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Photo byisa00

journal #01

     ともかく綺麗な字で書くことが大切だ。わたしは字が汚い。やさしい綺麗な字を書くことも修行の一つだと思っている。
     俳人は大変だ。俳句を創ることも、綺麗な書を書くことも出来なければならない。わたしは自由律俳句を創っているが、ぐうたら俳句だ。ぼうっとした句だ。今はまだそれでいいと思う。それでもいつか「分け入っても分け入っても青い山 山頭火」「咳をしてもひとり 放哉」のような句を創り成したいと願う。
     井泉水が説いたことは「精神修養即俳句」だったのかも知れない。井泉水は宗教と力のある句の違いを述べて、技術のある言葉の連なりこそ自由律俳句であると書いていた。
     精神修養として在家で出来ることといえば掃除に坐禅、そうして断捨離である。ここに今現在、妻への看病が加えられている。
     わたしは脱落者だけれど(或いは病人だけれど)だからこそひとから仕事を頂いて賃金を得たいと考える。しかしそれは妻の看病が済んで、デイケアでリハビリが済んだあとだ。

     わたしを成すもののことを考える。浪費をせず、物を少なに、大切に目の前の人間を、妻を大切にただやるべきことをする。
     悟るということはただ平然と生きているということであった 正岡子規
    という言葉を噛みしめながら一生懸命、綺麗な字につとめ書いている。

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    文学極道生まれ。ビーレビュー派。ポエム好きな奴は大体友だち。 旧筆名。田中恭平、田中教平。普賢。 工業高校卒業。サウンドクリエイター科卒業。 元リハーサルスタジオ勤務。多くの仕事経験を得つつ ここnoteで、ライフワークを展開中。いつき組。

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