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Photo bysatomigoro

くま読書 どこでもない場所

    自己紹介は「たいていのことは苦手です」と公言している浅生鴨さんの作品。

    浅生鴨さんはすごい人だ。

    浅生 鴨(あそう かも、1971年 - )は日本の作家、広告企画制作者。男性。本名は非公表。元NHK職員であり、在籍時に同放送局の広報局Twitterを担当していたNHK_PR1号(エヌエイチケイピーアールいちごう)として知られる。2014年7月末にNHKを退職後は作家として活動している。
    2018年には小説『伴走者』が第35回織田作之助賞候補にあがった『ウィキペディア(Wikipedia)』より抜粋

    できる人だが、その雰囲気は「全てがどうでもいいかんじ」につつまれているし、何となくゆるい感じを保っている。

    私はこういうおじさんが昔から大好きだ。

    幼少の頃は、ディズニーで言えばグーフィーが好きだったし、小学生の頃はアイドルやジャニーズより、高田純次さんや木梨憲武さんが好きだった。私の夫もどちらかというと、この「だめなおじさん」寄りである。

    この本は鴨さんのエッセイ集だが、そのひとつひとつがゆるゆるとして、やさしい。燃え殻さんの本のやさしさとは違うやさしさでできている。

    燃え殻さんはクリームソーダーの中でシュワシュワして溶けていくような感じだが、鴨さんは卵とじで包まれてあたたかい感じがする。

    そんなゆるゆるの中に、時折すごく背筋を正すようなことが、音も立てずにスッと入り込んでいる。

    「また深夜にこの繁華街で」という章では、大学生で居場所を見つけることができず、会社もやめ、アルバイト生活をしていた時の話が描かれている。

    うだつの上がらない生活の中で地面に座って駅に目をやると、成人式の格好をした楽しそうな若者がいた。

    今日よりも明日の方がきっとよくなる。誰もがそんな確信を持っているように見えた。その日をなんとか暮らしている僕からみれば、まるで違う世界の住人。未来への鍵をしっかりと手に持っている人たち。同じような年に生まれ、同じような場所で暮らしているのにこんなにも違うのか。あっちはあんなに輝いているのに、こっちは明日のことさえ考えられないのだ。
    なりたい自分になれる者は少ない。何者かになりたいともがきながら、けっしてそうはなれないという世界を知ってしまった時の絶望。独りぼっちのまま、どこへも逃げようのない暗く長い道を見つめながら、他の道を歩く方法さえわからない時の孤独。

    この大人になるにつれて抱える孤独は、大なり小なり、誰にでも降りかかるものだと思う。

    このあとは交通事故で入院した時の、隣の患者さんとの選択肢の正しさの問題に触れ、成人式の僕と同じような気持ちを抱えている若者に思いを馳せる。

    そして最後はこんな風にしめる。

    結局のところ人生のほとんどは運で、それは理不尽で不公平で、ときにやるせないほどの残酷さを伴って訪れる。失敗のない人生などないし、ほとんどの人生は失敗の連続だけれども、運に左右されるからこそ失敗続きの人生には驚くようなことも起こるのだ。
    予想しているとおりの未来など来ないとわかっているのに多くの人は未来を予想して、やがて訪れる未来とのギャップに苦しむ。だから僕はもう予想をしない。ただ自分がどうありたいかを忘れず、そこへ近づこうと願いながらも、深夜にこの繁華街を歩いている自分こそがまぎれもない自分自身なのだと、どこか諦めと共に受け入れるだけだ。

    「なりたい自分にはなれない。自分がどうありたいかを忘れない」

    この強烈なメッセージは、人生のいかなる時でも、私は振り返ると思う。

    人の弱さを知っている強さを隠しながら、今日も鴨さんはゆるゆると発信を続けている。


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    くま

     
     
    好きなものや好きなこと、気になったことを気ままに書いています。2人の子どもがいます。基本的には横に寝そべっていたいタイプです。音楽や映画にまつわる事は気になってしまいます。 高田純次同盟の会長。 「すまいるスパイス」のパーソナリティをやっていました(2025年限定で卒業)

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