
後ろ姿
たくさんぼくに話しかけてくれてありがとう。でも、ぼくは気の利いたことを言って君を笑わせてあげることなんてできない。
君を食事に誘いたい。
でも、できない。
断られることもこわいけど、断られないことはもっとこわい。だって一緒に食事に行ったら、ぼくが退屈な人間だとばれてしまうじゃないか。
*
あなたは静か。なんだか落ち着く。
あなたが何を考えているのか分からない。知りたいけど、集中している横顔や抑え気味の笑顔を見ても、本当の気持ちは推し量れない。
話しかけてほしいのに、話しかけるのはいつも私ばかり。
どうすればいいの?
*
君と二人で過ごしたら、どんなに楽しいだろう。きっと世界一幸せな気分になれる。
でも、本当にそうだろうか。
きっと君はぼくにがっかりして、ぼくはみじめな思いをするだけだ。
もっと話しかけてくれたらいいのに。食事に誘ってくれたらいいのに。分かっている。意気地なし。
マサヤに言ったら、「お前が話しかけろよ」って叱られるだろうな。
だからぼくは、できるだけ笑顔で「おはよう」と言うのだ。
*
距離が縮まらない。何も起きない。一生このままな気がする。
昨日、Kくんにご飯に誘われた。
*
「嫌いな奴にわざわざ話しかけたりしないだろ」
とマサヤは言った。
「嫌いじゃないからって好きとは限らない」
とぼくは言った。
「そりゃそうだ。でも少なくとも悪くは思ってない」
「問題はそこじゃないんだ。仮に多少好かれていたとしても、ぼくと一緒にいても楽しくないと思うんだ。すぐ幻滅されるに決まってる」
「ばかだなあ。女の子がみんな芸人みたいな男が好きだとでも思ってるのか」
「そうじゃないけど」
「考えすぎなんだよ。もっと気楽でいいんだ」
「そうかな」
「いいから一回誘ってみろって」
*
あなたに初めてご飯に誘われた。とてもうれしかった。
だけどタイミングが悪かった。こっちに出てきた地元の友達と、久しぶりに会う約束があった。
一緒に来てくれたらよかったんだけど……。
あなたは「邪魔しちゃ悪いから」って。
てか、今日の今日だとちょっと急すぎる。
準備というものがあるんだから。
*
そりゃ、そうさ。いきなり食事に誘われても困るだろう。
でもよかった。ぼくと食事に行っていたら、きっと退屈しただろうから。
別に勘違いしていたわけじゃない。
ぼくはただ軽く誘っただけなんだ。友達や同僚を誘うのとおんなじ。
それだけなんだ。
*
目が合わなくなった気がする。じっと見ても、気付いていないのかこっちを見ない。
話しかけると優しく返してくれるけど、後が続かない。
どうしてだろう。
じっと見ていても、私にはずっと分からないのかもしれない。
*
君がKと結婚すると聞いた。
心から、君の幸せを願いたい。
それなのに、どうしてだろう。
夜、枕に顔をうずめると、涙がぼろぼろとこぼれて止まらなかった。
*
子どもが生まれた。
とても可愛い。天使みたいな子。
実家の近くに引っ越した。
仕事はもっと融通の利くところに変えた。
帰ったら家事をして、子どもを寝かしつける。
時々ため息が出る。それでもやっぱり寝顔は天使みたい。
*
灰色の空。灰色の世界。
世界は灰色になったりしない。赤信号は相変わらず安っぽい赤色のまま。
ずっと独りだった。誰かと一緒になろうと思ったこともあった。
でも、うまくいかなかった。
独りも悪くない。それなりに楽しい。
でも、これでよかったのかと時々考えてしまう。
*
Kとケンカすることが多くなった。
軽口でごまかすのが嫌だった。
公園のベンチに並んでお茶を飲んでいるおじいちゃんとおばあちゃんの姿を見たとき、一度だけ思った。
あの人だったらどんな人生だったかな。
*
「そういえば、あいつ別れたらしいぞ」
マサヤが言った。
「誰?」
ぼくはすでに彼女の顔が頭に浮かんでいた。
「もう関係ないよな」
「……うん」
「もう何年も経ってる」
「そうだね」
「今の仕事知ってるか?」
「いや知らない。何やってるの?」
「知りたいか」
「まあ」
「教えない」
「……教えてよ」
*
いい天気だった。青い空にちぎったような雲が浮かんでいた。公園の広場にハトが集まっていた。早めに下校した子供たちの元気な声が聞こえた。
こんな日の休憩時間は、外で過ごすのが気持ちいい。
*
マサヤから聞いたカフェにあの人の姿はなかった。
店の前の公園にハトが集まっていた。
公園の奥に屋根のついた休憩所があった。
ベンチに腰掛けたひとりの女性。
長い髪が風になびいた。
その後ろ姿をしばらくじっと見つめた。
もう覚えていないかもしれない。
迷惑かもしれない。
それでもぼくは、その後ろ姿に声をかけた。
「久しぶり」
他のお話もあります。