
ボンネットバスとヤギ
ボンネットバス
ボンネットバスは、運転席より前、客室外のフロント部にエンジンを設けた構造で、いわば鼻が出ている形をしていた。
お世辞にも乗り心地が良いとは言えなかったが、昔の砂利だらけの田舎道には適していた。
ボンネットバスの最大の利点は、前輪タイヤが運転手より前に位置しているため、山間部の狭い道路において運転手が路肩の位置を把握しやすく、そのことが運転のしやすさにつながっていたようだ。
私が育った田舎は鉄道が通っていなかったので、遠くへ行くにはバス以外に手段がなく、またバスと言えばボンネットバスだった。
4月に家族総出でお花見に行くときや、街へ買い物に出るときなどは、ボンネットバスに乗って出かけた。
ボンネットバスの思い出で、忘れることができない記憶が一つある。
ボンネットバスとヤギ
戦後から昭和30年代までは、どこの農家でも家畜としてヤギを飼っていた。私の家でも物心ついた頃からヤギは家族の一員だった。
ヤギを飼う理由は、肉を食べるためではない。乳を絞って食料の足しにするのである。
したがってヤギに子を産ませなければならない。
そこで秋の発情期、オスヤギを飼っている家に行き交配してもらう。
毎年父がその任にあたるのだが、1回だけ小学生の私がその任務を遂行しなければならなかったときがあった。
オスヤギを飼っている家は自宅から10kmくらい離れていて、犬ならともかく足の遅いヤギを連れて行くのは大変だ。
今なら軽トラの荷台に乗せて行けばいいのだが、当時はそんな便利なものは無い。
まして子どもの足でヤギを連れて片道10kmの道のりを思うと、気が重かった。 それにも増して、交配の意味がわかるようなわからないような、子どもが知ってはいけない世界を見る気がして気乗りしなかった。
行くのを渋っていたら、祖母に「バスに乗って行けばいい」と言われバス代を渡された。
祖母の言葉にびっくりして「ヤギを連れてバスに乗った人を見たことがない」と言うと、「婆さんも無いけれど頼んでみろ」と言うだけだった。
ヤギを引いてバス停でバスを待つ間、「本当にヤギを連れてバスに乗っていいんだろうか?」と不安だった。
到着したバスの車掌は、ヤギを見ても乗車拒否もせず「小さいのにエライね」と言って切符を切ってくれた。
バスに乗り込むときにはさすがに恥ずかしかったが、乗客も特別奇異な目で見るわけでなく普通に接してくれたので、少し安心した。
しかし、いくら昔のこととはいえ、動物を連れてそのままバスに乗ることが許可されていたとは思えない。
多分「たいした時間でもないので、まぁいいか……」と車掌も運転手も思ったのだろう。
ただ、バスに乗っている間の15分くらいは「糞だけはしないでくれ」と祈るような気持ちでヤギを見ていた。
幸い糞はしなかったが、メーメーうるさいのには閉口した。
ボンネットバスの名物運転手
ボンネットバスの運転手に、名物運転手が一人いた。
制帽を斜めにかぶり、途中で知り合いの女性を見つけると、停留所でもないのにバスを止めて長話をしたりして、定時の運行とはほど遠い運転をする人だった。
10分も遅れて来るのは度々だったが、乗客もその運転手の性格を知っているので文句も言わず、じーっと身をすくめて話が終わるのを待っていた。
長話もようやく終わると、今度は逆にガタガタ道を猛スピードで走って遅れを取り戻そうとするので、乗客はシートに必死でしがみついていた。
今なら就業規則違反で即刻解雇となるのだろうが、昔はそんな時代だった。
ボンネットバスも昭和30年代後半頃から、輸送効率の観点や道路が整備された関係で鼻のない箱型バスに替わり、憧れだったバスガールもいないワンマンバスが主流になったが、今でもヤギと一緒にボンネットバスに乗った記憶だけは忘れることができない。