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勝ち馬に乗るほど、人生は自分のものではなくなる。


    労力や投資に対して、

    「どれだけ効果があるか。」

    それを強く求めるほど、

    人は無意識に、

    勝ち馬にしか乗れなくなる。


    うまくいきそうなこと。

    世間一般で「良い」と薦められていること。

    実績があり、

    安心できること。

    もちろん、

    それ自体は悪くない。

    でも、

    その選択だけを続けていると、

    人生は少しずつ色褪せていく。

    挑戦していないのだから、

    無難になるのは当然だ。

    ⸻

    コスパ。

    タイパ。

    人並み。

    無難。

    転ばないこと。

    そうした基準を、

    自分ではなく誰かに委ね続けると、

    人生は、

    自分が選ぶものではなくなる。

    いつの間にか、

    人生の軸が、

    自分の外へ移っていく。

    ⸻

    誰の脚で立ち、

    誰の足で歩き、

    その結果の責任を、

    誰が引き受けるのか。

    当事者意識を失うこと。

    それこそ、

    人生で最も恐れるべきことなのかもしれない。

    ⸻

    高尚さは、

    時にとても心地いい。

    周りが必死に働き、

    挑戦し、

    泥臭く行動している姿を、

    「俗っぽい。」

    と少し離れた場所から眺めていれば、

    自分だけは特別でいられる。

    弱くなった自尊心も守れる。

    行動しない理由もつくれる。

    でも、

    それは本当に高尚なのだろうか。

    もしかすると、

    精神における、

    最も居心地の良い逃げ場なのかもしれない。

    ⸻

    一度でも、

    何かに全力で打ち込んだ経験がある人なら、

    行動することの愚直さと尊さを知っている。

    だから、

    知識だけを積み上げ、

    身体を動かさず、

    論理だけを磨き続けることに、

    どこか違和感を覚える。

    頭の中では、

    どんどん賢くなっている。

    でも、

    現実は少しも生きやすくなっていない。

    その時点で、

    何かがおかしいと気づかなければならない。

    ⸻

    人は案外、

    成功体験ではなく、

    過去の成功体験にしがみつく。

    それを手放したら、

    どこへ向かえばいいのか分からなくなるからだ。

    だから、

    知っている場所に留まる。

    慣れた景色に安心する。

    でも、

    その安心が、

    気づかないうちに、

    自分で自分の未来を狭めていることもある。

    ⸻

    人生は、

    勝ち馬を探すゲームではない。

    自分の脚で立ち、

    転び、

    修正し、

    また歩くこと。

    その繰り返しの中でしか、

    本当の意味で、

    自分の人生は始まらないのだと思う。

    ⸻

    馬を意のままに操るのが、

    人馬一体だとするなら。

    すでに走っている勝ち馬に乗り、

    運ばれているだけでは、

    人生と一体になったとは言えない。

    速く進んでいるように見えても、

    手綱を握っているのは、

    自分ではないからだ。

    勝つことよりも、

    自分で選び、

    自分で動かし、

    その結果を引き受けること。

    それが、

    自分の人生を生きるということなのだと思う。


    はじめての方はこちら
    →はじめての方へ|身体を知るための入口


    さらに深く読みたい方はこちら
    →まず読んでほしい10本|身体から人生を読み解く



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    →もう一度、届けたい30本|身体と生き方を見つめる




     
     
    呼吸と身体の専門家|臨床もうすぐ30年 身体を通して、人生の見え方を変える。 呼吸・感覚・無意識から、自分の主導権を取り戻すためのnote。 初めての方へ ▶ 身体を知るための3つの入口 https://note.com/labo402/m/m921dacd5f7fa

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