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【介護エッセイ】トイレの前で仁王立ち

    デイサービス。
    トイレのドアが勢いよく開いた。

    「ちょっと来てくれぇぇ!」

    語尾がかすれている。断末魔!?

    何事か?と、ぼくはトイレの方向に目をやる。

    仁王立ちして職員の誰かを呼びつけるその利用者さん。ズボンとパンツを膝丈まで下ろしていた。つまり、丸出しの状態だった。

    垂れ下がった股間。

    アゴ外れるわっ!

    そんな人じゃないのに、
    そんな人じゃなかったのに…。

    とうとうそうなってしまったのか…。
    いや、どうなってしまったん?とぼくは困惑しながら。利用者さんの足元に目線を映すと、

    足元は便まみれ。ゲーリー沼地状態。

    仁王立ちじゃなく、どうすることもできず立ちすくんでいたのだった。

    ほほう。それは助けを呼ぶわなぁ。呼ばざるを得ないよなぁ。
    死ぬ間際でもないのに走馬灯が駆け巡る。ツツジの咲く季節に一緒に散歩した。持参のシャンプーブラシで頭を洗う姿。背中一面、湿布貼っとるんかい。

    こういう時ほど冷静になるんだ。
    いや、ただ言葉を失っているだけだった。

    「お、おまっ!クソまみれやないかい!」なんて、口に出せるわきゃない。心の声がそう叫んでいたとしても。

    デイサービスのトイレは食堂に面している。小規模なデイサービスなので、施設の作りは一般家庭のトイレと何ら変わりない。食堂もちょっと広めのリビングといった感じだ。

    トイレのドアを開ければ他の利用者さんの目にも入る。

    マジックショー・世紀の大脱出…。クソ爆弾爆発しとるがな。
    ちゃうねん。そんな脳内ボケツッコミをしている暇はない。

    「ちょ!一回座ろうか!」と駆け寄る。
    足元の沼地には気をつけて。足をとられたらミイラがミイラ取りになる。

    これは後日談だが、昼食のカレーにスパイスが効きすぎていてお腹を下したらしい。おいコック!カレーに我を出してくなや!カレーはククレでいい!

    後日談よりも、目の前の惨劇。

    緊急事態なのはわかる。でもまずはもう一度便器に座ってもらいたい。その足でフロアに出ていくと、さすがに変態を通り越した変態暴走。

    ぼくも個室トイレに一緒に入る。そしてドアを閉める。ふたりの楽園・失楽園。
    男ふたりが入ると身動きが取れない空間になるがそうするしかない。もちろん匂いも閉じ込めている。ここでふたりで心中したら、事件の名前は何になるのだろう。「男ふたりクソまみれ密室心中事件」という捜査本部を置いてほしい。

    「腹痛くなってよぉ〜。駆け込んだんだけど間に合わなくてよぉ〜」

    泣きそうなか細い声で自白が始まった。
    自分のことは自分でやる自立したしっかりとした人だ。だからこそ、この大惨事に本人が一番びっくりしていた。
    介護現場ではそこまで珍しいことでもないのだけど、本人にしてみたら初体験なわけで。軽く自我が崩壊仕掛かっている。打ち手がなく職員にヘルプを求めているのだから。

    「バスタオルもってくるから、前隠しながらお風呂行きましょうか。流した方がいいと思います。ズボンとパンツはここに置いていって、あとで片付けるので」

    ヘドバンギャルのように首を縦に振り、ズボンとパンツを脱ぐ。白いパンツは泥とダンス。

    ぼくはSPのごとくピッタリと寄り添いバスタオルで下半身を隠しつつ、ふたりでお風呂場に向かった。

    靴のことまで考えてなかった。靴は便を踏んでいた。
    強烈な臭いを放つ足跡が風呂場まで続いていた。

    そんなことがあった翌日。

    「昨日はありがとな。おかげさまで助かったわ。これからな、お前のことはなんでも聞くからよ」と、服従するような意思を告げられた。

    ためしに「今日、天気いいからお散歩いきましょうか?」と誘ってみる。

    普段なら「めんどくさい。歩きたくねぇからいいわ」と断られるのだけど、

    「お前のいうことだでな。行くわ」と嫌な顔ひとつ見せずに了承してくれた。

    これを介護の世界では「便の恩返し」といいます。

    しかしながら、それほどプライバシーや尊厳に関わる便の処理なのだと、改めて実感したのだった。

    ドアノックせずに「うんちでたぁー?」と他人のトイレに介入してく、生きのいい介護職員がいるが、なんとデリカシーのない行動なんだろうと。

    慣れって怖い。

    トントン。「お座りになって踏ん張っているところ失礼致します。お腹に溜まっていたものは、お出になられましたでしょうか。しばらく時間が経ったので心配になったのでお声がけさせていただいております。」と言わなくちゃいかんよね。

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