
人は正しさで、間違うことがある
──正しさは、命令形ではやってこない。
多くの場合、
「ためになる耳よりな情報」
「世間一般、みんなが言っていること」
「常識とか当たり前」
という“顔”をして、
しれっと目の前に現れる。
それは一見、
親切で、
論理的で、
安心できる。
耳障りも心地良い。
でも、
その正しさを受け取るたびに、
なぜか心と身体が重くなることがある。
正しさには、
まるで重力のような力がある。
受け取るほど、
選択が遅くなり、
言葉が慎重になり、
行動が小さくなる。
これは、
正しさそのものが問題なのではない。
正しさを優先するあまり、
自分がどう感じているのかを
置き去りにしてしまうことがある。
そのとき、
呼吸は少し浅くなり、
気づかないうちに、
自分のハンドルを手放していく。
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本当に必要なのは、
正しい答えを増やすことではなく、
「今の自分は、何に反応しているのか」
「誰の眼鏡で見ているのか」
を俯瞰して感じ取る力なのだと思う。
情報は、
鮮度と賞味期限のある道具であって、
指揮官ではない。
“正しさ”に素直に従う前に、
一度、ゆっくり呼吸をして、
静かに身体へ問いかけてみる。
それは本当に、
あなた自身が選んだ正しさなのか。
それは、
あなたを軽くしているか。
それとも、
少しだけ息を止めていないか。
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もしかすると、
あなたが動けなくなっている理由は、
能力が足りないからでも、
勇気がないからでもない。
“正しさ”を、
集めすぎただけかもしれない。
正しさが増えるほど、
自分の輪郭が薄くなることがある。
無難になり、
賢くなり、
間違いは減る。
でも、
どこか自分の気配まで消えていく。
そして、
正解の中で生きることに慣れるほど、
自分で選ばなくても
生きられるようになっていく。
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本当に怖いのは、
間違うことではない。
自分で選ばなくなることだ。
正しさは、
人生を保証してくれるものではない。
だからこそ、
正しさを捨てるのではなく、
正しさに自分を明け渡さない。
情報を受け取り、
考え、
身体で感じ、
最後は自分で選ぶ。
そのためにも、
まず自分の呼吸に戻ること。
それだけは、
忘れたくない。
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