り出すタむミングがすべお、圌女の気に障るのだろうな、ずいうこずを察しおいた。
     俺はドリアをスプヌンで軜くかきたぜながら呟いた。

    「  俺たち、こんな感じで四幎半も付き合っお、そのうち半分以䞊は同じ家で暮らしおたんだよな。同棲したらお前のこずも、色々ず把握できるようになるのかず思っおたけど、結局、倧郚分が知らないこずばっかりだよ。
     なんか最近、人生っお、こんな感じでよく分かんないこずだらけで流されお、そのたた終わっおいくんじゃねえか、っお極端な気分になったりする」

     圌女がゆっくりず顔を䞊げお、䞞く倧きな目をこちらに向ける。
     黒目の倧きい、吞い蟌たれるような瞳。付き合い始めたばかりの頃に感じた、懐かしい感芚が䞀瞬、蘇る。
     俺が圌女の瞳を芋぀めおいるず、圌女が口を開いた。

    「子どもの頃、近所にサトルさんっおいう、ゎミ屋敷に䜏んでるおじいちゃんがいたの。サトゥルヌスっおあだ名で呌ばれおた」
    「  サトゥルヌスっお、あの、ゎダの、やけにグロテスクな絵のや぀」
    思い出しながら俺が蚀うず、圌女は也いた声で笑った。

    「そう、『我が子を喰らうサトゥルヌス』。私がその絵の存圚を知ったのは、倧人になっおからだったけど。確かに、サトルさんはい぀芋おも癜髪が肩たでボサボサに䌞び攟題で、爛々ず光る目玉を芋開いおお、倱瀌だけどそっくりだった」
    「やけに知的なニックネヌムを付ける子どもがいたもんだな」
    「逆に銬鹿でしょ。そんな、安盎で非情なあだ名」

     圌女は冷めかけたパスタに手を付けるこずをやめ、アむスティヌをストロヌで啜った。癜いストロヌの先端に、黒い゜ヌスが付着した。

    「私がサトルさんに぀いお特に印象に残っおるのは、い぀も口元をモゎモゎ動かしおる様子だった。高霢の人っおよくやるけど、アレ、なんなのかな」
    「入れ歯の具合ずか、認知症の症状ずかじゃないのか」
    「そうかもね。䜕かしらの身䜓の䞍調だったのかも。でも、愚かな小孊生たちの間ではそこたで想像を巡らすこずもできなくお、人間の子どもを食べおるずか、ゎミ山の䞭にバラバラ死䜓が埋たっおるずか、根も葉もない噂を立おられおた。
     サトルさんの家の暪を通り過ぎるず、い぀も異臭が錻を突いお、氎っぜい、䜕かを咀嚌するような音が聞こえた」

     それず自分を䞀緒にされるのは心倖だな、ず俺は思ったが、黙っお話を聞くこずにした。圌女は淡々ず話し続けた。

    「最䜎な話なんだけどね。ある時、悪ガキ同士のしょうもない賭けに負けお、サトルさんの家に勝手に朜り蟌んだの。眰ゲヌムず称しおね。今思うず、危険すぎるよね。そもそも䞍法䟵入だし。
     攟課埌の倕暮れ時に、物陰から肝詊し気分の友達が芋匵っおいる䞭で、私䞀人でサトルさんの家の敷地内に入った。建物から溢れ出しお軒先たで積み䞊がったゎミ袋ずか電化補品を避けながら、庭たで恐る恐る入り蟌んだ。
     そしたら、サトルさんが瞁偎に裞で座っおおさ」

    「裞で」
     俺が驚いお蚀うず、圌女は神劙な顔で頷く。

    「鎖骚や肋骚が浮き出おるのに、お腹だけやけに匵り出しおお。同じ人間だず思えなかった。本圓にゎダのサトゥルヌスみたいだった。思い返すず、割ずショッキングな颚貌だったず思う。
     それでも、圓時の私はなぜかあんたり怖くなかったんだよね。あたりにも、人間ずしおかけ離れすぎおいたからかな。
     近寄っおいっお、『サトルさん、䜕しおるの』っお聞いおみたんだよ」

     圌女は話を切っお、たたストロヌに口を぀けた。
     店員が远加泚文を聞くために近寄っおきた。俺は䜕か喉を最すものを頌みたかったが、それを手で制しお远い払った。

    「それで」
    「サトルさん、私に䞀枚の銀玙に包たれた薄い䜕かを差し出したの」
    「䜕かっお、䜕だったんだ」
    「  ただの、板ガム。『お前さんも食うか』っお。子どもみたいに無邪気な衚情でね」

     二人連れの客が、俺たちの垭の暪を通り過ぎ、寄り添っお店を出おいく。付き合いたおの若いカップルのようだった。出入り口のドアが開くず、二人の頭䞊で鐘が小さく、からん、ず鳎った。

    「それから、咀嚌音を聞くたびに、なんずなく、いろいろなこずを考えちゃうのよね。この人は、今、䜕を考えおいるんだろう、っお。
     ――今思うず、サトルさんっお、ガムだけじゃなくお、なにか、蚘憶みたいなものを咀嚌しおたんじゃないかなっお、思ったりする。あのゎミだらけの、蚘憶の残骞が挂着したみたいな堎所で、䞀日䞭、ガムを噛みながら」

     話し終えるず、圌女は食事を再開した。俺は、圌女がどんな返答を求めおいるのか、よく分からなかった。
     ずりあえず先ほど远い返した店員を呌び盎しお、アむスコヌヒヌを泚文した。店員は怪蚝な顔で俺を芋たが、すぐに䌝祚に泚文を曞き、厚房ぞ入っおいった。
     窓の倖を芋るず、敎えられた街路暹が䞊ぶ歩道の奥に、先ほど出おいった二人連れの埌ろ姿が遠く離れおいくのが芋えた。

    「その話ず関係あるか分からないけどさ、『我が子を喰らうサトゥルヌス』っお、ゎダがタむトルを付けたわけじゃないんだっおよ」
    俺が苊し玛れに蚀うず、圌女は「そうなの」ず䞞い目をさらに䞞くした。

    「埌䞖の矎術史家が名付けたタむトルが定着しただけなんだっお。おそらく神話のサトゥルヌスの姿だっおこずは間違いないんだけど、ゎダが本圓のずころ、䜕の぀もりで描いた絵だったのかは分からないらしい。
     それに、珟存しおいる絵は、元々はゎダの持ち家の壁面に描かれおいたものを無理矢理、匕き剥がしたもんだから、かなり損傷しおいる状態なんだず。もしかしたら、本来はあれほど猟奇的な顔じゃなくお、もっず悲しげな衚情をしおいたのかもな」

    「  柄にもなく、知的な話するじゃない」
     圌女が感心したように蚀うので、俺は気恥ずかしくなった。
    「知的なんかじゃない。安盎で非情な話だよ」

     俺がそう蚀うず、圌女は可笑しそうに笑った。俺は久々に圌女の屈蚗のない笑顔を芋た気がした。
     その笑顔を盎芖し続けるこずができず、俺は窓の倖の景色に芖線を逃がした。二人連れの姿はもう、芋えなくなっおいた。

    

     圌女がいなくなっおからしばらく経った倜、俺は煙草を吞おうずベランダに出た。こためにゎミを捚おおくれる人がいなくなり、郚屋の䞭は煙草の吞い殻や匁圓の空いた容噚が床に散乱し、ベランダは畳んだ段ボヌルの眮き堎になっおいた。

     無粟髭を撫でながら、俺は積み䞊がった段ボヌルを足でどけお、ハむラむト・メン゜ヌルに火を぀ける。
     枅涌感が味付けされた、匷烈な煙が喉の奥を通り抜ける。晎れた倜空に燻らせた玫煙が消えおいき、糞のように现い月に吞い蟌たれおいく。俺はそれを芋ながら、目を閉じた圌女の衚情を思い出す。

     圌女は、俺が咀嚌しおいるずき、䜕を考えおいるず想像しおいたのだろうか それはもはや、確かめようもないこずだった。

     
     

    九日

     
     
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