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貧乏な私と、どうして仲良くなってくれたの?

    十年以上会っていなかったのに、不思議なほど何も変わっていなかった。
    久しぶりに家にやってきた二人の顔を見た瞬間、私は大人から、一気に高校生の自分に戻っていた。

    「今年こそみんなで会おうよ!」
    グループLINEで毎年言っていた言葉。
    去年、「本当に今年会おうよ!!」と暑苦しく伝えると「じゃあ、みんなで予定を合わせて会おうよ」と返事が来た。仕事が忙しくて行けない! という一名がいたけれど、三人で予定を合わすことにした。
    私が病気で身体が思うように動かせないため、我が家で会うことになった。
    きっと年齢相応に、健康診断の数値とか、更年期とか、親の介護とか、そんな話になるのだろうと思っていた。
    でも違った。
    「で、最近どうよ?」
    そんな風にいう二人の顔を見て、ああ、変わっていないんだなと思った。

    高校生の頃の私は、自分という人間を持て余していた。
    毎日ため息をつきながらとぼととぼと学校に向かう。
    本当は別の高校に行きたかった。
    けれど中学時代、体調が悪くて入院し、欠席が続き、出席日数が足りなくなって、志望校を諦めるしかなかった。
    進学したのは女子校だった。
    どこを見渡しても、女の子しかいなくて、女子高なんだから当たり前なんだけれど、甘い香りが充満していて女子酔いしそうになった。
    中学からそのまま上がってきた子たちは、すでに完成された一つの世界を持っていて、
    スカートは短く、唇には薄いグロスが光っていて、教室のあちこちで男子の話をしていた。
    ああ、ここは私のいる場所じゃないな、と、その輪を見ながら思ったのだ。
    女子高だからってカッコいい先生がいるわけじゃない。
    ラーメン大好き小池さんみたいな人が担任になり、無理無理、絶対高校生活楽しくないじゃん! と言う気持ちが加速した。
    高校に入ってしばらくは中学の友達と会って、学校どう? とか、彼女できた? とか
    新しい生活に一切馴染もうとしなかった。
    高校三年間は捨てた。とまで思っていた。
    私は昔から、人付き合いが少し苦手だった。
    いや、少し違う。
    人に好かれることは、なぜか多かった。
    「一緒に帰ろう」
    「トイレ行こう」
    「今日も遊ぼう」
    そう言ってくれる子はいつもいた。
    けれど、うまく説明できない違和感があった。
    小学生、中学生ともに、私を取り合って友人たちが喧嘩をすることがあったからだ。
    もしかしたら、人を依存させるのが得意な体質だったのかもしれない。
    誰かと近づきすぎると、相手が私だけを求めるようになる。
    でも私はいつも、人との距離感がよくわからなかった。
    近づきすぎると相手が依存してくる気がして、少し怖くて、人と深く付き合うのは苦手だった。
    そして私は、だんだん息苦しくなって距離を置く。
    子どもながらにずっと思っていた。
    私はきっと、人と深く付き合うことに向いていないんだろうなって。

    そんな私にできた三人の友達がいた。
    キューティと、ザリコと、ミック。
    高二の時同じクラスになった三人。
    ザリコとは一年の時も同じクラスだったし、キューティやミックは部活が一緒だった。
    けれど、一年生の時はそんなに仲良くはなかった。今思い返しても、どうやって仲良くなったのか思い出せない。

    「カナチ!」と、私のことを呼ぶみんなの声が好きだった。
    名前を呼ばれるたび、自分がちゃんとこの世界に存在していていいような気がした。
    三人は、個性豊かだった。あと、可愛かった。
    そしてお金持ちだった。
    彼女たちはいつもお洒落で可愛くて、面白くて一緒にいるとわくわくした。
    夏休みにはキューティの家に泊まり、夏休みの友をやる予定が、朝まで遊んで大騒ぎしちゃったこととか、ザリコのお父さんが持っている舟の上から花火を見たりとか、みんなでディズニーランドに泊まったりした。
    好きな人のタイプとか、洋楽や映画の話もよくした。
    なんとなく、四人とも、自分の好きなペースを大事にするタイプだった。
    トイレにも、タイミングがあえば、一緒に行くし、あわなければいかないし。そんな感じも心地よかった。
    授業中、先生が黒板に向かって何か書いているときは、先生にバレずに、誰が一番長く席で立っていられるか、とかバカなことばかりしていた。
    キューティが夏休み留学すると言っていたので、私も親に言ってみたら「無理に決まってるでしょ!」と言われた。
    キューティやザリコ、ミックが留学生をホームステイさせると聞いて、
    またもや諦めの悪い私は母に、「うちにも留学生をホームステイさせてほしい」と言ったら、「こんな狭い借家に外国人泊める事できないでしょうよ!」と鬼の形相で怒られた。
    だから、キューティの家に行き、オーストラリアの女の子とつたない英語で話したりして疑似ホームステイを楽しんだ。
    キューティの家に遊びに行ったとき、
    「私が作ったんだ」
    そう言って、キューティがテーブルに置いたのは、私が見たこともない料理だった。
    一口食べると、熱々のチーズの下から、濃厚なミートソースの味が口いっぱいに広がった。さらに、きしめんよりずっと大きな、ひらひらとした生地が何層にも重なっている。
    「なにこれ? おいしい!」
    思わず声をあげると、キューティは嬉しそうに笑って言った。
    「ラザニアだよ」
    その日、私は生まれて初めて ラザニア という食べ物を知った。
    あれから何度もラザニアを食べる機会はあった。お店でも、家でも。
    それでも不思議なことに、私の中では、あの日キューティが作ってくれたラザニアが、今でも一番おいしいと思っている。
    あの頃の私は、世界が急に広がったみたいだった。

    私はもともと、「好きになった人が、好きな人」というスタンスで生きてきた。
    小学生の頃も、中学の頃も、同性から真剣に告白された経験がある。だからこそ、恋愛とは性別なんて関係なく、ただ、人が人を好きになるだけのこと。だと、ごく自然に思っていたのだ。
    女子高に入学してからは、その感性にさらに拍車がかかった。校内ですれ違う可愛い先輩や後輩を眺めては、まるで恋のような淡いときめきを胸に抱く日々。
    女子しかいない学校で、本当に可愛い女子とはなんぞ? と思いながら観察するのが日課になっていった。
    そして高校3年生の時、私は文字通り「めちゃくちゃタイプ」な後輩に出会ってしまった。
    胸に溢れる「好き」が抑えきれず、三人に打ち明けてみた。
    「あの子、めっちゃ可愛い!!」
    すると、三者三様のリアクションが返ってきた。
    「私のほうが可愛いじゃん」と少し拗ねてみせるキューティ。
    「へえー、そうなんだ」と、いつも通りフラットに受け流すミック。
    「え、協力する!!」と、目を輝かせて身を乗り出してきたザリコ。
    みんなの反応がバラバラなのが、なんだかおかしくて愛おしかった。
    特にザリコは協力的で、「あ、あそこにいるよ!」と後輩を見つけてはいつも教えてくれた。時には、私のためにこっそり写真まで撮ってくれる徹底ぶり。
    「なんていうか……これぞ青春だなぁ」なんて思いつつ、ザリコと二人で、後輩の姿を遠くに探しながら、後輩の可愛さに、ザリコの優しさに、私は何度も胸をあたたかくした。

    今でこそ「ジェンダーレス」という言葉が浸透し、誰に恋をしようが自由だよね、と言い合える世の中になった。けれど当時はまだ、古い風習や偏見が根強く残っていた時代だ。
    そんな中で、「同性の後輩がすっきやねん!」と叫ぶ私を、彼女たちは誰一人として否定しなかった。からかわなかった。驚きもせず、引きもせず、ただ一人の友達の微笑ましい恋バナとして、ただ当たり前に「いいね!」と協力してくれた。
    あの頃、私が自分の気持ちに卑屈にならず、まっすぐ前を向いて恋ができたのは、間違いなくあの三人がいてくれたからだ。
    あの頃は気づかなかったけれど、あれはとても大きなことだったと思う。

    大学や短大へ進む周囲とは違い、私は手に職をつけるために専門学校へ通っていた。
    それでも、夏休みや冬休みになればいつもの四人で集まった。好きな人や彼氏の話で盛り上がる時間が、何より楽しかった。
    彼氏の前ではこんな風に笑うんだな。可愛いなと、ザリコの横顔をそっと眺めたこと。普段はほんわかしているキューティが、彼氏の前ではしっかり者に変身していること。みんなの私の知らない一面を覗き見たようで、寂しいような、嬉しいような、なんとも不思議な気持ちになった。私がバイト先の人に一目惚れしたときには、キューティが代わりに電話をかけてくれた。恥ずかしいことも嬉しいことも、私の青春の真ん中には、いつも彼女たちがいた。

    社会人になってから、兄が趣味でやっている劇団の演劇を、四人で観に行ったことがある。
    すると翌日、兄から「妹さんだけ、友達の中で雰囲気が違うよね。本当に仲いいの? って、劇団のMくんから言われたよ」と、ご丁寧に報告された。
    兄の言葉を聞いて、ふと高校時代を思い出す。私とザリコは身長が低かったので、クラスメイトから「カナチちゃんとザリコさんって、キューティさんとミックさんにいじめられてない? 大丈夫?」と本気で心配されたことがあったのだ。
    「いやいや、私とザリコの方がよっぽど性格キビキビしてるのにね!」と、みんなに伝えて大笑いしたのを覚えている。
    私以外の三人は、いつもお洒落で、可愛くて、メイクもバッチリ決まっていた。あの時代に、髪型がピンクやアフロだったりしたのだから、そりゃあどこにいても目立つ。
    それに比べて、私はいつも質素だった。
    メイクもほとんどせず、Tシャツにズボン、あるいはワンピースを1枚さらりと着るだけ。お洒落にお金をかける余裕はなかった。実家に生活費を入れ、さらに「今までにかかった費用」という名目の借金を母親に返済していたからだ。「貧乏ガール」だった学生時代から、「貧乏レディ」の社会人へと、肩書きが変わっただけの日々。
    それでも、どんなに見た目が違っても、三人は高校時代と少しも変わらずに私と仲良くしてくれた。

    社会人になり、仕事を頑張ったり、それぞれの生活が変わるにつれて、四人で会う時間はどうしても減っていった。けれど、年賀状は毎年欠かさず届くし、連絡も途絶えなかった。
    「私、結婚しないと思うんだよね」って教室で三人にいつも言っていたのに、三人の中で一番早く結婚したのは、私だった。
    私の結婚式では、三人が白の全身タイツをまとい、頭にはアフロのウィッグをかぶり、股間に白鳥をつけて『だんご3兄弟』を全力で踊ってくれた。それを見た親戚の叔母は、「あの子たちは、一生大事にしなさいよ」としみじみ私に言った。本当に、その通りだと思った。結婚式で三人からもらった手紙は、大切に持っている。

    あれから、何十年もの歳月が流れた。
    キューティは世界的に有名な人になり、時々テレビで見かけるようになった。いつもと違う画面の中の彼女を、私は家族と一緒に笑顔で眺めている。どんなに有名になっても、プライベートでは昔と変わらず、ふんわりと可愛いキューティ。その変わらなさを含めて、私は彼女を心から尊敬している。
    ザリコのお子さんは立派に育っているし、昔と変わらずキリリとしている、ミックも仕事で上に立つ立場になっていると聞いた。
    毎年、お互いの誕生日に集まることは難しくなってしまったけれど、今でもグループLINEには必ず「おめでとう」の言葉が飛び交う。あの頃と変わらない、私たちの心地よい距離感のままで。

    そして先日、私たちはようやく、本当に久々の再会を果たした。
    学校の先生の話や同級生の話をしながら、高校時代に私が好きだった後輩の話題になった。実は私、その子の写真をまだ大切に持っていたのだ。
    「え、嘘でしょ、まだ持ってるの!?」
    二人がお腹を抱えて笑う。つられて私も笑う。口を開けば、楽しかった思い出ばかりが次から次へと溢れ出してきた。
    少し照れくささもあり、私はふと、近況をこぼした。
    「病気をしてからさ、なんだか自分の物の言い方がきつくなった気がするんだよね」
    すると、キューティが笑った。
    「カナチ、それ病気のせいじゃないよ」
    私が首をかしげると、キューティは可愛い顔をしてこう続けた。
    「昔からだよ」
    みんなで大笑いした。

    しばらくして、ザリコが席を外した。
    ふと二人きりになった瞬間、それまで笑顔だったキューティが、突然ポロポロと涙を流し始めた。予期せぬことに、私は激しく動揺し
    「どうした? どうした?」とキューティの顔をのぞきこんだ。
    「病気になったって聞いたとき、本当に、本当に悲しかったんだよ……」
    その瞬間、私の胸の奥で、頑なだった何かがドドドドッと崩れた。
    私はずっと、心のどこかで思っていた。自分は人と深く付き合えない人間なのだと。みんなとは少し違う、寂しい場所に一人で立っているのだと。
    だからこそ、その涙に突き動かされるように、ずっと心の奥底に沈めていた疑問を思わず口にしてしまった。
    「……ねぇ、私って、昔からずっと貧乏だったじゃん」
    キューティは黙って私を見つめている。席に戻ってきたザリコも私を見ている。
    「みんなは可愛くて、おしゃれで、なんかキラキラしててさ……私だけ違ってた」
    私は、自嘲気味な笑みを浮かべながら言葉を吐き出した。
    「なのに、なんでずっと私と仲良くしてくれたの?」
    ザリコとキューティが、一瞬だけ、不思議そうな顔をしてお互いを見合わせた。
    それから二人は、あまりにも当然のことのように、屈託なく笑ったのだ。
    「何言ってるの? 好きだからじゃん」
    ああ、そうか、と思った。
    私はずっと、人は何か条件でつながるものだと思い込んでいた。似たような環境にいるから仲良くなるのだ、同じくらいの価値がある人間同士だから、一緒にいられるのだと。
    でも、ただ、好きだから。
    一緒にいたいから。
    それだけで、人は誰かの大切な存在になれるのだ。
    私はたくさん歳を重ねてきて、そのとき初めて理解した気がした。

    子どもの頃、人を信じるのが苦手だった。
    未来のことはいつも不安で、誰かを心から愛することなんて、自分にはきっと難しいだろうと思い込んでいたし、ずっと、自分だけ違うと思っていた。
    でも三人は一度も、見下すこともなかった。
    距離を置くこともなかった。
    ずっと変わらなかった。
    私は私のままでいい、と教えてくれたのは、他でもない三人だった。
    大人になる前の私。
    妻になる前の私。
    母になる前の私。
    まだ何者でもなかった、あの頃の私を作ってくれた人たちがいる。
    お姫様のように華やかで可愛いキューティ、いつもみんなを支えてくれるしっかり者のザリコ、そして唯一無二の魅力を放つ個性爆発のミック。
    たくさん歳を重ねたけれど、今もあの頃と変わらない輝きを放ちながら、それぞれの物語を紡いでいる。
    そのことがとっても嬉しくて、私も頑張ろうと気合が入るのだ。

    ザリコが買ってきてくれたご飯をみんなで食べて、たくさん笑って、あっという間の時間だった。キューティもザリコも可愛いお土産をくれた。
    「また来年も会おうね! 今度はミックも来れるといいなぁ」
    三人でハグしあって二人は帰っていった。

    その日の夜、娘と夫に高校時代の話をした。
    ふと気づけば、娘はちょうど、私たちが最初に出会ったのと同じ年齢になっていた。
    私の思い出話を聞きながら、娘はにっこりして言った。
    「Birds of a feather flock together. 類は友を呼ぶ、ってやつだね」
    私は首を振りながら娘に言う。
    「いやいや、あんな素敵なおもしろい人たちがさ、私と仲良くしてくれたことが、もう奇跡なんだよ」
    娘は「こんな風にずっと仲良くできるっていいなぁ」って笑っていた。

    今の私が、昔よりも誰かを信じられる人間になれているのだとしたら。
    それはきっと、あの十七歳の日、教室で
    「カナチ!」
    と、名前を呼んでくれた三人のおかげなのだ。

     
     
    作家|「奇跡を、生きている」青春出版社|ME/CFS|ぐらすらんどわーるど名で娘と童話やイラストを制作しています|『陽向晃央』名で夫と書いた 恋愛偏差値迷走中恋のマッスルパンケーキがコミカライズ化☆https://www.amazon.co.jp/dp/4413232763

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