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【二十七歩目】老子と孔子②-意外と似ている二人-

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    老子と孔子

    二十七歩目。今日も老子と孔子のお話をしようかと。

    1.老子と孔子のおさらい。

     以前、老子と孔子の関係について書きました。古代中国において、同時代を生きたとも、実際に会ったことがあるとも言われる老子と孔子。それぞれが道家と儒家という中国思想の二大潮流の祖でもあります。仁や義といった徳目を重視する孔子と、それらの価値が生み出される前の根源たる道に戻ろうとする老子。その2人の思考の違いを表す象徴的な言葉が「大道廃れて仁義あり」です。

     以前は老子と孔子の違いを見ましたが、今回は似ている点について見てみたいと思います。

    2.自分に勝つ。

     前回、「足るを知る者は富む」ということで老子の第三十三章を引用しました。この第三十三章に「自勝者強(自らに勝つ者は本当の意味で強い)」という言葉があります。

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    老子(生没年不詳)

    ❝知人者智、自知者明。勝人者有力、自勝者強。知足者富、強行者有志。不失其所者久。死而不亡者壽。❞
    ➙ 他人を知る者は智者であり、自らを知る者は本当の意味で聡明な者である。他人に勝つ者は力があり、自らに勝つ者は本当の意味で強い。足るを知る者は本当の意味で富貴な者であり、強いて道を行う者は本当の意味での志を有している。自らの拠り所を失わないものは永続し、道に到達した者は死してもなお生き続ける。

    『老子道徳経』第三十三章

    『論語』にはこんな記述があります。

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    孔子(紀元前551年 - 紀元前479年)

    ❝顔淵問仁、子曰、克己復禮爲仁、一日克己復禮、天下歸仁焉、爲仁由己、而由人乎哉、❞
    ➙ 顔淵が「仁」とは何かを尋ねたところ、先生はこうおっしゃった。 「自分に克ち、社会の規範である礼に立ち戻ること。それが『仁』である。もし一日でも自分を律して礼にかなった振る舞いができたなら、天下の人々はみな、その仁へと戻っていくだろう。仁を実践できるかどうかは自分次第だ、他人が言われてどうこうというものではないね。」

    『論語』顔淵 第十二

     「克己復礼(こっきふくれい)」「克己」とは「己(おのれ)に克(か)つ」と書きます、老子も孔子も自分に勝つということを重視している点は同じです。

     ちなみに、古代ギリシャの哲学者プラトンは、こんな言葉を残しているそうです。

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    プラトン(紀元前427年 - 紀元前347年)

    ❝τὸ νικᾶν αὐτὸν αὑτὸν πασῶν νικῶν πρώτη τε καὶ ἀρίστη.❞
    ➙ 自分に打ち勝つことが、最も偉大な勝利である。

    プラトン著『法律』

    3.言葉を飾らない。


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    老子(生没年不詳)

    ❝信言不美、美言不信。善者不辯、辯者不善。知者不博、博者不知。❞
    ➙ 信じるに値する言葉は美しくない、美しい言葉は信じるに値しない。本当の善人はおしゃべりでない。おしゃべりな者は本当の善人にはなれない。本当の知者は博識ではない。博識な者には知恵が足りない。

    『老子道徳経』第八十一章


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    孔子(紀元前551年 - 紀元前479年)

    ❝子曰、巧言令色、鮮矣仁。❞
    ➙ 先生はおっしゃった。「巧みに言葉を飾ったり、表情を作ったりする態度には、仁が足りないね。」

    『論語』学而 第一

     言葉は飾るものではない。ここは老子も孔子も完全一致ですね。

    4.知ったかぶりをしない。


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    老子(生没年不詳)

    ❝知不知上、不知知病。夫唯病病、是以不病。聖人不病、以其病病、是以不病。❞
    ➙ 本当の意味で知っている者は、自分は知らないとする。これが上である。 逆に、知りもしないの知っているとするのは病(欠点)である。
     ただ、その欠点を欠点であるときちんと認識してこそ、本当の失敗から免れうるのだ。 聖人がこの病を患わないのは、欠点を欠点だと受け入れているからだ。

    『老子道徳経』第七十一章
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    孔子(紀元前551年 - 紀元前479年)

    ❝子曰、由、誨女知之乎。知之為知之、不知為不知。是知也。❞
    ➙ 先生はこうおっしゃった。「子路よ、知ることはどういうことか分かるかね?自分が知っていること知っているとし、知らないことは知らないとする。これが「知る」ということだ。」

    『論語』為政 第二

     老子も孔子も「知らないことは知らないとしなさい」と言っています。特に老子の言っていることは、ソクラテスの「無知の知」もほぼ同じとみなしていいでしょう。

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    ソクラテス(紀元前470年頃 – 紀元前399年)

    ❝とにかく私の方があの男よりは賢明である、なぜといえば、私達は二人とも、善についても美についても何も知っていまいと思われるが、しかし、彼は何も知らないのに、何かを知っていると信じており、これに反して私は、何も知りもしないが、知っているとも思っていないからである。されば私は、少なくとも自ら知らぬことを知っているとは思っていないかぎりにおいて、あの男よりも智慧の上で少しばかり優っているらしく思われる。 ❞

    プラトン著『ソクラテスの弁明』 久保勉訳 岩波文庫より

     知者というのは同じようなことを考えるんですね。知らんけど。

     というわけで今日はここまで。続きは二十八歩目でお会いしましょう。それではΓεια σας (ヤーサス)!

     
     
    老荘思想をこよなく愛する九州人。老子や荘子はかなりの変わり者だけど、こんなに厳しくて優しくて賢い師匠は他にはいないと思っています。東洋思想を理解するうえでも最もシンプルでわかりやすいテキストだと思います。

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