
AI動画が進化しても、僕がメタバースでドラマを撮る理由
どうも、久我レイジです。
AI動画に興味はあります。新作『記録にない君』でも、メタバースでの撮影を軸にしながら、動画生成を一部組み合わせることを考えています。
だから、AI動画が進化している今、メタバースでドラマを撮るのは、AIへの対抗心からではありません。便利なものを使わずに頑張りたい、という話でもないんです。
僕が残したいのは、人が役を受け取り、演じて、その表現を作品にしていく過程です。画面の中に人物が映っていることと、その向こうに演じた人がいること。その違いは、僕にとってまだ大きい。
画面の中の人ではなく、演じている人と作りたい

僕が脚本・監督を務めたメタバースドラマ『クロスロード』には、声を演じる人、アバターを動かして演じる人、音楽を届ける人など、多くの仲間が関わっています。
画面の中は仮想空間でも、役を考え、演じているのは人です。
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脚本に書いた言葉を、誰かが自分の声で演じる。同じ言葉でも、どう受け取って、どう相手に渡すのかを考える人がいる。僕は、そこに参加してもらいながらドラマを作りたいんですよね。
たとえば「大丈夫」というセリフがあったとして、本当に安心させたいのか、心配をかけたくなくて隠しているのか。言葉は同じでも、受け取り方は変わります。
監督として意図を伝えることと、演じる人の解釈を受け取ることは、両方必要だと思っています。
僕の頭の中だけで完結させず、別の人が考えた表現をどう生かすか。その仕事を手放したくない。
もちろん、AI動画を作る側にも人がいます。何を描くかを考え、生成した映像を選び、編集する。だから「AIには人の想いがない」と切り捨てるつもりはありません。僕が選んでいるのは、想いの有無ではなく、誰と、どの部分を一緒に作るかです。
声を先に作り、その演技を撮影につなぐ

新作『記録にない君』は、音声を先に仕上げてから、メタバース内で撮影する流れで進めています。声の芝居を土台にして、あとから画を作っていく方法です。
先にある声を聞きながら、どこで相手を見るのか、どの表情を見せたいのかを考える。声として演じられたものを、アバターの動きやカメラ、編集につないでいきます。
この順番で考えると、声は映像の空いているところに後から入れるだけのものではありません。
撮影で何を見せるかを考えるための、大事な材料でもあるんです。
たとえば、返事までの間をどう見せるか。話している側を映し続けるのか、聞いている側にカメラを向けるのか。そうした選び方によって、同じ会話でも伝わり方は変わると思います。
だから僕にとって、人が演じる価値は、声を使っているという事実だけではありません。その人の演技を受け取って、次の表現を考えられることにもあります。
声、動き、撮影を別々の担当で作るなら、それらが一つの人物に見えるようにつなぐ必要もある。
メタバースは、その撮影を行う場所です。現実の同じスタジオに集まる形とは違っても、仮想空間の中で立ち位置や距離を決め、人物のやり取りを映像にできる。僕は、この作り方を続けながら、もっと伝わるドラマにしたいと思っています。
人が演じたことを、作品の言い訳にはしない

ただ、人が関わっているから、それだけで面白い作品になるわけではありません。大勢で作ったことや時間をかけたことを、観る人に評価してもらう前提にはできないと思っています。
アバターでの表現には、思うように伝えきれない部分もあります。表情や動きで足りないものを、声や人物同士の距離、カメラの切り替えでどう伝えるか。
作り手が大切にしているものと、観る人に届いているものは、分けて考えたい。
もし物語が伝わらないなら、「これは人が演じているんです」と説明するだけでは足りません。
セリフを整理するのか、見せる順番を変えるのか。作品の側を直す必要があります。
AIを使うことも、その選択肢から外すつもりはありません。『記録にない君』で動画生成を一部組み合わせる案も、メタバースを捨てるためではなく、作品に必要な表現を考える中にあります。
まだ制作途中なので、うまく融合できたという成果の話はこれからです。
自分が守りたいものを残すことと、今の手順を全部守ることは違う。
僕の場合、残したいのは、人が役を考えて演じ、その表現を受け取ってドラマにしていくことです。そこを支える方法は、変えてもいいと思っています。
創作にAIを取り入れるときも、「何を置き換えられるか」の前に、自分はこの制作のどこを続けたいのかと考えてみる。その答えによって、同じ道具でも使い方は変わるはずです。
僕は、人とドラマを作りたい。そのためにメタバースで撮り、必要ならAIの力も借りる。どちらか一方の正しさを証明するより、そうして作った物語を、ちゃんと観てもらえる形にしていきたいです。
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