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Photo byjagaimo863

【創作】Goodです

     介護施設『のぞみの家』の玄関ホールは、柔らかな木と花の香りが漂う温かみのある空間だった。施設長のSはいつものように、朝の巡回を終えて事務所に戻るところだった。そこへ、突然の来訪者が現れた。数か月前に退去した入居者佐藤ハナさんの娘由美子さんだった。彼女の穏やかな笑顔を見てSは一瞬、胸に温かいものを感じたが、同時に何か重い予感がよぎった。
    「Sさん、お久しぶりです。実は、母のことなんですが……」
     由美子さんの声は静かだったが、その言葉には重みが宿っていた。
    「先月末、誤嚥性肺炎で急に亡くなったんです。急なことでバタバタしてしまって……ようやく落ち着いたので、ご挨拶に来ました」
     Sの胸に、予感が現実となり突き刺さる。同時にハナさんのことを思い出す。穏やかで優しい、いつもニコニコしている女性だった。猫が大好きで、かつて飼っていた猫の話を目を輝かせて語っていた。夕食後、彼女は「お休みなさい。また明日」と小さく手を振ってくれることが多かった。その仕草に、Sはいつも心を和ませていた。
     だが、ハナさんの穏やかな日々は、認知症の影響で少しずつ変わっていった。

     ある日、彼女は突然取り乱した様子で訴えた。
    「飼っていた猫ちゃんが出て行っちゃったの! 探しに行くから外に出して!」
     血走ったその目は、普段の穏やかさとは別人のように切羽詰まっていた。Sは戸惑いながらも、落ち着いて対応した。
    「ハナさん、猫ちゃんはここにはいませんよ。外は危ないから、今日はここでゆっくりしましょうね」
     最初のうちは、彼女も渋々納得してくれた。だが、幻覚症状は日ごとに悪化し、彼女の訴えは止まらなくなった。
    「お願い!出してよ! 猫ちゃんが待ってるの!」
     その声は、Sの心を締め付けた。何度も説得を試みたが、状況は改善しなかった。ついに、由美子さんと相談し、心療内科を受診することになった。ハナさんは一時入院したが、症状が安定することはなく、認知症専門の施設へ転居することになった。転居後、由美子さんから「元気でやっています」と一度だけ連絡があったのが、Sとハナさんの最後の関わりだった。あの優しい笑顔を、再び見ることはなかった。

     そんな思い出に浸っていると、由美子さんがバッグから一冊の大学ノートを取り出した。
    「実は、こちらでお世話になっている頃、母は日記をつけていたんです」
     ノートを開くと、丁寧な字で日々の記録が綴られていた。

    7月8日
    デイサービスで工作をした。楽しかった

    7月20日
    ヘルパーさんが掃除してくれて、部屋が綺麗に。Goodです

    8月5日
    井上さんの調子が悪そう。心配だな

    8月14日
    井上さんが元気になってよかった。Goodです

     ハナさんの優しさが滲む言葉に、Sの心は温まった。特に”Goodです”という言葉が、彼女の良い日を象徴しているようで、読むたびに笑みがこぼれた。
     だが、ページをめくるうちに、Sは気になる一文を見つけた。

    9月25日
    Sさん休みだった。Goodです

    「え、僕が休みでGood?」
     Sは笑いながらも、胸に小さな棘が刺さったような気がした。別のページにも似た記述がある。

    10月10日
    Sさん休み。Goodです

    10月12日
    Sさんお休みみたい。Goodです

    「僕が休みでGoodって、どういうことなんだろう?」
     Sは真剣な表情で呟く。同席していたスタッフのMが、くすくす笑いながら答えた。
    「Sさんがいないと嬉しいってことじゃないですか?」
     Sは苦笑いする。介護の仕事は、時に厳しさも求められる。ハナさんが「猫を探しに行きたい」と訴えたとき、Sは何度もその願いを断った。時には口論になり、厳しい口調になったこともあったかもしれない。彼女が自分を疎ましく思うのは、当然のことだ。施設の責任者として、できないことはできないと伝えるのも仕事だ。
     嫌われ役を引き受ける覚悟はあったが、こうして日記でハナさんの本音を知ると、どうしても胸が締め付けられる。
    「猫ちゃん探しに行かせなかったからなぁ。嫌われて当然だよね、ははは……」
     Sの乾いた笑いが、事務所に虚しく響いた。すると、由美子さんが慌ててノートを数ページ戻した。
    「違うんです! そうじゃないんです! ここ、読んでください!」

    8月20日
    Sさん今日もいる。あの人、休んでいるのかな

    9月1日
    Sさん今日も出勤。お休みがないのかな

    9月9日
    Sさん今日はお休み! Goodです

     Sは息をのんだ。ハナさんは、Sが毎日出勤していることを心配していたのだ。そして、彼が休みを取れたことに、心から”Goodです”と喜んでくれていた。嫌われていたわけではなかった。彼女の優しさが、こんな形で残されていたことに、Sは涙が込み上げてきた。
    「あれ~、Sさん泣いてませんか~?」
     Mが茶化すように言う。Sは慌てて目頭を拭った。
    「泣いてない!」
     そのやり取りに、由美子さんもスタッフも笑い声を上げた。
     その瞬間、Sはハナさんの笑顔を思い出した。きっと彼女はどこかでこの光景を見ている。そして、穏やかな声でこう呟いているだろう。

    「Goodです」と。


    おしまい


    (2077文字)


    M島圭先生から、こんな挑戦状が叩きつけられました。

    昨日、創作仲間と飲みながらこんな話をしました。

    「今、2000字で書けって言われたら、どこからの発想で書き始めますか」

    1人は「タイトルから入るかなぁ」
    1人は「経験談から考えるかなぁ」
    1人は「いま書けって言われたら、今の状況から、かなぁ……」

    楽しく飲み終えて電車に乗った私。
    駆け込みはしてないけど、このようなアナウンスがリアルに流れたんです。

    けっこうキツめの言い方で!

    「今の状況から作る」と答えたのは私。
    昨日は疲れて寝ちゃったけど、書いたわよ。むふふ。約束なんか、してないけどね。

    さて。

    他の2人の反応が楽しみです。

    リスペクトの意味をこめて、この話の主役は「S」にしました。

    M島さんの記事より

    ここで逃げたら二度と創作の敷居を跨げないと思って、慌てて書きました。

    ちなみに僕は、「経験談から考えるかなぁ」です。今回の作品は実は過去のエッセイを小説風にしました。ちゃんと”経験談”から書いてるでしょ(笑)

    リスペクトの意味をこめて、この話の主役は「S」にしました。


    タイトルから書いたという白鉛筆さんの作品

    「丸恵さんの創作スタイルが知りたい」という僕の願いを叶えてくださった花丸恵さんの作品

    そしてなんと秋谷りんこさんも参戦してくださいました!


    みんな続け!!



    #小説
    #白鉛筆さん
    #豆島圭さん
    #花丸恵さん
    #秋谷りんこさん
    #今2000字で書けって言われたらどこからの発想で書き始めますか

     
     
    エッセイや創作などを書いています。創作大賞2024ベストレビュアー賞を受賞しました。スタエフで音声配信をしている【すまいるスパイス】のメンバーです。

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