
治そうとしていた頃のこと
昔は、
治そうとしていた。
一生懸命、痛みを取ろうとしていた。
とにかく歪みを正そうとしていた。
なんとかして良くしてあげようとしていた。
今思えば、
かなり本気だった。
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若い頃は、
技術を覚えれば覚えるほど
もっと治せると思っていた。
知識を増やせば、
もっともっと結果が出せると思っていた。
だからひたすら勉強した。
遠方まで勉強に通った。
本もたくさん読んだ。
先輩にも嫌われるほどよく質問をした。
意識して経験も積んだ。
でも、
ある時から違和感が出始めた。
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身体は確かに変わる。
楽になる人も増えた。
どんどん動けるようになる。
痛みが消えて驚く人もいる。
でも、
同じことをしても変わる人と、
変わらない人がいる。
もっと言うと、
こちらが何もしていないように見えるのに、
大きく変わる人もいた。
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その違いは何だろう。
ずっと考えていた。
技術なのか。
知識なのか。
相性なのか。
感覚なのか。
単なる偶然なのか。
答えはなかなか見つからなかった。
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ある日、
ふと気づいたことがある。
僕は身体を治そうとしていた。
でも身体は、
治されようとしていなかった。
身体はずっと、
整おうとしていた。
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傷ができれば塞がる。
骨が折れれば繋がる。
疲れれば休みたくなったり眠くなったりする。
お腹が空けば食べたくなる。
身体は本来、
自分で調整しようとする仕組みを持っている。
僕がやっていたのは、
治すことではなく、
その働きを邪魔しているものを
減らしていただけなのかもしれない。
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そう思い始めると、
施術の景色が変わった。
痛みを見る前に、
呼吸を見るようになった。
姿勢を見る前に、
重心を見るようになった。
動きを直す前に、
感覚を聴くようになった。
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そして何より、
「治してあげる」
という感覚が少しずつ消えていった。
代わりに出てきたのは、
「身体は何を伝えようとしているのだろう」
という問いだった。
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今でも痛みを見る。
動きも見る。
姿勢も見る。
でも昔ほど、
それだけを見なくなった。
その奥にあるものを見ようとしている。
身体は結果だからだ。
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25年以上経った今、
昔より治そうとしていない。
でも昔より、
身体は変わる。
これは少し不思議だ。
でも、
たぶん本質なのだと思う。
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治そうとしていた頃の僕は、
身体を相手にしていた。
今の僕は、
身体の向こう側にいる
その人自身を見ようとしている。
まだ、
十分にはできていないのかもしれない。
でも、その違いは、
思っている以上に大きい。
最近、
そんなことを思い出している。