
プロフェッショナルの話。
今日は妻と大喧嘩した。きっかけは明日の旅行のスケジュールについて。旅行先では夜にちょっとしたイベントがあり、そのチケットを事前に買っておこうという話になった。
で、予約しようと思ってホームページを見る。まあとにかく見づらいし使いづらい。どこから入ればいいのかもよく分からない。私と妻はテーブルで向かい合わせになって、喧々諤々なんとか予約にこぎつけた。
予約自体は妻がスマホでやっていたのだが、そこで私に聞いてきた。「これって、4,200円だけど大丈夫?」と。そもそも行くことが決まっているし、そこまで一緒に作業していたのだから今更何を確認する必要があるのか全く分からず、私は思わずイラッとしてしまった。で、冒頭に戻る。
結局その後ちゃんと仲直りはしたものの、私は改めて妻の「確認」について確認したくなった。そもそも妻は昔から大層な不安症だ。もちろんこれは病的なものではなく、あくまで印象には留まるが、ちょっとした先の予定、出かける前の持ち物、果ては数秒前に閉めたはずの家の鍵まで何度も入念に確認する。
それで、今日は聞いてみた。あなたにとって「確認」とは何ですかと。確認の意義・目的・背景を知りたかったのだが、それがまた妻の怒りに着火した。
だが、そこで見えてきたのは仕事における確認と、生活における確認は微妙に意味合いが異なるということだった。そもそも私はここを最初にごっちゃにしていたのだが、妻からすると「確認」は意思決定のなすりつけではなかった。
仕事の場合の「確認」は基本責任分担の意味合いが強いと思う。「お前も見たよな?」というものだ。例えば社内の稟議なんかでも、いくらろくに見ずに判を押そうがそれは最終押した人間の責任だし、メールのCCに上司を入れていればトラブルが起きた際にそれを見ていない方が悪いということになる。
しかし、妻の場合の「確認」とは本当にただの「確認」だった。あえて目的をつけるなら「不安の払拭」に他ならない。確認したから別に最初の決め事が何か変わるわけでもないし、何も進まないし、何が解決するわけでもない。ただ、自分の中にある「不安」を拭い去りたい、それだけだった。
そこからさらに彼女の心理状態を深掘りすると、妻はとにかく日常が不安でいっぱいだということが明らかになった。ちなみに妻の母(私にとっての義母)も同じだそうで、なので実家でのコミュニケーションに関してはこれまで一切問題が起きたことがなかった。おそらく、妻の家ではことあるごとに二人で確認に確認を重ね、確認を加速させていたに違いない。
私からすれば地獄極まりない光景だが、反対に、妻も妻で私の異常行動を受け入れてきたという事実も本日明らかになった。
私はとにかくうろつきが激しい。家にいるあいだ、とにかくずっと動き回っている。いわゆる多動というやつだ。クスリを飲んではいてもこればっかりは治らない。
では動かないとどうなるか?
無理やり動きを止められた私の脚はひたすら貧乏ゆすりを繰り返す。ひどいときは食器棚が地震でも起きたのかのようにガタガタと揺れ出す始末。さすがに外では自制するが、家の中だと止められない。妻はそんな私にイラつきながらもずっと受け入れてくれていた。
その話を聞いて、私は妻の確認と多動は同じことだと思った。自分では止められない衝動。私と妻は似たもの同士なのかもしれない。そう思ったとき、気づけば私は妻に向けてインタビューマイクを向けていた。
確認について質問をする。[1を止めたい]、[5を止めたくない]とした場合、止めたい度合はどのくらいか。また、「確認」について[1を非常に好き]、[5を非常に嫌い]とした場合の度合いはどれかなど。「確認テスト」をしてくるなとブヂギレられたが、私からしたら大真面目だ。
これだけ一緒に暮らしている。だから私は妻のことを多少なり分かっているつもりだった。だが、その実、妻のことを全然わかっていなかった。妻のことをもっと知りたいから、私はその衝動を抑えきれなかった。
妻は半ばあきらめたように適当に返事を繰り返し、私は妻に最後の質問をした。
「あなたにとってプロフェッショナルとはなんですか?」
「毎日、生活しますよね。そのなかでいつも同じ行動が取れること。これは当たり前じゃないんです。色んな状況があるから、そのときどきで考えることが変わる。プレッシャーは多いですよ。はっきり言って。それでも、どんなときでも変わらない、でも、同じ毎日を過ごすことができる。それがみんなの生活を守ることにつながる。そのために必要なことが「確認」、ってことですかね」
──そう言って、女は今夜も洗濯物を手に洗濯機へと向かう。その先には、明日を迎える家族の姿があった。
もちろん当然そんな返事がくるわけもなく、明日も早いんだから、いいからさっさと寝ろと言われるだけだった。