
ある議員の発言に悲しさを感じた。でも、そこに社会の変化も見えた
先日、ある地方議員のSNSでの発言が話題になっていた。
発端は救急受診をめぐる議論だったが、その後、看護師という職業や、うつ病を抱える方への発言にまで広がっていた。
特に気になったのは、うつ病によってコミュニケーションに支障が生じるという医学的な説明を、相手への反論に持ち出していたことだ。
確かに、うつ病の症状によって人とのコミュニケーションが難しくなることはある。
しかし、病気を理由に、その人の意見まで軽く扱ってよいわけではない。
そのやり取りを見て、私は悲しい気持ちになった。
精神疾患を隠していた時代
私は精神科看護に20年以上携わってきた。
働き始めた頃を振り返ると、精神疾患があることを周囲に知られたくないという患者さんやご家族は少なくなかったように思う。
精神科への通院歴や入院歴を隠そうとする。
それほど精神疾患への偏見が強く感じられる時代だった。
しかし、それから20年以上が経った。
今ではSNSで自身の精神疾患や休職、復職の経験を公表する人もいる。
そして今回、議員の発言に対して多くの人が疑問を呈していた。
その反応を見ながら、ふと思った。
社会は大きく変わったのだな、と。
何十年も前であれば、今回の発言に同調する人も多かったかもしれない。
もちろん、それが正しかったということではない。
当時は精神疾患に対する偏見が、それほど社会に根付いていたということだ。
それでも偏見は残っている
精神疾患の苦しさは、外から理解することが難しい場合がある。
症状を評価する尺度はあっても、その人の苦しさや生活上の困難を数値だけですべて表すことはできない。
同じ診断名でも、症状や生活への影響は一人ひとり異なる。
だからこそ、病名だけで相手を判断することには慎重でありたい。
また、病気を公表できるようになったことと、安心して公表できることは別の問題だ。
病気を公表することも、しないことも、本人が自由に選べる。
そして、どちらを選んでも尊重される。
そんな社会であってほしい。
悲しさの中に感じた希望
今回の発言を見て、最初に感じたのは悲しさだった。
しかし、多くの人が精神疾患への偏見に疑問を持ち、声を上げていることに、希望も感じた。
もちろん、今も偏見は残っている。
それでも、昔を振り返ると社会は確かに変わってきたように思う。
そして、今回の出来事を通して、もう一つ考えさせられたことがある。
精神疾患に偏見を持っていたのは、本当に一般社会だけだったのだろうか。
精神科医療に携わってきた私自身にも、振り返るべき歴史がある。
そのことについても、改めて考えてみたい。