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【シロクマ文芸部/月を見る】今夜だけ、二人の月



     窓の外がいつもより明るいことに気づいたのは、彼の部屋で紅茶を飲んでいた時だった

    「ねえ」

    「ん?」

    「今日、月が綺麗」

     私の言葉に、彼はカップを置いて窓を見る

    「ほんとだな」

     それだけ言って立ち上がると、ベランダの窓を開けた

     夜の冷たい風が、部屋へ入り込む

    「見に行く?」

    「うん」

    「ちょっと待って」

     すぐに出ようとした私を止めて、彼はソファに置いてあったブランケットを取った

    「夜は冷えるだろ」

    「ちょっとだけなのに」

    「そのちょっとで寒いって言うの、誰だと思ってる?」

     言い返せなくて黙ると、彼は小さく笑った

     結局、ブランケットを肩に掛けられ、温かい紅茶まで持たされて

     二人でベランダへ出た

     空には、大きな月が浮かんでいた

     雲も少ない

     白い光が街の屋根を淡く照らしている

    「綺麗だね」

    「うん」

     隣から短い返事

     しばらく黙って月を眺めた

     風の音

     遠くを走る車の音

     カップから昇る紅茶の湯気

     彼といると、不思議と沈黙が気まずくない

     話さなくても、隣にいることだけで十分だった

     ふと横を見る

     彼の眼鏡の端に、小さな月が映っていた

     空ではあんなに大きいのに

     レンズの中では、指先で触れられそうなくらい小さい

    「……何?」

     彼がこちらを向いた

    「眼鏡」

    「俺の?」

    「月が映ってる」

     彼は少しだけ目を細めた

    「月じゃなくて、俺見てたの?」

    「月も見てるよ」

    「そっか」

     少し笑って

    「じゃあ、お互い様だな」

    「何が?」

    「俺もさっきから月より君を見てるから」

    「……」

     そういうことを、急に何でもない顔で言う

     ずるい

     私は誤魔化すように月へ視線を戻した

    「同じ月、今いろんな人が見てるんだろうね」

    「そうだろうな」

    「不思議。知らない人も、遠くにいる人も、みんな同じもの見てる」

     彼は返事をしなかった

     どうしたのかと思って振り返ると、少し困ったような顔をしている

    「?」

    「……俺、こういう時。ちょっと狭量になるな」

    「どういうこと?」

     彼は空を見上げた

    「誰のものでもないのは分かってる」

    「月が?」

    「月も。この時間も」

     一度言葉を切って

     その視線が、私へ戻る

    「でも今夜くらい、この月を君と俺だけのものだと思いたい」

     静かな声だった

     強く何かを求めるわけでもない

     ただ、自分の中に生まれた気持ちを、そのまま差し出すみたいな声

    「それって独占欲?」

    「たぶん」

     彼はあっさり認めた

    「月まで独占するの?」

    「月そのものはいらない」

     彼の手が、私の肩に掛けたブランケットを直す

    「君と月を見てる、この時間が欲しい」

     胸の奥が、少しだけ熱くなる

     彼はまた月を見る

     だから私も隣で空を見上げた

     何も話さない時間が続く

    「ねえ」

    「ん?」

    「こういう時って、何か話さなくていいの?」

    「いいよ」

    「せっかく一緒にいるのに?」

     彼がこちらを見た

    「一緒にいるから、話さなくていいんだろ」

     その答えが、妙に嬉しかった

     顔の肩へ、少しだけ自分の肩を寄せる

     すると何も言わず、彼の腕が私を包んだ

     いつの間にか、紅茶の湯気はもうほとんど出なくなっていた

    「寒くなったら戻ろう」

    「うん」

     そう言ってから

     随分長い時間が過ぎた気がする

    「ねぇ」

    「ん?」

    「寒くない?」

    「寒い」

    「じゃあ戻ろうよ」

    「……」

     なのに、彼は動かない

    「?」

    「もう少し」

    「月見たいの?」

     そう聞くと

     彼は少し考えてから、私の肩を抱く腕にほんの少し力を込めた

    「……君と見てたい」

     月は、誰のものでもない

     明日も

     その次の夜も

     たくさんの人が同じ月を見る

     それでも今だけは

     白い月も

     冷たい風も

     肩に触れる彼の温度も

     全部

     この夜だけの、二人のものだった

    こちらに参加させていただきました🌕

     
     
    物語をつなぐ図書館、ほしぞらの庭の管理人 あなたを想う恋愛小説とエッセイを執筆しています。 人の心の揺れや、言葉にならない気持ちを考えるのが好きです。日常の小さな出来事や「好き」という感情を、残していきます。ときどき甘く、ときどき少し切なく。ふらっと覗いてもらえたら嬉しいです。

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