
眩しいきみへ|エッセイ
写真に撮られるときの「キメ顔」ってありますか。
顎を引いたり、口角を少し上げたり、片目をつぶったり。たぶん誰にでも、なんとなく「写真を撮られるときはこの顔」というものがある。
僕の場合、基本的にめざしのような目をしているので、写真を撮られるときは、ぐっと目に力を入れて瞼を持ち上げる。
すると、
「なんで睨んでるの?」
「目、わざと開けてない?」
と言われる。
かといって何もしなければ、今度はずっと不機嫌そうに写るので、もうどうしようもない。
まあ、写真については諦めている。
今回話したいのは、キメ顔というより、ふとした瞬間に出る「自分の好きな顔」のことだ。
鏡を見たときや、ガラスに映った自分を偶然見たときに、
「あ、今の俺ちょっとかっこいいかも」
と思う表情。
ありませんか。
僕はある。
眩しい顔である。
眩しそうに目を細めて、少し眉間に皺を寄せて、光の向こうを見る。
このときの僕は、結構かっこいい。
そして困ったことに、それに気づいてから、たまに意識して眩しがっている。
ナルシストにも、たぶんそれぞれ得意技がある。
眠そうな目が似合う人もいるだろうし、少し俯いた顔がかっこいい人もいる。気だるそうな表情が様になる人もいる。
僕は、眩しがるタイプのナルシストである。
先日、仕事帰りに駅を出たら雨が降っていた。
傘を差して歩き出し、ふと傘を少し後ろに傾けて、空を見上げた。
曇り空に向かって、眩しそうに目を細めた。
でも、みんな一つくらいあるんじゃないだろうか。
笑っているときの自分が好きとか、真剣な顔をしているときが好きとか、横顔だけは悪くないとか。
そして、一度それに気づいてしまうと、ほんの少しだけ、その顔を選んでしまう。
僕は今日も、たまに眩しがっている。
曇っていても。
だって、眩しい君を見ているときの僕は、いつもかなりかっこいいから。