
学びをやめた瞬間から、人は少しずつ固まっていく。
長年、
身体を見ていて思うことがあります。
いつまでも、
しなやかに伸び続ける人と、
凝り固まって止まってしまう人。
その違いは、
年齢だけではありません。
素直に学ぶ姿勢です。
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学ぶためには、
一度、
「知らない自分」を認めなければなりません。
分からない。
知らない。
できない。
教えてください。
その一言を口にするには、
年齢を重ねるほど勇気がいります。
だから、
大人の学びは、
少し心の痛みを伴います。
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ところが、
その痛みを避け続けると、
人は少しずつ、
過去の経験だけで生きるようになります。
新しく学ぶより、
昔うまくいった方法を繰り返す。
教わる場へ来ても、
話を聞く前に自己流を語る。
学びに来たはずなのに、
いつの間にか教える側になってしまう。
その方が、
痛みを感じずに済むからです。
でも、
その瞬間から、
成長は止まります。
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身体も同じです。
新しい動きを覚えるとき、
身体は少し不器用になります。
当たり前です。
今までやったことがないのだから。
ぎこちなくなる。
思うように動けない。
失敗するのも恥ずかしい。
でも、
その時間を通るからこそ、
新しい回路が育っていきます。
学びも、
まったく同じです。
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長く学ばなくなると、
知識が減るわけではありません。
むしろ、
過去の成功体験だけが強く残ります。
すると、
少しずつ自分の考えが正しく思えてくる。
気づかないうちに、
人の話を最後まで聞けなくなる。
立場の弱い人へ、
横柄な態度を取ってしまうこともある。
傲慢さとは、
知識の多さではありません。
学びを止めた時間の長さなのかもしれません。
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だから僕は、
ずっと学び続けたいと思っています。
新しい知識を増やすためだけではありません。
自分の現在地を知るためです。
頭を下げること。
恥をかくこと。
「分からない」と言うこと。
年齢を重ねるほど、
その一言は言いづらくなります。
だからこそ、
意識して言い続けたい。
それは、
忘れかけていたニュートラルポジションへ、
もう一度戻る時間でもあります。
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学びとは、
最良の自己投資です。
それだけではありません。
固くなり始めた自分を、
もう一度柔らかくしてくれる。
謙虚さを思い出させてくれる。
そして、
まだ自分には伸びしろがあることを、
思い出させてくれる。
学びとは、身体にも心にも効く、最高の運動なのだと僕は思っています。
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