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回 顧 以 後ーポスト・レトロスペクティヴー2.萌芽

    教室に入ったとき、まず鼻に触れたのは、乾いた木と古い絵の具が混ざったような、少し粉っぽい匂いだった。机の表面は細かい傷で白くかすれていて、指でなぞるとざらつきが伝わる。窓は半分だけ開けられており、外の校庭からはボールを蹴る鈍い音と、子どもたちの笑い声が、ガラスを一枚挟んで少し丸くなった状態で流れ込んでいた。教室の中は静かではないが、どこか輪郭の曖昧な音に包まれていた。
    その日は工作の時間で、先生が黒板の前に立ち、チョークで三つの言葉を書いた。「ロボット」「人形」「動物」。チョークが黒板に擦れる乾いた音とともに、白い粉がわずかに舞い上がり、光の中で細かく揺れている。「この中から一つ選んで、自由に作ってください」とだけ言われ、説明はそれ以上なかった。机の上には、色紙や割り箸、空き箱、トイレットペーパーの芯、ペットボトルのキャップ、そしてヤクルトの空き容器がいくつか、雑然と置かれていた。
    教室の空気の流れはほぼ決まっていた。男子は迷いなくロボットのほうへ集まり、「腕はこうやって動くようにして」「武器つけたら強そうじゃね」と声を上げながら材料を取り合う。女子は自然と人形のほうへ移動し、「スカートどうする?」「髪つけたいね」と、少し柔らかい声で相談しながら手を動かし始める。動物のテーブルだけが、ぽつんと空いていた。
    私はその空いた場所へ歩いていき、椅子を引いた。木の脚が床を擦る音が短く響き、座ったときにわずかに冷えた座面の感触が伝わる。なぜそこを選んだのかは、そのときの自分にも説明できなかったが、人のいない場所に自然と身体が向いたという感覚だけが残っている。
    その直後、背後から「私も動物にする」と声がした。振り返ると、仲の良かった女の子が立っていて、「一人じゃかわいそうだから」と少し照れたように笑った。その言葉は確かに優しさだったが、私にとってはどうでも良いことだった。自分の意識はすでに別のところに向いていた。
    机の上にあったヤクルトの空き容器に、目が止まっていた。半透明で、指で押すとわずかにへこむ柔らかさがあり、丸みを帯びた独特の形をしている。それを手に取った瞬間、頭の中で像が結びついた。ラクダだった。なぜラクダなのかという理由はなく、ただその形が背中のコブとしてぴたりと重なったという感覚だけがあった。考えたというより、すでに答えがそこにあり、それに材料が追いついてきたような感触だった。
    私は何も言わずに作業を始めた。はさみを入れると、紙が切れる乾いた音が規則的に響き、のりの匂いが少し強く鼻に残る。指先にべたつく感触を感じながら、容器に紙を巻きつけ、脚の構造を考える。割り箸を当ててみると太すぎて全体のバランスが崩れるため外し、次にストローを手に取ると、軽さと細さがちょうどよく収まる気がした。長さを目分量で測り、切り揃えて机の上に並べると、それぞれの部品が意味を持ち始める。
    周囲ではロボットの腕が動く仕組みをめぐって大きな声が上がり、人形の服の色について笑いながら話す声が続いていたが、それらは次第に遠くなり、音としては聞こえているのに意味としては入ってこなくなっていった。意識は完全に目の前の形に向いており、頭の中では完成したラクダの姿が少しずつ具体性を帯びていく。首の角度を調整し、脚の位置を微妙にずらし、紙を巻き直してはまた外すという作業を繰り返すうちに、時間の感覚はほとんど消えていた。
    途中で先生が見回りに来て「どう、進んでる?」と声をかけたが、その言葉は表面をかすめるだけで、ほとんど記憶に残らなかった。顔を上げることなく手を動かし続けていた感覚だけがある。
    やがて、形がまとまった。机の上に置かれたそれは、小さくて簡素な素材でできているにもかかわらず、確かにラクダだった。私は一度手を止め、それを少し離して眺める。正面から、斜めから、視線の高さを変えながら確認すると、頭の中にあった像とほとんど同じものが、現実の形としてそこに立ち上がっていた。
    そのとき、ようやく周囲が視界に戻ってきた。ロボットは整然と並び、関節が動く工夫や武器の装飾が目立ち、人形は色紙で作られた服をまとって丁寧に仕上げられている。その中に、自分のラクダがあると、それは孤立しているようでありながら、不思議と違和感なく空間に収まっていた。
    近くに来た子が「なにそれ?」と笑いながら尋ね、「ラクダ」と答えると、「なんでラクダ?」と続けた。その問いには悪意はなく、ただ純粋な疑問だったが、私はそれに対して言葉を返さなかった。理由を説明する必要を感じなかったし、そもそも説明できるような理由を持っていなかった。ただ、「これがいい」と感じただけだったからである。
    このときの自分には、多数派か少数派かという意識も、選ばれるかどうかという基準も存在していなかった。教室の中で何が主流で、何が外れているかという判断軸はまだ立ち上がっておらず、頭の中に浮かんだ形を、そのまま手を通して外に出すことだけが行為の中心にあった。
    後から振り返れば、この時間は決して長くはなかったが、感覚としては非常に密度が高かった。材料に触れ、形を見つけ、何度も試行錯誤しながら最終的な像に到達するという流れが、ほとんど無意識のまま完結していたからである。そしてそれは、誰かに教えられた技術ではなく、自分の中から自然に出てきた運動だった。
    理由を聞かれたとき、うまく答えられなかったことだけを覚えている。
    いま思い出しても、その理由ははっきりしない。
    ただ、あのときはそれでよかった気がする。
    手はまだ少しべたついていて、紙の切れ端が机の上に残っていた。

     
     
    私はただ、本気で遊んで生きているだけなのかもしれない。誰にも気づかれぬよう、作品をそっと置いてみた。 洞窟の壁に何か描いて帰る人。 カタ ヌリブカ

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