
【二十三歩目】耳で聴く、心で聴く、氣で聴く。
二十三歩目です。老荘思想においては重要な「虚」について。まずは老子から。

❝致虚極、守靜篤、萬物並作、吾以觀其復。夫物芸芸、各復歸其根。歸根曰靜、是謂復命。復命曰常、知常曰明。不知常妄作凶。知常容、容乃公、公乃王、王乃天、天乃道、道乃久、沒身不殆。❞
➙ 心を究極まで空っぽにし、静けさをしっかりと守りぬく。 そうすれば、万物が一斉に活動している中で、それぞれが元の根源へと戻っていくのを観ることができる。万物はわらわらと営みを続けているが、それぞれが再び自分の根源へと戻っていく。 根源に戻ることを「静」と呼び、これは生命の本来あるべき姿に戻ることをいうのだ。生命の本質に立ち返るという法則を「常」といい、この「常」を知ることを「明」と呼ぶ。 もしこの「常」を知らなければ、人はむやみに惑い、災いを招くことになる。
『老子道徳経』では「虚」は「静」と結びつき、心を空っぽにして心の静けさを重視する方向に書かれてあります。これに近い表現が『荘子』にもあります。

❝「若一志,无聽之以耳而聽之以心,无聽之以心而聽之以氣。聽止於耳,心止於符。氣也者,虛而待物者也。唯道集虛。虛者,心齋也。❞
➙ お前の心を一つにしなさい、耳で聞くのではなく心で聴き、いや、心で聴くだけでなく氣で聴きなさい。耳は音声を認識するだけのもの、心はその事物を峻別するだけもの。氣は空っぽであるがままの事物を待っている。この虚こそが心齋と言えるのだ。
『荘子』の場合には、聴くという行為をテーマに3つのステップで説明をしています。すなわち、
① 耳で聴く 音声の認識
② 心で聴く 思考や判断を伴う知的作業
③ 氣で聴く 空っぽになって心の働きを捨てた知覚
という3ステップです。
このうち③の「氣で聴く」に関しては、いわゆる「無心」ととらえて問題ないと思います。

老荘思想は、知そのものから距離を置く傾向にあるんですが、それは空っぽの心の状態を重視していることの表れでもあります。人間というのは、ほおっておくといろいろと物事を考えてしまいがちですが、「考えない」ということが求められる場合があります。典型的なのが武道ですが、他にも様々な場合に「空っぽの心」が用いらせる場面があります。
これについてはまた角度を変えながらいろいろと。今日はここまで。それでは二十四歩目でお会いしましょう。それではभेटौँला(Bhēṭaum̐lā)!