
子どもの「待てない」は、いつ「待てる」に変わるのだろう|シロクマ文芸部
待つ時間。注文してから、わずか3秒。
小1娘からの質問は
「もうできた?」
いや、さすがにまだでしょ。
娘は、待つ時間が長いとご機嫌ななめに。お店に並ぶときも、料理を待つときも。
「料理をしているんだから、すぐに出てくるわけないでしょ。」
大人の僕には、そう思えてしまう。
でも、理屈で分かることと、待てることは違う。
娘を見ながら、ふと思った。
人は、いつから「待つ時間」を「待てる時間」に変えられるのだろう。
今日、娘と有名なあんぱん屋さんに並んだ。
思ったより時間がかかった。
「もう、別のお店でもいい?」
そう聞くと、娘は少し考えて、
「……せっかく、ちょっと進んだんだから、このまま待つよ」
と言った。
「そうなんだ」
と言葉では平然を装いながら、驚いた。
多分、初めてだ。
娘が、自分から「待つ」と決めた。
待った先には、とても楽しみな、焼きたてのあんぱんがある。
ただ我慢していたのとは、少し違う気がした。待つ先にあるものが、見えていた。
だから、娘は、待てたのではなく、自分で「待つ」を選んだのかもしれない。
待つことは、我慢することだけじゃない。
誰かが作ってくれていること。
その先に楽しみがあること。
「もう少し待ってみよう」と思える理由がある。
そんなことが少しずつ分かってくると、「待つ時間」は「待てる時間」に変わっていく。
娘には、ただ我慢できる子になってほしいわけじゃない。
自分の「今すぐ!」だけじゃなく、待った先にあるものまで見られる人になってほしい。
すぐにできなくてもいい。
今日の「もうちょっと待つ」が、その小さな一歩であれば、僕は嬉しい。

🌱これまでの親子の日常エッセイ
📒今回は、小牧幸助さんのシロクマ文芸部「待つ時間」に初めて参加させていただきました。
👀今回のテーマ「待つ時間」に関連して、「まーし」さんの「待ち時間」の記事をご紹介
今回の記事のように、子どもに「待ってほしい」と思ってしまう私ですが、子どものことをなかなか待てません。子ども自身の考え・行動を「待つ時間」もとても大切だと思いながらも。「待つ」ことについて、温かく表現された、まーしさんの記事もご一緒にどうぞお読みください。